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作品公開掲示板

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LAST 2007-03-01 14:51
短編作品を募集してます。遠慮なくどしどし投稿下さい
願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
 小太郎が巣から落とされたのは、昨日のことだった。
 母鳥は彼の将来を悲観し、眠っている間に投げ落としたのだ。
 浮遊感、衝撃、朦朧とした意識の中で幾分かは覚えている。しかし、はっきりと思い出せないのは、彼自身がそのことを嫌がっているからだった。
「どうして……」
 独白し、小太郎は遥か頭上の巣を見上げた。彼が半日かかってようやく一周できるほどの幹、視界いっぱいに広がる枝、サワサワと太陽の光を透き通らせて輝く葉、以前は素晴らしく思えた景色が、今は彼の全てを拒絶しているように見える。
 事実、巣に戻る手段はなかった。
「ママ、どうして……」
 もう一度つぶやいた彼の声を、突風が掻き消していった。
 思わず羽を広げ、全身を翼で包み、風から守ろうとする。しかし、それは完全には成功しなかった。
 突風をまともに受けた右側の翼、小太郎のものはひどく矮小で、羽ばたくことすらできなかった。
「うぅ」
 目を瞬かせる。ミニチュアのような羽では埃を叩くことすらできない。彼は飛ぶことのできる月齢には達していたが、その奇形のために空を泳ぐことができなかった。
 小太郎が丸一日、巣のある木から離れなかったのもそのせいだ。飛べない体では旅立つことも容易ではない。小さな彼の足では餌にたどり着く前に死んでしまうだろう。
 しかし――埃の入った目の痛みをこらえて、彼は思った。
「もう一度、巣に帰りたい」
 自分は駄目な鳥ではないのだと、きちんと一人で生きていけるのだと、母親を安心させたかった。母親が自分を捨てた理由も、そうして会いに行けばすべて氷解するし、事態も解決するのだと自分に言い聞かせた。
「絶対に、死なない」
 あの時のことを思い出して、小太郎は決意した。



 それは、小太郎がようやく咀嚼したものでない餌を食べられるようになってからのことだった。
「かわいい赤ちゃん、早く大きくなってね」
 そういって彼の口に虫を押し込む。母親は自分のために毎日餌を捕り、運んでくるのだということくらい知っていた。しかし彼はそれがどれだけ大変なことかは知らなかった。
「いいよ、僕、いらない」
「どうして?」
「僕の翼はこんなに小さいんだもの。どうせすぐに死んでしまうよ」
 その頃の彼は自分を必要のない生物だと思っていた。将来を諦め、死を願っていた。そんな彼をしっかりと見据え、母親は叱った。
「そんなことを言ってはいけないよ」
 くちばしで彼の頬を突付く。痛みをこらえながら小太郎は反論した。
「だって、どんなことをしても……例えどんなにたくさん食べても、僕は一人じゃ餌を取れない。いつか飢え死にしてしまうに決まっているよ」
 そう悲観する小太郎を、母親はもう一度突付いた。
 今度は、何も言われなかった。何も、言えなかった。
 その代わり、彼女は小太郎をその背に乗せた。彼も最初は嫌がったが、母親の顔があまりに真剣だったので言われるままになっていた。
「落ちないように、しっかりつかまっているんだよ」
「うん」
 母親の足が巣から離れる。網の目に広がる枝、覆いかぶさる葉を避けながら、しかし普段よりも重量のかかる飛び方に慣れていないのか、やや落下感が感じられる。いつもは隙間からしか覗けない陽光が、次第に幾筋もの柱となって親子に降り注いでいた。
 雲は頭上から圧し掛かって来るように層を増し、風がその階段を上り下りして遊んでいた。小太郎は初めて泳ぐ空気の層を感じ、心地よさに目を閉じていた。たった今まで悩んでいたことが一遍に吹き飛んでしまったかのようだった。だが、裏を返すとこの心地よさこそが小太郎の悩みの元でもあるのだ。そのことに、彼が気づくことはなかったが。
 純粋に風の音を感じている小太郎に、母親が話しかける。
「今から餌をとりに行くよ」
「え? でも僕がいるのに」
「いずれ知っておかなければならないことだよ」
 そう言って母親は急降下した。その向かう先には小さな羽虫が飛んでいた。風下からそっと近づく。太陽を背にし、羽虫から見ると逆光になる。明るい光に照らされ、親子の姿は見えないはずだった。
 しかし、勘がいいのか羽虫はすっと地上に逃げていった。母親は慌てて追いかけたが、小太郎が乗っている分、スピードが乗らない。それどころか、母親は荒い息を吐き始めた。
「ママ、だいじょうぶ?」
「ええ、大丈夫。今のはちょっと失敗」
 短く返答して、再び親子は虫へと挑みかかる。
 ――結局、一匹も餌が取れず、彼らは帰途に着いた。
 巣に着いた途端、母親は寝込んでしまう。
「ママ……」
「気にしないで、明日になれば治っているから」
 それでも小太郎は気が気でなかった。一睡もせずに看病する。まだ幼く、飛ぶことさえできない彼には傍についている事しかできなかった。
 疲れた顔をして、身じろぎもせずに眠り続ける母親を見て、彼は思った。こんな思いをしてまで僕を生かそうとしている母親、彼女が僕を生かそうと思っている間は生き抜こう、と。



 その母親が彼を巣から落とした。それが小太郎にとって死と同様であることは彼女が一番良く知っているのに。彼はその理由が知りたかった。毎日小さな翼を見ていることに疲れたのだろうか。それとも小太郎が憎くなったのだろうか。
 どちらでも良かった。小太郎は決心したのだ。生き抜くと。そして、これまで育ててくれた母親に礼を言いたかった。
 生かされている間は生きていこう、そう考えていた小太郎はそこにはなかった。いざ一人立ちさせられ、生死に直面したとき、彼の心に最も強く浮かび上がってきたのは『生きたい』という願いだった。
 まず、近くに餌がないかを探す。それは行動範囲を探索することと同じだった。よく見ると近くに低い木が生い茂っている林があり、その茂みには蜘蛛や小さな昆虫が潜んでいた。それらは彼にとって食指を動かされるものではなかったが、この際、贅沢は言っていられなかった。
 葉の裏や枝と枝が交差している部分、それらの見つかりにくい場所に昆虫たちは隠れている。片翼を丁寧に動かしながら、彼は食事を見つけていく。
「やった、ごちそうだ」
 丸一日、何も食べていなかった彼だ。今ならなんでも美味しそうに見える。捕まえた蜘蛛を恐る恐る飲み込んで、その苦味に舌鼓を打った。独特の文様が毒をイメージさせたが、幸い彼にとって害になるようなものは含んでいなかった。
「でも、もう少し獲物は選ぼう。死ぬわけにはいかないんだから」
 自分の軽率さを反省しながらも、次の餌に手をつける。アブラムシだった。
「ぺぺっ、なんだこれ」
 思わず吐き出してしまう。とても食べられた味ではなかった。先ほどの蜘蛛がビターな味だとしたら、こちらは泥を食べているようだった。ザラザラして舌触りも悪い。気がつくと、お腹の辺りが唸るように音を出している。
「うう、いたたた」
 どうやら食中りのようだ。下痢と痛みで立ってはいられない。



 そんなことを何度も繰り返しながら、小太郎は少しずつ行動範囲を広げて行った。半年が経つ頃には、もう巣のある木が見えない所まで来ていた。
 小太郎自身も、飛べないながらも生きていくことに自信をつけていた。危ない場面もあったが、もう一人で生きていける。しかし、空を飛べないことには母親に会うことは叶わない。強くなるにしたがって、彼は片方しかない自分の翼が憎らしくなってきた。
「こんな体じゃなければ」
 生きている方の翼をもう片方に叩きつける。何度痛めつけても、その状態が変化することはない。
「もう、ママには会えないのかな」
 そんな風に悲観することも多くなった。生きることに明るくなっても、気持ちは沈んでいる。そんな日々がさらに続いた。



 ある日、小太郎は初めての土地に足を踏み入れた。勇気を持って踏み込んだのではない。台風によって体が流され、仕方なく避難してきたのだった。
 風の猛威は、歩くどころかまともに前を見ることさえ許してくれなかった。飛ばされないように必死で枝にしがみつきながら、風雨が納まるのを待つ。
「手を離したら死ぬな」
 独白しながら、半ば死を覚悟した。しかし、死ぬわけにはいかない。彼の生への執着は、この場から離れることを求めていた。ここでは駄目だ。もっと遠くまで逃げないと。彼はそう感じて枝を伝いながら他所に移ろうとしていた。
 遠くから、叫び声が聞こえる。小さな小さな叫び声だった。風雨に掻き消され、微かにしか聞こえないが、確かに誰かが助けを求めていた。
「誰だ、こんな時に」
 小太郎には、助ける余裕などなかった。一瞬でも気を緩めれば、自らの死を招いてしまう。気にしないように努めながら、小太郎は先へと進んだ。
「ああぁぁぁぁ」
 よりはっきりと、声が聞こえる。こちらに近づいてきているのだ。そのために心が疼くのを彼は感じた。他人の死と引き換えに自分が生きることは、正当だろうか。そうした考えが一瞬だけ頭をよぎったのだ。
 そうなると彼には見捨てることができなくなっていた。
 声のする方を見ると、確かに何かが飛んでくる。数秒の内によりはっきりとしてきたものを見ると、それは小太郎と同じ鳥であった。
「同種……飛ばされている」
 ぼんやりとつぶやいた彼は動いていた。地面に這いつくばるようにして目標に向かう。風が螺旋を巻いて彼に襲い掛かってくる。小さな枝の破片、葉の屑、土埃などが狙ったように小太郎の体を削いでいく。それに負けじと、さらに姿勢を低くする。
わずかずつだが、小太郎は前に進んでいた。相手はすでに地面に伏し落ち、全く動かない。
「うわっ」
 一直線に、枝が牙をむいた。とっさに転がり、避ける。転がった方向は左側、枝はまっすぐに右の羽へ突き刺さった。
「ぎゃあ」
 痛みに耐えかねて、小太郎は叫んだ。しかしその声もすぐに風でかき消される。突き刺さった枝も、風雨の勢いで飛ばされていった。地面をつかむ足の力が抜けていく。誰かを助けるどころか、小太郎自身も危うい状況だった。
「あっちも、もう動かないし……」
 きれぎれに思う。張り詰めていた気持ちが解け、彼自身の未来をも諦めようとしていた。ふ、と目を瞑れば、そのまま空に飛ばされて行くはずだ。人生の最後に空を飛ぶのも悪くない、彼はそう考えた。
 だが、それは許されなかった。
 死んでいると思っていた小太郎の同種が、かすかに動くのだ。顔を上げ、小太郎を見、助けを求めるように体を起こす。
 その瞬間、小太郎は跳ね上がるように顔を上げた。
 その鳥の羽が、削がれていたからだ。
「僕と同じ――いや、違う」
 小太郎は首を振った。その鳥のこれからを思って。
 その鳥の羽はたった今、千切れてしまったのだ。先刻、小太郎が飛んできた枝によってそうなったように。その証拠に、傷口からの鮮血が風に流され、赤い幕を引いていた。
 死をも覚悟で歩みを進めていく。近づいて行くに連れ、その鳥が雌であることが分かった。青く、濃い色の羽を持つ小太郎と違い、薄く黄色い羽をまとっていた。それだけに血の赤が痛々しい。
 あと少し、その時点で小太郎は彼女に声をかけた。
「頑張れ、あと少しで助けるから」
 実際は、小太郎の歩みは遅く、その距離はほとんど稼がれていなかった。近づいていたのは彼女の方だったのだ。風雨に流され、体が転がる度に傷みを訴えているようだった。
「ううん」
 返事なのか呻きなのか判然とはしなかったが、小太郎はそれを良い傾向だと見て取った。まだ痛みを感じ、声を出す力があるからだ。
 一歩、彼が歩を進める。一転がりする彼女が右翼を彼に伸ばす。それに応えるように、彼も羽を伸ばした。あと一歩、あと一歩とつぶやきながら、小太郎は目の前の彼女だけを見ていた。
「届いた」
 両の羽がつながった。二人とも心を緩め、しっかりと瞳を通じ合った。お互いに傷みは激しいが、これ以上ない安心に包まれていた。小太郎の先導で転がるように木の洞に身を隠した。
 彼女は憔悴しきっていて、肩で息をしている。だがここには彼女の疲れを癒すだけの食糧も寝床もなかった。激しく降り込む雨は羽毛で覆われた体を冷やしたし、洞に共鳴する風の音は心の余裕を失わせていった。
挫けないように、諦めてしまわないように、二人は体を寄せ合い目を閉じた。


 小太郎が目を覚ますと同時に、彼女も目を覚ました。
 昨日の嵐が嘘のように、陽気な風が洞に流れ込み、鳥たちの声が反響した。歓喜の鳴き声を聞き、二人は同じ瞬間に息をついた。それがおかしくて、どちらからともなく笑い出す。
「初めまして、私は洋子です。昨日は助けてくれてありがとう」
「僕は小太郎だよ。必死だったからよく覚えてないけど、助かって良かった」
 お互い、初めて言葉を交わした。洋子と名乗った鳥は小太郎と同じくらいの年齢で、親元を離れて一人暮らしを始めたばかりだった。小太郎も自分の境遇を話そうとして、ふと思い当たった。
 洋子はまだ、自分に起こった出来事を知らないのではないか。片翼を無くし、もう二度と飛べない体になった。そんな、鳥類として致命的な欠陥を彼女は受け入れることができるだろうか。自分のことを棚に上げて、小太郎はそう思った。
「僕は――親に捨てられたんだ」
 だが、それでも小太郎は正直に自分の境遇を話した。今隠しても、彼女が羽を無くした事実はすぐに分かることだ。ならば、自分のことを話して少しでも彼女の恐怖を和らげ、これからの糧にしてもらいたい。
 小太郎の話を、洋子は真剣に聞いてくれた。奇異の目で見たり、蔑んだりはしなかった。逆に彼に対して尊敬の眼差しさえ向けてくれたのだ。
「僕のこと、馬鹿にしないの?」
 むしろ彼の方が疑問に思ってしまった。彼が出会った鳥たちは、決まって「飛べない鳥」と馬鹿にしたからだ。そんな彼の質問に、洋子は寂しそうに笑って答えた。
「私にとっても、他人事じゃなさそうだしね」
 その言葉を聞いて、小太郎は言葉に詰まった。あえて逸らしていた部分に視線が向かう。洋子の左翼は出血こそ止まっていたものの、完全に消失していた。そして、小太郎の右翼も、今までのように矮小ではなく、完全に削り取られていたのだ。
「あれ?」
 そのことに最初に気づいたのは洋子だった。彼女自身、昨夜の痛みをはっきりと覚えていたので、おかしいと思ったのだ。
「そういえば、傷口が痛まないんだけど」
「え?」
 言われて弾けるように体を起こした小太郎は、その仕草がいつものようにいかないことに気づいた。体が重いというか、引っ張られるような感覚を覚える。
「あれ?」
「あれれ?」
 気づくと、小太郎が起き上がると同時に洋子も起き上がっていた。二人とも顔を見合わせて原因を探る。そうするまでもなく、答えは見つかった。
 小太郎と洋子の傷口は縫い合わせたように合致していたのだ。



「私が飛ぶ練習をしていたとき、お母さんはこう言ったの。洋子、飛ぼうと思うんじゃなく、空に身を任せてごらん。風はいつでもお前を受け止めてくれるよ、って」
 バタバタと翼を羽ばたかせるばかりの小太郎に、洋子はそう諭した。いったん翼を休めて、小太郎は洋子を見つめた。
「洋子のお母さんは優しいんだね」
「そんなことないよ。いつかなんて私がちょっと掃除の手伝いをサボっただけで、三日間も餌捕りを任されたんだからね」
 元気になってみれば、洋子はよくしゃべる鳥だった。小太郎は生来の奇形が由来して、塞ぎ込みがちなのだが、それを補って余りある黄色いくちばしだった。
「でもそれは、君に餌捕りの練習をさせるためなんでしょう?」
「そうかなあ……」
 口籠もる。このように、どちらが思慮深いかと言われれば、誰もが小太郎を挙げるだろう。そういった点でお似合いの二人だった。
 あの日、小太郎の失った右翼と洋子の失った左翼を補うように、二人の体は癒着してしまっていた。特に感染症や腐敗を起こすこともなく、数日後には行動が可能になっていた。
二人は、お互いの体を合わせて、完全な翼を持つ一匹の鳥となっていたのだ。
だが、だからと言っていきなり飛べるわけがない。小太郎は飛ぶ訓練自体をしたことがなかったし、洋子にしても体のバランスが崩れていて上手く羽ばたけなかった。つまり二人は一匹の鳥となってはいたが、一人前の鳥とは言えなかった。幼い頃、誰もがそうするように、飛ぶ訓練が必要だったのだ。
「絶対にそうだよ」小太郎は声を荒げて言った。
「母親ってのはね、子供を自分の奴隷のように使ったりなんてしないんだよ。むしろ、自分の危険を顧みず、子供のためを思っていつも行動しているものなんだから」
 珍しく、小太郎が饒舌に語る。その様子を見て、洋子も驚いたようだ。
「小太郎はどうしてそんなにお母さんのことを信じているの?」
 捨てられた、と彼は言っていた。洋子には想像のつかない辛い思いがあったに違いない。体は共有しても、心は別だ。彼女には小太郎の矛盾した言動が分からなかった。母親を凶弾するのならば理解できるのだが、彼はいつも母親という存在をかばっていた。
「それは、僕がママに生かされていたからだよ」
 小太郎は思い出を語った。自らの体を酷使してまで小太郎に生への執着を教えた母親。洋子には厳しすぎるようにも思えたが、今の彼があるのはその厳しさのお陰なのだと思うと、否定はできなかった。
「小太郎は、お母さんを恨んでないの?」
「恨む? どうして?」
「だって、捨てられて……」
「それは違うよ。きっと理由があったんだよ」
 洋子には、小太郎がそう信じ込もうとしているようにも思えた。だが、小太郎の瞳には一瞬の迷いも、幽かな憂いも見当たらない。
「でも……」
 なおも問い詰めようとする洋子に、小太郎は言った。
「飛べるようになったら、一番に自分の巣に戻りたいんだ」
 希望に満ちた目で小太郎は宣言した。
「ママに、僕の成長した姿を見てもらいたいんだ」
 それ以上、洋子には何も言えなかった。



 ついにその時は来た。
 自らの力で初めて飛べた日、小太郎の喜びようは異常にも見えた。傍らに洋子がいなければ、死ぬまで地面に下りようとしなかったに違いない。
「小太郎、小太郎ってば」
「なんだよ、君はこの幸福感が味わえないの?」
「嬉しいのは分かるけど、私もう疲れたよ」
 どこまでも高く飛ぼうとしたり、どこまで早く飛べるか確かめたり。洋子も初めて飛べたときはずいぶんと嬉しかったが、それに比べても小太郎は喜びすぎた。普段が普段なだけに、より奇異に見える。
「まあ、嬉しいのは本当に分かるんだけどね」
 飛べたくても飛べなかった鳥。種族として存在を否定されたかのような事実に、彼は今勝ったのだ。そういった意味では、小太郎はたった今、生まれたのだ。
 それからさらにしばらくが経って。
彼らは小太郎の巣へと向かうことにした。重量が倍になっているため、長時間の飛行は難しいが、一人前の鳥として遜色ないほどには飛べるようになったのだ。小太郎が長い旅をしてきたとはいえ、鳥類の足で歩いてのこと。空を飛んでみて、小太郎は自分の旅がいかに小さいものかを思い知らされた。同時に、翼の偉大さ、素晴らしさに感心もしたのだ。もう彼は後ろを振り向いたりしなかった。どこから見ても一人前の鳥だ。誰にも文句は言わせなかった。
「ありがとう、洋子」
 巣へと向かう途中、小太郎は改まって洋子に礼を言った。
「なんなの、今さら御礼なんて」
「洋子のお陰で、僕の願いが叶った」
 目にはうっすらと涙すら浮かべていた。そんな小太郎の言葉を、彼女は否定する。
「それは違うよ。小太郎が飛べるようになったのは小太郎の努力の賜物だよ。私こそ、小太郎に助けてもらわなければ、今頃死んでたよ。お礼を言うなら私の方だよ」
 しばらく、礼のなすり合いが続いた。それがおかしくて、二人して笑った。一人ではない世界がこんなに素晴らしいものだとは、小太郎は夢にも思わなかった。思えば、母親も一人が怖くて僕を必死に生かそうとしていたのかもしれないな、そんなことを小太郎は思った。
 小高い丘を越えて、針葉樹の森を低空飛行で抜ける。その度に小太郎は旅での出来事を洋子に語った。いまや洋子は、小太郎にとって精神も肉体も共にしたより良き半身だった。
 小太郎の思い出を聞く度、洋子は胸を痛めた。彼の辛さ、苦しさを自分も味わっているような気持ちになった。しかし小太郎はそんなことにお構いなしで話してくる。彼の口元には笑みすら認められた。そうやって共有していく作業を小太郎は喜んでいるようだった。
「まったく、迷惑なのよね」
 洋子はつぶやいた。じわじわと味わってきた小太郎に比べ、洋子は話に聞くだけとはいえわずかの間に体験するのだ。心が張り裂けそうだった。
「何か言った?」
 小太郎が独り言を聞き留めて問いかけた。慌てて洋子は首を振る。誤解はして欲しくなかった。迷惑とは言ったが、小太郎が嫌いなわけではない。彼女はこう思ったのだ。どうせ共有するなら、一緒に体験したい、と。
 針葉樹の森を抜けると、すぐに一本の高い樹木が見えた。天に向かってまっすぐと伸びていくような、気高い木だった。
 枝はあくまでも広く、その上に住むものを優しく包んでいるように、洋子には見えた。
「あれが、小太郎の巣のある木なの?」
「そうだよ。あの中腹に僕の巣はあったんだ」
 巣から落とされたあの日、見上げることしかできなかった樹木を、今は俯瞰している。そうして空から見ると、あれほど壮大に見えた木が、どこにでもある樹木と同じようにも見えた。それが錯覚だということは、近づけばすぐに分かったのだが。彼は気が大きくなっていたのだ。成長し、一人前として母親の前に出ることができるため、自分がどこまでも大きくなっていくような気がしていた。
 巣のある場所が近づいて来る。
 網の目のような葉を潜り、太い細い枝をかわしていく。
 巣が見えた。
 もう手に取れるほど近くに、それはあった。
「待って」
 その瞬間、洋子が小太郎を留める。
「なんでだよ」
 小太郎は強引に進もうとした。それを無理に洋子が押し留める。
「行くのはやめましょう」
 その場に留まった小太郎が、訝しげに洋子を見る。
 洋子は泣いていた。声も上げずに、静かに泣いていた。
「洋子? ……そうか」
 ようやく、小太郎は悟った。それでも、ゆっくりと巣に近づいていく。今度は洋子も遮ることはしなかった。葉と葉の間に隠れた巣を、斜め上から見下ろす。
「さっきね、一瞬だけ見えたの。葉が風で揺れて……その間から……」
 弁明するように洋子が語っていた。だが、小太郎に声は聞こえていない。目に映った物体を、静かに凝視していた。
 優しかった、強かった母親。その干からびた屍骸が、目の前にある。
 小太郎には、その情景が見えるような気がした。小太郎を巣から落としたあの時の。



「ごめんね、小太郎」
 母親は、彼の顔をもう長い時間見つめていた。話せば別れが辛いことは分かっていた。だが、何も伝えずに分かれて、果たして彼は生きていけるだろうか。自暴自棄にならないだろうか。
 それでも、彼女には信じるしかできなかった。彼女には残された命がないのだ。
 小太郎が負担になっていなかった、と言えば嘘になる。元来病弱な彼女にとって、いつまでも飛び立てない小太郎は次第に重荷になっていた。
 体力が落ち、このところ餌も取れていない。このままでは双方とも飢え死にすることは間違いなかった。
 だが、小太郎だけなら。
 小太郎だけなら地面の上で生きていけるかもしれない。可能性は少ないだろうが、全くないとも言えない。この巣にいれば、飛べない小太郎は間違いなく死ぬ。
「ごめんね、小太郎」
 もう一度話しかけて、彼女は小太郎を巣の縁に押し上げた。最後にもう一度だけ顔を見て、突き飛ばす。彼女は小太郎の将来を悲観し、投げ落としたのだ。
 落ちていく小太郎をいつまでも見続け、彼女は泣いた。地面までは豊富な葉が運んでくれるだろう。後は、彼に生きる意志と力があるか……。
 所作を終えた母親はがっくりと項垂れた。体中の力が抜けたかのように仰向けに寝転ぶ。
 頭上には視界を遮る枝葉と、その隙間から覗く一筋の光が見えた。
 それは、天への道のように感じられた。
 彼女は自らの安寧ではなく、息子の平穏を願った。




========================
キム兄です。
ごめんなさい。
短くするとか言っておきながら無茶苦茶長くなりました。
その分、少々文章を柔らかくしてみましたがいかがでしょう?

皆さんの正直な感想をお待ちしています。
by 木村 勇雄 2006.06.10 17:17

RE:願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
ども、西(短縮形)です。

読みました!

こういった動物擬人化ものを読むと、頭の中にみ○しごハ○チのテーマが流れますw

レベル高すぎて他に言うことありません(^^;
次回作にも期待です。
by 西向く侍 2006.06.10 17:17 [5]
RE:願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
瓜です。
そーですなー。
まあ、面白かったですよ。

擬人化に関してはそんなに気にならなかったです。
ただ、コジロウとヨウコがくっつくところがちょっとって感じでした。

最後の段が良い感じに余韻を残して良かったです。
by 瓜畑 明 2006.06.05 20:49 [4]
RE:願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
かつて、ミツバチはハッチだったんですが。

キム兄です。
どうも、直さん、日原さん、感想ありがとうございます。

直さん。
うん、確かに名前は難しいですね(泣
実は洋子が登場するまで、洋子って名前は決まっていませんでした。
いわゆる適当ってやつです。
でも、ピッピとか付けたくなかったしなぁ(笑
突っ込みどころがあったら、どんどん突っ込んでくださいね。

日原さん。
擬人化が過ぎてますか。
確かに書いているときは鳥とは意識していませんでしたね。
鳥らしく書くのはそう難しいことではないんですが、そうすると作品として成り立たないんですよね。
加減が難しいところです。

全体的に、まだまだ勘が取り戻せていないなあ、という感じがします。
次の「月」では多少マシになっているかな。
期待していてください。
by 木村勇雄 2006.06.03 20:06 [3]
RE:願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
どうも、直です。

良かったです。それ以外に言う言葉が見つかりません。
ただ、確かに人間っぽすぎますね、表現とか、描写とか。あと、小太郎は許せますけど、洋子は……。だからと言っても、鳥らしい名前って言うのも分からないんですけど。

とはいえ、秀作だと思います。
では。
by 2006.06.03 00:19 [2]
RE:願い(裏テーマ企画「片方だけの翼」)
 こんばんは。日原武仁です。
 拝読しました。
 良い話です。ただ少しばかり擬人化が過ぎたかなぁ……、という気がします。鳥らしいというか、もう少し別の見方が出てきてたらよかったかな、と思いました。
by 日原武仁 2006.06.01 21:23 [1]
No. PASS


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