明るい逃亡生活 奪回作戦始動

 リーマスの両親の家に着いた翌朝。朝の光に起こされたシリウスは頭をふって眠気を飛ばした。そしてそばで眠り込んで起きる気配をまったく見せないリーマスの肩を思いきり揺り動かした。
「リーマスっ、起きろ、新聞見せてくれっ!」
「わわっ! び、びっくりした……起きてたのか?」
「たった今。マグルの新聞、あるなら見せてくれ、できれば十三年分」
「十三年?! ああ居なかったあいだね……魔法界のでなくてもいいのかい?」
「魔法界方面の情報不足はこの一年で解消した」
「わかった。ちょっとまってて…新聞はたぶんファイルしてるはずだから」
 起き上がるも、ふらふらとした足取りでそこかしこにぶつかりながら居間を出ていく。
 確かソファに座っていたはずが、いつのまにか床に転がって眠っていた。
 雨露がかろうじて凌げる場所というのが、ここ十三年(アズカバン+一年間の野宿)の寝食の場だったから、民家の絨毯敷の床というのは夢のような環境だ。
 シリウスは室内を改めて見回した。こじんまりとした家でこじんまりした居間だった。ただ、留守中と聞いていたのに埃もなく、生活感が漂っていてあたたかいような居心地だった。ほんの最近までここに人が生活していたのか。
「……リーマスのお袋か」
 昨日一日をかけて羊皮紙一メートル分のパズルを解いたが、その作者だ。ラテン語と記号が踊り回るご大層な問題にも関わらず、回答はここの住所のみ、他の情報は一切ないという、回答者を憤死させるのが目的としか思えないパズルだった。そのことを思いだし、またむかっ腹がたったが、ため息を大きくつくことで宥めた。
「……あると思ってたけどまさか当時の新聞そのままで残してるなんてなあ」
 左腕に大きな紙束、大量の新聞を抱え右腕にはなぜか杖を掲げて戻ってきた。
「悪いな。だけどたったそれだけか?」
「いやいや、これは一年分。これと同じものがあと十二束あるよ」
 そう言いつつ、新聞の束をテーブルに置くと、杖をふった。
「………な、なるほど……」
 次々と室内に紙束が飛んでくる。またたくまに、シリウスの目の前に新聞の山ができた。
「とりあえず十三年分。物置みたら二十年分あったけど……」
「いや、ひとまずこれだけでいい。にしても最近引っ越してきたんだろ。こんなもん、よく持ち歩けてたな」
「まったくだよ、どうやってたのかな。それとこれも」
 今度はシリウスの頭にタオルを落とした。
「身なり整えたらだいぶ違って見えるよ。それから朝ごはんだ」

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「………よもや君にもっと食べろと言う日がこようとは……」
「……本気で感極まるのはやめてくれ……」
 ソファに座ることを放棄したふたりは、ローテーブルを挟んで床に座り込んでいた。キッチンのほうから食糧が次々に浮遊してくる。
「初対面でいきなり食に関する説教だったからねえ」
「……『お前にとって』初対面だろう。それまでどれだけ無視されてきたと思ってるんだ」
 タオルで頭を乱暴にかき回しながらぼやくシリウスは、長かった髪の毛をばっさりと切り、髭も剃っていた。やせ細った身体のこともあり、一回りほど小さくなったようだ。リーマスは、学生時代、しきりに食事についての小言を言っていたシリウスの気持ちが、今になってようやく理解できたように思う。
「ああ、まあ……いやあのときはほんとにごめん。全然気付けなかった」
 ローテーブルにあふれる軽く十人分は下らない量の朝食、パンに卵に果物、牛乳、水、オレンジジュースになぜかかぼちゃジュース。リーマスの背後の棚にはバタービールの空き瓶がこれまた何故か洗われてきちんと並んでいる。
「バタービールなら冷蔵庫のなかにあるよ」
「……ここはマグルの世界では」
「うん。だけど昨日も言ったように、母は魔法界のものがいたくお気に入りでね。ときどきダイアゴンにいって買ってきてるみたいだよ。グリンゴッツには口座まである」
「……そういうおまえはマグルの銀行に口座が?」
 テーブルのわずかな隙に束ねられた封筒はリーマス宛のものだった。どこかの銀行のマークがみてとれたのだ。
「ああ、これねえ。しかたない、僕は魔法界で働く場所はないからマグル界でどうしても。フリーランスの記者みたいなこととかやってるよ、住所不定でも連絡さえとれればできる仕事っていうのは限られてるからねえ…」
「そうか、生活する金はあるんだな、お前」
「まあね。使うこともあんまりないから君は気にすることないよ?」
「そういうわけにはいかん」
「いかんって…君が今やるべきことは休養をとることだよ。そんな身体じゃ持たないだろう」
 パンにかぶりつこうとしていた動作がぴたりと止まった。困惑したシリウスの顔と、大まじめに彼の身体を心配するリーマスの顔。
「………お前にそんなことを言われる日がくるとは」
「ずいぶんな趣だろう?」
「まったくだ。体調のことはあとで本気で考えよう。それから、生活費というか軍資金は俺もマグル界のものがある」
「へ?」
「…家を出てから叔父貴の遺産でマグル界に会社をつくったんだ。それがまだ稼働していた」
「は? 家を出たのって…たしか5年のときだったよね」
「叔父貴のマグル方面の人脈があったんで自動車部品を扱う卸屋みたいなのを。魔法を使うわけにはいかんからかえってバレてなかったみたいだな。魔法界には」
「でもマグル界にも指名手配されて…ああ本名を使ってなかったのか」
「いや本名さ。家に対してあてつけもあったし」
「……君は……」
 自分の行動理由に、常に実家に対する嫌がらせを忘れないシリウスの性格を思いだした。どこか得意げなシリウスを見やって呆れ返った。マグルを蔑視することに関しては徹底していたブラック家の御曹司がこの調子だったのでは、彼らも彼らなりに苦労をしていたのかもしれない。
「ま、小さな会社だが卒業するころにはそこそこ利益出てたんだぜ」
「ぜんぜん知らなかった」
「そりゃお前、そのころには俺のことを避けまくってただろう。お前、あれはかなり余計なことだったぞ」
「あ、ああ、その……うん、ごめん。悪かった」
「で、アズカバン抜けてきたときに、事務所を借りたビルに行ってみたんだ。驚いたね」
 左手にパン、右手にコーヒーの入ったマグカップを手に、シリウスは真面目な顔になっていた。
「引っ越していた?」
「いや、ビルごと会社になっていた。建物全部」
「うわ。なんでまた…指名手配されて、その会社にも魔法省かマグル界の捜査機関が乗り込んでそうなのに」
「俺も思ってた。まったく何もことわりいれられなかったしなあ。気にかかってたんだ」
 リーマスは部屋の隅に積んだ先刻の新聞紙の山に向かって杖を払った。事件から数週間ほどの記事に目を通しておきたかった。近々、シリウスがやろうとしている事が容易に想像でき、内心で青ざめた。やりすぎを止めるのは自分しかいない。
「代表が十何年も顔ださずによくやってこれたよねえ。登記簿とか見た?」
「いやさすがにそこまでは。だからこれから乗り込んでみようかと思う」
「これから?! 今日これからってことかい?」
 行動は予測通りだが、決行日が早すぎた。リーマスにとっては、調べるにしろ乗り込むにしろ、シリウスの休養が最優先だからだ。しかし、そんな彼の気持ちを笑い飛ばすようにシリウスは言う。
「うむ。コトは急を要する」
「いや、ぜんぜん急がなくていいから」
 すかさず言葉を返すが、この程度では聞き入れないことは子どもの頃から分かっていた。
「何を言う。ひょっとしたら誰かに乗っ取られているかもしれんのに」
「………乗っ取られていた場合、どうする気かな?」
「もちろん、奪回する。あ、その前にどっかから杖を調達せんと…」
 マグル相手に魔法は都合がよろしくないことを理解しているとは思うのだが、リーマスはだんだんそのあたりの確信がもてなくなってきていた。呆れて言葉がでてこないリーマスにシリウスは続けた。
「お前もこの作戦には付きあえよ。あの時、お前を探しだして雇う気だったんだから、関係者にはなるからな」
「雇うって…あのね、僕は」
「資材調査。お前の得意分野だろ、そういうの。それにそうしないと会社を潰すと脅しが入ってたし」
「は?」
「リリーさ。もうお前のことになったら脈絡なんか一切無視、根本がおかしかろうが、ありゃあ本気というか殺気に近かったな」
 リリーの名前が不意にあがり、去年の晩秋のころのことを思いだした。思い出のなかそのままのリリーだ。
 シリウスが言うリリーはもう母になった彼女なのだろうと思う。あのとき現れ、自分が長く生きられないことを知った。
「………ジェームズは?」
「複雑な顔で笑ってたな。だがあいつも動けないなりにお前を探して、場所を突き止めていたんだ。それが、まあ、その後はああいうことになっちまった……」
 リリーはジェームズには話したのだろうか。彼にそっくりな少年がいたことを。
「僕はいつでもみんなに心配かけてるなあ」
「いまごろ自覚したのか、自覚していたのかどっちだ」
「うーん、半々?」
「………そのへんのことはじっくり話しあおうじゃないか。そのまえに突撃だ」
「こらこら最初は様子見だよ、いきなり騒ぎを起こすと魔法省が飛んでくるよ」
「うわっ」
 上機嫌に立ち上がろうとしたシリウスのシャツの裾を掴んだ。あっさりと座り込む。
「ほらほら、軽く引っ張っただけでこうなるんだからね」
 呆然として動かないシリウスに、わざと教師のような顔をする。無茶な行動を止める勘は、ついこのあいだまでの一年間で取り戻している。グリフィンドールの五年生、ウィーズリーの双子の行動は、ジェームズとシリウスの行動パターンに酷似していたのだ。
「……ショックだ…お前に……。いや、お前、密かに鍛えてたんじゃないのか??」
「あいにく、僕も先頃開発された薬のおかげで体力は落ちているほうだよ」
「ぐ……」
「ま、君は休んで食べるのが当面の仕事だね。その間、僕がその会社のことを調べるから」
「……くそ〜〜わかった。だがいつまでもってわけじゃないからな」
「はいはい。来月あたりにどうかな」
「いや、そうじゃない……」
「は?」
「……来月に突撃、だな。わかった。それまでに杖も調達してきてくれ」
「材質は前につかっていたのと同じでいいんだね」
「ああ。あの爺さん、聡いから気をつけろよ」
「はいはい」
 ダイアゴンにある、杖の老舗店の主の顔を思いだしたのか、シリウスは顔を顰めていた。シリウスにとっては、あの老人は苦手な部類だろう。
 リーマスは笑ってテーブルのうえのものを片づけ、シリウスは新聞の山の処理にかかった


その新聞の間から一枚の紙片が。なにやら箇条書き。
「このリストにそってスクラップせよ。頭の体操は済ませたはず by 母」
シリウスぶちぎれ。
母はたぶんリーマス宛のつもり。

2006.10.12

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