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辰
砂 <しんしゃ>
ただ一つの出入り口が炎で塞がれた。この倉庫内に自分たち二人しかいないと判明した途端に爆発が起きたのだ。そしてそこを起点として壁つたいに炎が走る。月は舌打ちして対峙するニアを睨んだ。ニアの手にラジコンのものらしきコントローラーがあり、それを片手で操作していた。
「……ニア、爆薬を仕掛けていたのか」
「ここは私が買い上げた倉庫ですよ、いざとなったら敵の退路を断つ、基本です。よけいなことばかり読んで、こんな簡単なことは見落とすんですから大した神ですよ」
銀色の髪が炎の色を映している。どう見ても十歳児のようだったが、その大人びた、毒のある口調はマイク越しの機械音声とそう変わらないものだった。
「爆薬を使うのは基本じゃない!お前らワイミーズは極端すぎるんだ!竜崎は緊縛監禁、メロはミサイルときてお前は爆発物か!」
怒鳴ったところで状況が変わるわけがないが、Lとその後継者とされる者の手段は、どこのテロリストかと疑いたくなるほど常軌を逸していた。
月の激高を、ニアは急上昇する倉庫内の温度と反比例するかのような冷たい視線で応戦した。
「人外の手段をもって殺人を犯すあなたに極端などと言われたくないですね。だいたいあなたも同じことをしてるでしょう。あの壁には何もしてませんよ、私」
外の建物に近い側の壁が吹き飛んだことを言っていた。ニアの指摘通り、これは月が仕掛けたものだ。倉庫の炎上を図り、吹き飛んだ壁から脱出するつもりだった。決して倉庫そのものを吹き飛ばすつもりなどない。
一つの火花がどちらかの爆薬に引火し炎を吹き上げた。二種の相乗効果でまたたくまに、幾つもの炎の柱が内部を蹂躙していく。急激に上昇した内部の圧力と外部のその差が天井部を吹き飛ばした。梁部分が落下してくる。
「くそっ、ニア来い!…って、何してるっっ!」
「せめてあなたをここで止めなければMr.相沢たちに申し開きできない!」
月の腕に全力で飛びつき動こうとしないニアに月は焦った。二人のすぐ傍に、轟音とともに倉庫の天井や梁部だったものが大量に落下してきた。焼けた鉄の破片が二人にふりそそぐ。ニアの薄い上着に付着した破片はすぐに皮膚に到達し、ニアは激痛に叫んだかもしれないが、この止まない轟音では分らない。月は腕を離さないニアを抱え上げた。時間がない。脱出用に開けた壁の穴に向かって、暴れるニアを押さえつけながら駆け出した。
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「火力が強すぎる」
事前に聞いていた計画では、炎上するものの破壊は目の前の壁に穴があく程度、自分が脱出したら速やかに救急車を呼び発見者を装え、人がきたらそれらの者と協力するふりをして現場から「荷物」を持って離れろと言われていた。
最初に入り口付近に火が上がった。そして次々に起こる爆発音でものの数分の間に倉庫は炎に包まれていたのだ。魅上はただ呆然と見つめているほかなかった。さすが東京、首都は危険が一杯だ。などと京都から到着したばかりのお上りさん感覚が襲う。
一際大きく破裂音が地響きを伴って起きた。あわててそちらに目を向けると、壁がすでに壁でなく完全に崩れていて炎が吹き出していた。縦横無尽に吹き荒れる炎が魅上が待機している場所まで迫っている。人影が見えた。
大きな何かを抱えた人物がよろめきながら出てきた。目が合う。炎の熱による乱気流が包む人物は、烈火の眼光を持つ美しい人物だった。恐らく自分より年若であるその人物の頭上には『夜神月』とあった。そして数字は見えない、彼が神だ。
「…魅上。手筈通りだ」
自分を認識するとはっきりとした口調で命じたが、崩れるように膝をつく。抱えていたものは下ろされ、よく見れば、スーツの上着に包まれた外国人の子どもだった。気を失っているようだ。
「夜神さん、その子どもについては?」
即座に携帯電話にナンバーを入力しながら指示を仰ぐ。
「大丈夫だ、少し背中に火傷を負っている程度だ。連絡は成人の男一人、左腕から背中の火傷および裂傷だと伝えろ」
それではこの子どもが事前の指示にあった「荷物」か。この倉庫に隣接する建物の影に車があった。建物と炎上する倉庫によって完全に死角、あれで運ぶのだと理解する。これは時間をかけられない。
「分りました」
救急車を呼んだが、すでに周辺の混乱が交通網に支障を来しているようだった。かの人の状態は最悪に思えるが間に合うか。カッターシャツが焼けこげ、あらわになった肌が赤黒く焼け爛れている。背には建物の残骸破片が突き刺さったままの部分があるばかりか、肉がこそげ落ちている箇所もある。これでは自分のような素人では応急手当もできない。
しかしこのような酷い状態でもまだ口調は平然としているのだから恐れ入る。かの人はズボンのポケットを探り、中からカプセル状のものを取り出して口に含んだ。
「それは…」
微かに身動きした子どもの背に怪我をしていない右腕をまわし、子どもの腕を掴んで拘束する。そして激痛に震える左手で子どもの顎を捕らえ、そのまま唇を塞いだ。カプセル状のものを飲ませようとしている。
少し離してまた深く口づけることを繰り返しているうちに、子どもの目が開いた。
子どもの目は銀髪に反して漆黒の色だったが、大きく見開いて端からみてもパニックを起こしているのがわかった。
唯一自由になる足をばたつかせ、必死に逃れようとする子どもを離さない。やがて子どもの白い喉がこくりと動いた。それを合図にようやく離れる。
〈な、なにを…何を飲ませた?!〉
英語である。気丈な様子だが顔色がない。かの人はそれに答えず子どもの身体も離す。子どもは即座に走り出そうとした。
「魅上!」
言われるまでもなく、魅上は子どもを取り押さえていた。暴れる力でこの子どもが男の子であることに気付くが、それも徐々に弱まっていく。かの人が口に含み飲ませたものは強制的に鎮静させる薬だった。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。魅上は、今度は自分の上着を子どもに被せた。そして抱え上げる。
〈離せ……〉
もう力が入らない手が弱々しく魅上の腕を掴む。顔を覗くと次第に目がうつろになっていくのが分った。眠らぬよう必死で目を開かせようとしているが、これはもう気絶するのは時間の問題だった。
「では、私は戻りますが…お気をつけて、夜神さん」
「……ああ、お前には感謝する。その子どもがN、ニアだ。僕が指示するまで殺すな」
「分りました」
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連続する振動で目を覚ました。また、何かに口を塞がれている。そう思ったとき思わず強く目を閉じた。先刻は、口の中を何かが動き回りそれが人間の、他人の舌であると気付いて目を開くと夜神の顔があったのだ。その瞬間、全身に駆け上がった悪寒を思い出してしまった。
あの時、薬物を飲まされ、気を失っている間に運ばれたと、気が遠くなりかけたのは、他人に自分の口内を蹂躙されるという「単純な」不快感からだと、必死に混乱しそうになる思考を整理する。
ようやく平静を取り戻したニアは、今、口を塞いでいるのは布のようなものだと分り、安心して目をあけた。手首も固く縛られ、車のシートに寝かされている。あの倉庫へ向かったときのことを思い出し、一瞬訳がわからなくなるが、あのとき、自分は一人で降りて倉庫へ向かったのだ。では今、この車を運転している者は誰だ。
〈気がついたのか? じきに到着するからそのまま我慢してくれ〉
英語だったがこの声に聞き覚えがある。魅上照、キラの代行者だ。
指示があるまで殺すなという夜神の言葉は覚えている。ということは、今すぐの危険はない。夜神の腕を逃れるもすぐに捕らえたのはこの男だ。抑えられ、再び向き合った夜神は左上半身が赤黒く染まっていた。あれは火傷だ、しかも相当の重傷。そのまま死んでくれれば…。
『いや、それはないか…』
あの男のことだ。多少の怪我は想定内、いや計画の中に決定事項としてあったのだろう。捜査員三名を別々の場所で葬り、そして自分もほぼ同時刻に重傷を負う。怪我の度合いは重ければ重いほど、夜神にとって有利に動く。キラの仕業とされても自演と思う者は、日本警察にはもはやいまい。
『Mr.模木も遅かれ早かれ…』
模木を捜査員三名殺害の参考人に仕立てることで時間を稼ぐ。倉庫の爆発炎上という混乱に、いくつものガードを張り巡らせている用意周到さと、そしてそのなかで踊らされた自分が腹立たしかった。自分が思いつく以前にすり替えを予見し、防衛手段を講じていたのだ。もし、気付くことなくあの場に全員で行ったなら、間違いなく全員が殺されていた。
Lを出し抜いた男、そのことをもっと自覚しているべきだった。Lを超えるにはメロの力が必要ということは最初から分っていたのだから。
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ニアという子どもが気付いた。しかし今度は大人しく横たわったままで、魅上は内心安堵した。猿ぐつわをかませ、手首もきつく縛ってはいても狭い車内で体全体で暴れられれば厄介だったからだ。
薬で眠らされているとはいえ、子どもを運ぶことに緊張を強いられたが、薬の効果があり、子どもが気付いたときにはもう京都市内だった。爆発炎上から五時間ほど経過している。
幸いにも都内や高速道路に入ってからも検問はなく、ラジオから流れるニュースでも、倉庫炎上の報は流れても概要だけで、報道する側も混乱しているようだった。ただ、意識不明の重傷者が一人との情報にはひやりとさせられた。神は自分が立ち去ったあとに意識を失ったのだ。あの火傷は皮膚移植が必要なほど酷いものだと思う。
心配にかられるが、こちらから連絡する手段は高田清美を通じてだけだ。迂闊な行動は控えるべきだろう。高田には今日の計画は知らされていないが、報道の現場にいる彼女なら何が起きたのか悟るはずだ。
自宅マンションの前に来た。向かいに小さなコインパークがあり、マンションの来客などが利用しているのだが、運良くスペースがあった。速やかに止めてエンジンを切る。日が暮れて辺りは人通りがないことを確認した。
いったん子どもがいる後部座席に回り、拘束を解く。手首のもののせいで手先がひやりとしていた。小さな手だった。
〈…暴れれば、指示がなくとも君を殺す。君の本名が私には見えていることを忘れるな〉
魅上の念押しに子どもは見上げ、まっすぐに見据えた。
「…そうでしたね。ここで飛びだして誰かに助けを求めることも考えましたが…」
射抜くような漆黒の目に威圧されそうになる。これが子どもの目だろうか。
「夜神は何をするつもりですか」
倉庫での対決を最終と位置づけていないことを、この子どもは見抜いている。かの人は、今日この日をすべての始まりとしていた。そしてその計画の発動はじきに、いや、すでに動いている。世界がキラに跪く。
「……日本語が話せるのか。面倒がなくていい」
話すことはない。話さずとも分ることだ。そう決めると降車を促した。子どもも答えを期待していなかったように、素直に従った。
▼
あれは自分が仕掛けた量の倍以上の火薬にちがいない。どこまで加減がないんだワイミーズ。
意識が戻ったとき、俯せの姿勢から身動きができなかった。自分が負った怪我のことを思い出すと同時に納得する。皮膚移植が必要かもしれない。よくあの状態であそこまで動けたものだと自分でも感心してしまう。火事場のなんとか、というやつだろう。
周囲で忙しなく動く者たちを少し眺めて、また眠りについた。
『なぜ、ニアを生かしたんです?』
ひどく懐かしい声が近くから聞こえた。近くというよりかは頭のなかで起きた感覚だ。月は自分が夢を見ていると認識した。この声の持ち主はすでに死んでいる。自分が殺した。
「……分らないか?」
『……いえ、聞いてみただけです』
かすかに感情めいた響きが混じる。珍しい、こいつが笑っている。
『ニアにメロ、手強いですよ』
「本当なら、自分が祟ってやりたいんだろう?」
『ええ、でも君は図太いですからねえ、精神攻撃などものともしない』
「……やろうとしたのかよ」
『可能性のためならなんだってしますよ、私。とはいえ、こちらもひどく退屈な場所でね』
「……そうか。じゃあ、そこから見てろ」
『言っておきますが、私、ニアとメロを応援しますよ?』
「旗ふりでもなんでもすればいいんじゃないか?僕はこれから全力をかける」
『全力で大量殺戮ですか。いい加減にしときなさい、夜神月』
「ははっ、加減がないのはお前の専売特許だろ」
自分は今、かの人物が口にするであろう言葉を、記憶の中にある音声で再生している。分っていながら、相変わらず人の神経を逆なでするようの物言いに苛立や懐かしさを感じていた。どうして自分はこの人物を死に追いやったのか。
「?」
『君が私を殺さなければ、私は君を処刑台へ送っていた。それだけのことですよ』
「…………」
忌々しい。自分は後悔からこんな言葉を彼に言わせて安心しようとしているのか。許しを請おうとあがいているのか。
もうあの計画は始まっている。デスノートにすべて書き記した。
「黙ってそこで見てろ、竜崎」
もう一度言い放つ。そして、意識を手放した。
08.05.07
自分的何年ぶりだかの女性向け!
言い張る(^^;)
あとがきというか補足です→■
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