about|text|blog
桂
花 おまけ。
玩具と書類を分類して、とりあえず部屋の隅にあった段ボールに入れる。そうしてやっと床に敷き詰めてある絨毯が見えるようになった。足の踏み場が文字通りなかったことを思えば、たったそれだけでも見違えるようだ。
背後でニアが起きあがる気配がした。振り向くと、ぼんやりと宙を見つめている。失神から復調するまではまだ時間がかかるかもしれない。
月はニアを放っておき、今度はLとして請け負った仕事の書類を自分の鞄から取り出した。同業者が出現したために依頼量はかなり減り、それどころか依頼者がLとその同業者の両方に依頼することもあった。
両者とも、はじめにコンタクトをとるのはワタリのため、依頼する側が混乱しているせいだが、どちらもコンタクト方法の変更はしなかった。違いといえば、こちらは『ワタリ』というのはコード名にすぎないが、向こうはワタリと名乗る人物が実在するということだ。
その同業者はいつしかLの後に出現したためにMと言われるようになったが、正体はメロである。ワタリと名乗る人物はSPKか。
当然、こちらの正体も知られているわけだが、Lとして請け負った仕事で絡んでくることについては、月はあくまでもLとして対応していた。メロは月の隙をつこうとするが、ニアがいるために思い切った手段がとれないでいる。互いに牽制しあううちに奇妙な共存協定ができつつあった。
ニアが立ち上がった。上着だけをまとい、おぼつかない足取りで月の前を横切っていく。月はシャワーだろうと思いながら、書類に目を移そうとした。
ニアの歩く先には二つのドアがある。浴室と隣室の魅上の部屋へ続くドアだ。ニアはふらふらと歩み寄ろうとする先は−−−
「待て、ニア!」
YB倉庫炎上以来の瞬発力を発揮し、ドアに、魅上の部屋へのドアのノブに手をかけたニアを引き戻した。かなり乱暴に後ろに引き寄せたが、ニアはまだぼんやりとした目をしていて、後ろに重心がいくのをそのままに、抱き込まれた月の胸に全体重を預けている。
「…………ニア?」
呼びかけても反応はなく、視線も宙をさまようばかりで、なにも見てはいないようだった。
「……寝ぼけているのか……」
蹴飛ばしただけでは起きない、とは魅上の言だが、あれは冗談ではなかったか。聞き取れないほど小さな声で何かつぶやいている。ニアは夢を見ているのだろうか。
脱力しかかった瞬間、月の背中に激痛が走った。ニアを抱きとめる腕が強張る。
「…っっ………まずい」
立ち上がった時、背筋に過剰な力がかかったのだ。倒れ込みそうになるのをこらえ、ニアを抱きかかえるようにしてベッドに向かう。ニアを離そうにも腕が思うように動かなくなっていた。
ニアは月の動きにつられて歩き出す。ベッドの傍らに到着すると、ニアをさきにベッドに横たわらせようとした。
激痛が少し収まってきたころ、背を向けて横たわるニアの肩が少し揺れた。腰に回していた月の腕を持ち上げようとしている。今度こそ目覚めたらしい。
「ニア、起きたのか」
確かめるために声を少し大きくした。肩がびくりと跳ね上がる。
「……放してください……」
「今、僕の腕はロクに動かない。起きたのならまず、ズボンを履け」
「……は?」
訳がわからないというような声だ。そして持ち上げた月の腕が本当に力が入っていないように、簡単に動かせたのでそこから這いだすように身を起こした。
自分が上着だけしか身に付けていないことを自覚したのか、裾を強く引っ張る様が意外にかわいく見えるのがちょっとした発見だなと思いつつ、ニアの次の反応を待った。
沈黙のあと、震えたような声を出した。
「…ま、まさか……この格好で歩き……」
「魅上の部屋へ行こうとしたな。寸でのところで止めたから安心しろ」
突き動かされたようにニアが振り向いた。顔を真っ赤にしている。
「だ、だから私は嫌だと言ったのにっ 気絶するまであんなこ…」
うつ伏せたまま、動かずに顔だけをこちらに向けている月を改めて見下ろした。
視線がぶつかった。
「あとで聞いてやるから僕の鞄の中から薬を出してくれ。水も」
「………えらそうに言いますね」
「嫌なら魅上を呼べ。もちろん、ズボンを履いてからだ」
「……………」
のろのろとベッドから降りると、少し見渡してズボンを見付けた。そして取り上げると足を通す。
今度は明確な意志を持った足取りで、ニアは魅上の部屋へ続くドアに向った。月はそれを見届けて慎重に息をはきだした。少しでも力が入ると背中に激痛が走るのだ。
ニアがドアの向こうに消えてすぐに、今度は血相を変えた魅上が現れ、大股でこちらに歩みよってきた。
09.5.29
さらにおまけ。
自分に寝ぼけ癖があることはわかっていた。それは去年、メロがしかけたSPKへの甚大な攻撃直後からである。しかし、結局のところ一番の元凶は、今ベッドで身動きできないにも関わらず、尊大な態度でいるあの男である。
魅上の部屋に入って、少し顔をあげると視線の先のキッチンに背中が見えた。料理中らしい。
「魅上」
ニアの声に振り向くと、一瞬、不審そうな顔をした。庖丁を手にしていて、ニアは、あれで今、あの男の背中を突き刺したらどうなるだろうと物騒なことを思ったのだが、それが悟られたか。
「ニア、顔色が悪いが」
「………私より夜神のほうが…」
「どうした?」
手にしていたものをすべて台に置いて、スペースから出てきた。
「背中に痛みが起きたらしいんですが、それに伴って動けなくなったと」
「意識はあるのか?」
「ええ、残念ながら」
「………」
魅上は困惑してニアを見た。
「…やはりまだ動くには無理がありすぎたのか」
「まったく。こっちも甚だ迷惑です」
ふいに、腰に、そして背中にひどい違和感を感じた。服を着ているのに、じかに何かが這い回る感覚。身体が震えだした。魅上に気取られる前にと、いつものソファに向った。向かいながら、月の伝言を伝える。
「………向こうのベッドでえらそうに突っ伏してます。水が欲しいとのことです、薬を自分で服用できないようです」
「…わかった」
振り返ると魅上はいなかった。隣へ行ったようで、かすかに声が聞こえる。ニアはソファに上がると、自分の腕で身体を抱きしめるように丸くなった。
違和感が収まらない。それどころか、今や身体中あますところなく、それは這い、無遠慮に撫でていく。
『…止まらない…どうして…』
無かったことにしたいと感情を押さえ込むほどに、違和感が痛みとなって身体を苛んでいく。
突然、ふわりと柔らかくあたたかなものが身体を覆った。固く閉じていた眼を開けると、毛布が肩まで包むようにかけられていた。魅上かと思ったが、まだ向こうの部屋にいるような気配がする。
「???」
まだ自分は寝ぼけているのかと思った。誰もいないのに、何故、毛布が…
『…………死神……か?』
自分には眼に見えない存在がここにはいる。殺人ノートの真の持ち主、死神。一度、模木から『二足歩行、長大な体躯』と死神の容姿について聞いた。
死神は、自分が風邪をひいてしまうと心配したのだろうか。人間の命を奪うだけの存在ではなかったか。
あまりに意外な死神の行為に、ニアは驚いて、死神がいるであろう天井を見上げた。
そして、驚きがあれほど苛んだ違和感を消し去ってくれた。
09.6.4
|