ココア
「チョコレートの在庫がないのか…」
ディメンター対策に生徒用のチョコレートを厨房の屋敷しもべ妖精に頼んだのだが、その場に居た屋敷しもべ妖精のほぼ全員が、チョコレートという単語を耳にしただけで物陰に隠れてしまった。中には「言いつけ」に応えられない自分を責めて、壁に頭を打ち付けている屋敷しもべ妖精も居た。
「わわ、あの、それじゃあココアを貰えるかな?」
これでココアも無かったらどうしよう、と内心で焦りながら訊ねると、屋敷しもべ妖精たちの顔がぱあっと輝いた。
安堵しつつ、過去、「とても不幸な」事件があったことを思い出した。その頃の屋敷しもべ妖精がほとんど残っているようだった。
「あれから…20年たつけどねえ」
▼
『闇の魔術に対する防衛術』の事務室に、『魔法薬学』の教授が扉を蹴り開いて入ってきた。今年からこの防衛術の担当になったリーマス・ルーピン教授が、不機嫌極まりない態の薬学担当セブルス・スネイプ教授に、穏やかな笑顔を向けた。
「やあ、セブルス、どう…」
どん。
言い終えない内に、スネイプ教授は、無言で古めかしいゴブレットを執務机に叩きつけるように置いた。
叩きつけた同期生にして同僚の眼は、明らかに寝不足からくる充血で、普段の厳しい眼光に殺気のようなものがプラスされている。いや、たぶん、本気の殺気だ。
ゴブレットからは煙が、湯気ではなく冗談ではなく、煙が、立ち上る。
その不気味な様と古めかしいゴブレットは違和感が全く無い。息を飲んで凝視したあと、スネイプをちらりと見上げた。ぎろり、とねめ付けてくる。『このゴブレット、君のお見立てかい?』などと言おうものなら、問答無用で殴られそうだった。
「………飲め」
「………ありがとう」
薬である。
どう見ても毒物にしか見えないが、れっきとした薬である。
名称は脱狼薬。
この薬は、自分がこのホグワーツで過ごすためには絶対不可欠な薬なのだ。ルーピン教授は自分にそう言い聞かせた。
何とも言えない、青みがかった泥色をしていたが、沸き上がる泡が弾けると真っ黒い液体がのぞく。匂いは意外に無い。意を決して口に含んだ。
「○△■×◎っっ??!!」
「言っておく。一切の甘味料、いや調味料全般、少しでも混ぜようとは思うな。効果が消える。この薬の成分表を見たのなら分っているはずだな?」
こくこくとなんとか頷き、口を押さえ、吐出しそうになるのを無理やり飲み込んだ。あまりの苦さに涙が出てくる。トリカブトを始め、劇物指定を受けている薬草、薬品のオンパレードの成分表を思い出した。ああ、なぜか溶岩の欠けらもあったっけ、それで喉が焼かれているように感じるのかと、ルーピンは妙な納得をした。
「全部飲め」
「……………………」
まるで脅されるように促され、一気にあおった。そして一気に飲み下す。またも口を押さえ、だん、と机にゴブレットを戻した。
「満月までの一週間、一滴も残さず飲め。ああ、もう一つ言っておこう。自分で作ろうとは思うな。筆記はともかく、実技が壊滅的な出来だったお前には絶対に不可能だ。この薬は」
専門家が悪戦苦闘するような薬ということは、本人の充血した眼を見ればよく分ったので言われるまでもなく、そんな大それたことは考えもしない。が、スネイプの声がどこか楽しそうなのが、ちょっと気に食わなかった。一瞬、ルーピンは食事の時にでも彼の飲み物とこの薬をすり替えてやろうかと思った。
「……あ、あの成分表を見た時から、おいしそうな感じはしてなかったけれど」
机に突っ伏したまま、ルーピンは呻いた。その同じ机に手をつき、身を乗り出すようにしていたスネイプのほくそ笑む様子が見なくても分る。
「諦めるんだな。甘党のお前にはちょうどいい矯正にもなるだろう」
少し冷めたようなココアのマグカップを見ているらしい。まだ口をつけていない。
「……ああ、そうか。僕は甘いものが好きだったね」
「何?」
「いや、ここ何年か味覚を感じられなくなっててね。たった今、おかげさまで苦味を思い出したら、甘いものが好きだったことも思い出した」
ゆっくりと頭を上げたたルーピンは、にっこりと微笑んでいた。マグカップを取った。そして懐かしそうな眼をして飲み干す。
??思い出した。おいしいな
口には出さないが、目の前の同僚には分ったようだ。呆れている。
「これからハニーデュークスに行こうかと思うんだけど、君も行く?」
「行かん」
「そう。残念だ。お礼をしようと思ったのに。そういや君は甘いものそんなに好きじゃなかったっけ?」
ローブを羽織って少し残念そうに首をかしげ、はた、と思い出したようにゴブレットとマグカップを取る。そして隣室にある洗い場へ入るとすぐに戻ってきた。手には洗ったばかりのゴブレット。
「薬、本当にありがとう。…これから1年間、よろしく」
「1年?」
「1年が限界だろう? 当面の問題が解決したら、すぐにでもここを出るつもりだよ。いくら脱狼薬があるとはいえ、人狼が学校の中にいるなんて危険すぎる」
当然と言わんばかりに微笑む。スネイプは、訝しむような顔で何かを言いかけたが、それとは違う内容を口にした。
「お前に自覚があるのは分った。だが」
「ん?」
「…土産に菓子はいらんぞ」
買物リストを作り始めたルーピンの手元を睨み付けた。そこに自分の名前の横に、菓子とは思えない怪しげな名称が羅列してある。
「これはそんなに甘くないよ」
「開封すると爆発するだろう」
「そう。面白いじゃない。煙の中からキャンディが降ってくる」
「子どもじゃないんだ。自分の年も考えろ」
「ダンブルドア先生は喜んでくれそうだけどなあ」
「あの人は別だ。あらゆる常識が通じん」
スネイプの憮然とした顔にルーピンは楽しそうに笑った。
「確かにねえ。それじゃ、行ってきます」
▼
ルーピンが出て行ったあと、スネイプは机に残されたマグカップを見た。
学生時代、とくに親しいわけではなかった。魔法薬学などの合同授業や校内の雑用事などで顔を合わせる事が多かったから、用件ついでに会話を交わす程度だった。
ある事件が起き怪我をしたことがある。ルーピンは毎日のように見舞いに来た。そしてその都度、菓子類を持ってきた。甘い物が嫌いではなかったが、彼が持ってくるものは特別に甘いものばかりで辟易し、見舞われるほど大した怪我でもなかったのもあり、来るたびに追い返していたのを覚えている。
しかし、その怪我の原因を作ったのはルーピンだった。彼は卒業するまで気にかけていて、恐らく先刻の『土産』も大本のところはその事に違いなかった。
「律儀というか…しつこい」
憮然と呟く。
「……そんなことより味覚なんてものを忘れるな。相変わらず分からん奴だ」
一年が限界だと言った。限界なのは周囲ではなく当の本人だろう。もちろん、自分も煩わしいことはすぐにでも終わらせたい。
「奴より早くブラックを見つけ出し、始末する」
窓から外を見下ろすと、ルーピンが出かけていくところが見えた。
「ポッターよ、息子は囮にするぞ。……貴様の大親友殿を捕らえる為にな」
スネイプもまた、自室へと戻って行った。
別サイトで書いていたものその3。
2004.10.31
|