カプリチオ8号  

雨の音がきこえる

          

吉田 たか子

 郊外を走る私鉄電車が鳴らす警笛のメロデイが、私が仕事をしている店の調理場にいつものようにきこえてきます。  この沿線も二十数年のあいだに、すっかり開発され、のどかな田園地帯だった面影は、生田のあたりに残っているだけです。新宿に近いこの町のある駅、その木造だった駅舎も立派になり、かつては雑木林に囲まれていた郊外の静かな町も、ありふれたベッドタウンの一角と化してしまいました。 「ここだけは、昔と変わらない。ほっとするね」  ふりむくと、太ったビジネスマンが、部下らしい若者とカウンターに座っています。 「ああいう骨格のある芝居書けるひと、もう出ないよね。ジョージさん、亡くなって何年になるかな」 「……十年かしらもうすぐ」  私は、その客にコーヒーを運びなから、つぶやくように答えました。  時代にとりのこされたような古びた喫茶店、〃ジョージの店〃。いっけん変わらないものにある人は安らぎを見出し、昔のままがよいなどと勝手なことを言い出します。また、別の人々の目から見れば、ここに現代にそぐわない薄汚い建物が残っているというのかもしれません。  この世に変わらぬものなど決してありえないと思います。時間は、風景から瑞々しい色彩を根こそぎ奪い取り、人の記憶さえも砂のように風化させてしまいます。まして十年二十年という歳月は、私にとっては半端なものではありませんでした。  二十年前の雨の深夜、幾人かの友達に連れられて初めてこの喫茶店に来ました。そして今、私はカウンターのなかで働いています。あの日、この店の主人ジョージさんとの出会いがなければ、私の歩いた道はもう少し違っていたでしょう。  後ろを振り返ると眩暈がするほどに、変わったのは何より私自身なのでしょう。 「順子さん、雨が降ってきましたよ」  出前から帰ってきたアルバイトの女の子が、大袈裟に服についた水滴をはらっています。 「雨でも今日は金曜日で給料日よ。五時から忙しくなるわ。今のうちに食事して」  私は、さっきつくったオムライスを客のいない奥のテーブルにおき、カウンターの中に入って溜ったカップや皿を洗います。毎日がめいっぱいの忙しさで、考えこむいとまもなく私にはそれが、心地よくさえあります。  店は内装もメニューも以前と変わらず、音楽を流すようになったことだけが、変わりました。ジャニス・ジョプリン、ジミー・ヘンドリクスなど、いまでは古典になってしまったロックをかけ、それを珍しがって来る若い世代、懐かしがる中年客、といろいろです。  雨のためいつもより暗い夕暮れの町から、会社がえりらしい常連の三人の女客がきて、カウンターに座りました。   壁に貼ってある次の公演のポスターを見て、春の鳥が囀るようにひとしきり喋っては笑い転げています。若い男優の誰かを追いかけているらしく、その人の役がどんなものに決まったのか、私に質問しては、また大声で騒いでいます。私はもう少し静かにしてくれるように他の客の手前注意します。  こうして家庭も子供もなくても、若い人たちと笑ったり喧嘩したり、芝居を語ったり、悪くないなと思うこともあります。                          私が初めてこの店にきたのは、彼女たちと同じくらいの十九歳の頃。劇団の公演が終わった打ち上げの帰りでした。当時は横浜に住み、もう電車がなかったのです。  男の子ばかり五人の後に私はついてきました。皆は大騒ぎで店のシヤッターを叩き、しばらくして綿入れの半天をきた年寄りじみた人が出てきました。「女の子は連れてきては困る」とその人は言って私を怖い顔で睨みました。私を誰か一人の恋人だと誤解したようでした。その人が劇団の以前の座付作者斎藤丈二氏でした。 「こいつは、相田順子ちゃんで、今年入った研究生です。男みたいなやつですから、階下の椅子の上でねます」     皆は二階に上がってゆき寝てしまったようです。私は、店内を見回してみました。古風なよいつくりの喫茶店で、飴色に磨き上げられたカウンターの上には何も載っていません。私は、そこの背もたれのない丸い椅子にすわって店内を見回していました。 「きみ、明日は学校か勤めにいくの」 「いいえ、会社は休みです」 「そう、では無理に眠らなくてもいいんだ」  ジョージさんは、笑うと少し優しい顔になりました。美男子とはいえず、彫りの深いおおづくりな顔だちは、猿に似ていました。良く見ると意外に背が高く、白っぽい皮膚は欧米人の血が混じっているのかなと思いました。年齢は分らないのですが、五十ちかくでしょうか。  会社でも劇団でも力仕事をしているから、腕が段々太くなると言うと、彼は信じられないと言うふうに笑いました。今日の戯曲をどう思ったか、これからどんな企画があればいいと思う、などときいて、私のおしゃべりに楽しそうにうなずいていました。話しがとぎれたとき、彼は、ほっそりして小さい綺麗なグラスを私の前におきました。 「あらこれ、何というグラスですか」 「リキュールグラス。眠り薬が入ってるから早く寝なさい」 透き通った色の果実酒はどんな女の子でも好きになるような味でした。私はようやくとても長かった今日いちにちが終わった気がして、眠くなり、毛布にくるまって椅子の上で浅く眠りました。すぐに眼がさめました。  起き上がる気にもなれずそのままじっとしていると音楽がきこえます。兄がよくかけていたので、バッハだということはわかりますが、題名は知りません。フルートの旋律が、とぎれてはまた続く雨の音のように澄み切った寂しい歌をきかせています。暗くなった店内に一箇所だけ明りが着いているところがあり、ここからは良く見えませんが、そこでジョージさんがものを書いているのでしょう。この人はいつもこうして人の寝静まった時刻に、架空の世界をつくる仕事をしているんだと思いました。  別にどうと言うこともない出会いなのに、それからジョージさんの全てが気になりはじめました。  私の生活は、昼間は高卒後すぐ入った広告会社の事務員で夜になると週二回稽古場にゆきます。とりえは、力仕事とセリフを誰よりも早く覚えることだけなので、便利なプロンプターと代役屋でした。どうせ女優と言うタイプではないのですが、自分が単なる辛抱づよい馬鹿なのだと思うとむしょうに腹がたってきました。  ある日、若い演出家が主演の女優にくどくどと怒っていました。劇中劇の場面で、私は観客の一人の役で椅子にすわっていました。  女優は何度もセリフをくりかえしますが、OKはなかなか出ず、先にすすみません。湖の妖精が語るこのセリフが私は大好きです。 『わたしは孤独だ。百年に一度だけ、わたしは口をあけて物を言う。そして、わたしの声は、この空虚のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はいない』  女優と言ってもアマュア劇団ですから私と同い年の女子大生です。プロポーションも顔も美しくのびのびしています。しかし私は叱られている彼女に少しも同情はしません。必死に食い下がってセリフを自分のものにしようという意気込みが感じられないのです。 「ちょっと順子ちゃんに言ってもらって、ニーナのセリフあたまっから」  恋人役の神経質そうな男優が、いらいらしながら言いました。 「よけいなこと言わないでよ演出部でもないのに」と私はどなりました。私が大声を出したのは初めてなので、皆驚いてしんとなりました。 「どうして私が彼女を手伝わなきゃいけないの。私は便利屋じゃないのよ」  体じゅうが怒りと悔しさで震えました。立ち上がって女優のところへ行き、 「あんたは言葉がわからないでしょう。この役は、恋人が命を懸けてつくった言葉を食べ尽くして美しくなってゆく悪女よ。男の人たちに甘えるだけではわかりっこないわ」と言いました。  台本もノートもほおり投げて、稽古場の外に出ました。誰も止めません。ビルの階段を降りようとして下からきた誰かとぶつかりました。ジョージさんでした。私は走りだしました。路地から路地へと、めちゃくちゃに人のいない場所をさがして……。  薄汚れた都会の裏道は私の故郷の町に似ていました。何を意気がっているんだろう、ごみみたいな町にごみみたいに消えると思えば簡単じゃないかと思いました。自分が決してなれない女優という存在そのものに嫉妬しているんだとわかりました。低い声田舎くさい顔立ち、痩せた貧しい体、歌も踊りもできない不器用な動作。女優になれないとわかっていてなぜ芝居に固執するのかと私はわけもなくくやしく、そのくせ自分が何をしたいのかまだ掴めないでいるのです。  暗い街路で、私が止まると、後からついてきたジョージさんも止まりました。私はふりむいて、ジョージさんの体にしがみつき、黙ってしばらく泣いていました。  ほんとうに、時間にすればわずかの間でした。彼は、邪険ではなく私からゆっくり離れました。上着のポケットからハンカチを出して顔を拭いてくれました。その仕種は手なれていて、舞台裏で、メイクを手伝うときのようでした。 「私は、これから稽古場に打ち合わせに行くが、話しがあるなら、店で……」 「行ってもいいですか」と私がきくと、ポケットから鍵を出して渡し「歓迎はしない」と笑いました。  歓迎しないってどういうことだろうと私は、一人になって考えました。男女の感情にならないでいられるならば、来てもかまわない。勝手にそう解釈してみました。  彼に別居している女優の奥さんがいるのを知っています。私たちの劇団などとはかかわりないプロの世界できちんと仕事している永井芙美さんという女優です。女友達もきっと大勢いることでしょう。すべて知っているから、釘ささなくってもいいのにと思いました。 「そんな寝かたしたら風邪ひくよ」と起こされて、私は夜中に眼をさましました。彼の帰ってくるのを待っているうちにテーブルにうつぶせになって寝ていました。 「おそくなって、すまなかった。カウンターに来てコーヒーでもどう」  私は、洗面所に行って顔を洗いましたが、眼の腫れはひきません。 「演出部の野島からきいたが、別にどうってことないじゃないか。言いたいこと言ったほうがいいよ、おたがいに。もう少し待っていれば、相手が何というか、きけて面白かったのに。まだそんなゆとりないか」  溜め息をついて私はコーヒーを飲みました。 「きっと私なんか役者に向いていないんです」 「その言い方はおかしい。自分の意思でものを言いなさい。きみは、やりたくないんだろ、役者。しかし言いたいこと言って、引き下がったら負けさ。その後、体中の力を使っても一歩前に出るんだ。営業部の事務を手伝ってみるか」  私は首だけで、うなずきました。 「うん、よし、そうしよう。まあ、それでしばらく……かまわないだろう」 ジョージさんは、言いながら、調理場の隅にある手製らしい小さな机のところへ行きました。私は、奇妙なひとりごとをきいて、思わずふきだしてしまいました。 「なんだよ。もう笑っている」 「だっておかしいんだもの。いつもひとりでぶつぶつ言いながら書いてるんですか」 「そうだよ。ものかきなんて、一種の気違いさ。ちょっとこれ読んでみてくれる、大きい声だして」  二百字詰めの原稿用紙に書かれた父と子の会話を私は、読みました。 「これね次の公演に使うかもしれない。シルレルの『群盗』を日本の時代ものにしてみたんだが」 「面白そう、舞台は吉野ですね。『群盗』は男ばっかりで、女は主人公の婚約者ひとりでしょう」 「うん、たまには、そういうのもいいかな」  私は、それからジヨージさんの指摘するセリフをつぎつぎに読んでみました。二人でああでもないこうでもないと言いながら、書き直してゆきます。どんなに強く反論しても、決して受け入れてもらえないときもあれば、ひとことの提案を面白がって使ってみる場合もでできます。私は、彼の書いたあらすじのノートをめくり直しながら、すぐに右あがりの癖のある筆跡をどんなに崩した字でも読み取れるようになりました。  いつか、夜が明けてきたようで、微かに小鳥の声がします。私は椅子にもたれて居眠りをしていると、ずっと遠くの方で音楽がきこえました。以前雨の日にここできいたバッハの曲のようでした。この曲の題名をきかなくてはと思ってるうちまた眠ってしまいました。  こんなことがあって、私は稽古場に行かなくなりました。別の場所にある劇団の事務所にときどき寄り、広告の制作や切符の販売を手伝うようになりました。ジョージさんと会うこともほとんどなく劇場のロビーでそれぞれの友達と一緒にすれちがうときがあるぐらいです。私は無言で会釈し、ジョージさんは「かたつむりくん、元気でいるかい」と言いました。  劇場の中にある狭いバーで、美しい女たちに取り巻かれているジョージさんは、別人のように華やかに笑っています。私は、その表情を見逃すまいと必死に追っていました。 「順子、何ぼーっとしてるの、皆が、受付けでさがしていたよ」  友人に背中を叩かれて、私は我にかえります。芝居がはじまっても、何だか少しも頭にはいりませんでした。    ビートルズが解散してから、世の中はますます物だけが豊かにめまぐるしくなってゆきました。私はそんな世の中全般を、距離をおいてながめるようになってきました。  勤め先の広告代理店に、いったい何の商売で儲けているのか不明な若い起業家や、何度きいても覚えられないカタカナ職業の人々が出入りし、ブンカやゲイジュツを語ります。  応接間のソフアーに座って社長と話している彼らにコーヒーをいれながら、好きになれない人種だと思いました。こういう世界の端で働いていても、けっして染まりたくはないと感じるのです。  ほんもの、飾らない良質なもの、ごくわずかなそういう人もものも、見分けることさえ難しくなりそうです。  演劇の世界も急速に変わり、テーマを盛ったものよりも、コミカルなものパロディ風のものが受けるようになり、多様な劇団がいくつも生れ、プロとして小劇場で大入りを呼んでいました。  芝居だけはまめに見て歩き、年下の世代の作品に感心させられたり、がっかりしたりしていました。いつしか会社でも劇団でも古株になり、それにしても、猫のヒゲほどの貫禄さえも身につかない私でした。帳簿の上にうつぶせになって眠っては、上司に物差しでぶたれ、倉庫の紙屑に隠れて本を読んだりするような社員でした。  ある日、営業車が事故を起こし、私が営業マンの代わりにラジオ局にコマーシャルのテープを届けました。会社の〃おつかい〃で都心にくることはよくありますが、その日はなぜかそのまま帰りたくなくなりました。電話で仮病を使い早退することにしました。 「きみの腹痛は、芝居を見れば直るんだろ。明日は出てきてくれよ」と上司がいやみに笑いながら、電話を切りました。  私は花屋へいき、ピンクのバラを買えるだけ買いました。地下鉄を乗り継ぎ、郊外電車の走る駅で降りて、ジョージさんの店へ向かいました。  彼は出版社の演劇賞を三度目に受賞したばかりでした。劇作家として一般にも名が知られはじめ、プロの劇団がその作品を上演することも増えてきました。いまや、座付き作者どころではありません。しかし、私は知っています。彼の生活が変わらないことを。昔どおり、マイナーである古巣の劇団を大切にし、地方公演にまでついてゆくことを。この喫茶店の二階に今も住んで、夜になるとほとんど飲みにも行かず原稿を書いていることも。  変わらない彼に会いたいと、心のそこから思いました。それは、私の彼に対する気持ちも何年たっても変わりようがないことを確かめたかったのです。  四時過ぎたばかりなのに店にはシャッターがおり本日臨時休業と張り紙がしてありました。裏口のドアを叩くと、スーツをきたジョージさんがでてきました。外出先から帰った様子です。私を見ると少し驚いた様子でした。 「あれ、どうしたの」 「会社の用事で、赤坂まできて、もう横浜へは帰らなくていいんです」 「そう。よかった、私も今帰ってきたんだ。店長の鈴木くんが結婚式でね。きみも花もってるな」 「これはあなたに、受賞のお祝いです」 「あ、ありがとう。近くに飯でも食べにいこうか。披露宴に行ったが、ああいうハイカラな料理は苦手なんだ。ちょっと待ってて」  私も一緒に店に入りました。結婚式の土産の花と私の花。大きないくつかの花瓶が、花で一杯になりました。 「電気消さないでください。暗い部屋に置くなんて花がかわいそうです」 「うるさい人だね」  彼は私の顔を睨んで笑いました。その笑顔が私はとても好きで、見ているだけで幸せな気持ちになれました。  踏切を渡って駅の向こう側にある小料理屋へ入りました。カウンターに座り、ビールを飲みながら、彼は女将と喋っていました。プロ野球のこと、近所の店が閉店する噂などをぽつぽつと話しています。私はしばらく黙って運ばれてきた茶碗むしを食べていました。  この人は日曜日の午後、人気の無いこんな店で、一人で焼き魚を食べたりビールを飲んだり、葉が染まった欅の下を歩くのでしょう。近所の旧い寺まで散歩して、アイデアが浮かぶとメモしたり、また店に帰って店長と話し、材料の在庫をチェックして注文を出し、それから自分の部屋で本を読んだりするのでしょう。親しい物書きなどが来ると降りてきて話しをするのかもしれません。  華やかな舞台の上に自在に言葉をちりばめる才能を持っているこの人の実生活は、何の飾り気もなく淡々としていて、私はそこに心ひかれるものがあります。  客が立て込んできたので、私たちは店を出て、線路に添って歩きました。また雨が落葉と一緒に少し落ちてきたので、私の傘を差しました。 「きみは横浜だったよね。どんなところ」 「やたらと坂や階段が多くて、見渡しのきく場所へ行くにはまるで山のぼり。地名が傑作なんです。くらやみ坂、急坂、百段々なんて、何も考えないでつけたみたい。長い階段を登りきって高いところに出ると、海から風がふわっと吹きつけてとてもいい気持ち」 「私も大阪の中国人街で育った。きみの町と似ているかもしれない。種々雑多な人間が、それぞれ自己を主張しながら共存していた。風通しがいいところだった」  また踏切を渡って店まで帰りました。雨は、激しくなってきました。私は感傷的になれる雨の日が好きです。アパートの自室で窓を明けて雨の音をききながら音楽をかけます。音楽は、その日の気分によって選び、ジャンルは決まっていません。  今夜はどんな音楽が似合う夜なのでしょう。広い誰もいない店には、明りが灯ってバラの花がわずかに花びらを開き、甘い香りが微かに漂っています。私にとってこんな夜は、一生のうちに二度と来ないでしょう。欲張ってはいけない、と自分に強くいいきかせました。  ジョージさんは、黙って私の横に座り、ポスターの沢山張ってある壁をみつめていました。前においた、ロックグラスのなかでは、氷がかすかな音をたててぶつかりとけていきます。彼はもしかしたら、さっき話した故郷の町に吹く風の感じを思い出しているのかもしれません。ウイスキーはただ苦いと思うだけです。私はまだ若く、二十八です。深刻に酔ったこともありません。でも、何の望みもないこの人への片想だけは、直らない病気のように、二十代の時間を塗りつぶしてゆくのでしょう。  黙っていると、時間が焼けついて磨り減っていくように息苦しく、私は立ってテーブルに挟まれた通路にゆき、でたらめに踊りました。彼は、面白そうに私を見て、オーディオルームにゆきました。  セクシーなかすれた声で黒人の女性歌手がブルースを歌っています。彼は、機嫌良く私の手をとり正確なステップで踊ってくれました。彼にとってこのレコードも舞台で使った思い出の曲なのでしょう。「何て歌っているの」ときくと、彼は暗唱するように訳してくれました。 「……いろんな町をさまよい、いろんな男を愛したけれど、あなたがいちばん……」  私は、踊りながら彼の眼のなかを見つめました。茶色がかった澄んだ眼はただ静けさをたたえているだけでした。周りにいる若い男たちの粘りつくような視線がいつも嫌でした。私は、この枯れ木のように漂々とした中年男に魅せられて、何も眼に入ってこないのです。  テーブルを寄せて、ジルバを踊りました。床が音を立ててバラの花が散りました。そしてまた、しっかり抱きあうようにブルースを踊りました。それ以上は何もおこらず、私は最終電車で帰りました。  その年も暮れようとする頃、京橋に新しく完成した劇場の柿落し公演で、歴史のある新劇の劇団が、ジョージさんの戯曲をかけました。私は、劇団の営業部の人たちとともに、報道関係者が招待される特別席の切符をもらい、千秋楽にゆきました。  私は、すこし以前より、Jと言う匿名で、劇団の月刊誌などに演劇評を書かせてもらうようになりました。面白いと言う人、と辛辣すぎると言う人半々です。  同期で入った研究生はほとんどがいなくなり二三人がプロの俳優になりました。いつか劇団ではマネージャーの補佐役として、事務的な仕事の差配をするようになり、勤め先が代理店である地方新聞社にも横浜公演のスポンサーになってもらったり、芝居に関するささやかな仕事は私の心の支えでした。会社での雑用の山に埋もれるような辛さを忘れさせてくれました。  劇団の事務所にくる幾つかの『相田順子様』という封書の中に、ジョージさんの筆跡を見つけるとうれしくて、その日一日幸せな気持ちに包まれます。手紙ではなく、他の大きな劇団の招待券が数枚入っているだけです。ある日そのなかに『君の文章読んでいる』というメモが一度入っていました。  私はオペラグラスですぐに最前列に座っているジョージさんを見つけました。隣に座っている白いイブニングドレスの人は奥さんでしょう。顔を寄せて喋っている二人を見て、やはり仲のよい夫婦なのだと感じました。  芝居が、はじまりました。私は、彼の戯曲のなかで、これが最も好きな作品です。大正末期から昭和初めにかけてのアナーキスト、詩人、劇作家たちの青春群像を描いた舞台はユーモラスな中に、生き急いだ者達の悲劇が伝わってきます。  暗転の要所に彼の好きなクラシック音楽が、初演のときのまま、使われていました。パッヘルベルのカノン、モーツアルトのクラリネット五重奏曲、そして、ジョージの店に初めて行った夜に流れていたバッハの無伴奏フルートのためのパルティータ。  音楽には、不思議な力があります。あの時の雨の音まで、そしてさらに遠い過去の記憶まで、蘇らせてくれます。  横浜の旧い下町。川にそって小さな家や店が並び外国人相手の家具職人、洋服屋、肖像画の画家、英文手紙の代筆屋などが住んでいた私の生まれた町。どこへ行くにも橋を渡って歩いてゆけます。子供の私は手を引かれて祖母と川のほとりを歩いていました。川を挟んで両側には、二つの色街が細長く続いています。 「順子、雨の音だよ」私は驚いてあたりを見回しました。雨は降っていません。簾を深く下ろした二階の窓から三弦のつまびきがきこえました。 「あの音の中に悲しい雨が降っているんだよ」  祖母は、ぼんやりしている私を見て優しく笑いました。この祖母に何の悲しいことがあるのだろうと子供の私は思いました。私の父親の商売は順調で、祖母は何ひとつ不自由の無い未亡人です。 「私の好きだった男たちは、みいんなあの世に行ってしまった。こうして雨の音をきくと死んだあの人たちに会えるような気がしてくる。お前に言ってもまだわからないよね」   祖母が三弦のひとふしのなかで、恋人たちに再会したように、私も雨の日にきいた旋律……悲しみと孤独の根源にまで遡るあのしらべをきくたびにひとつの夢をみます。ふたつ並べた椅子の上で眠っている私の上にあの人がかがみこんで、耳元にくちびるをつけ「私はきみのことをずっと見ていた」と囁いているのです。  ふと気がつくと、舞台は終りに近くなっていました。幕が上がる時の期待は、うらぎられず、俳優たちの熱演にセリフのひとつづつが生きていました。幕が降りました。観客のほとんどの人が立上がりカーテンコールが繰りかえされます。若い座長が、「作者の斎藤丈二先生どうぞ舞台へ」と言うと 黒いスーノーネクタイのジョージさんが、上手の方から上がってきました。沢山の花を受取り笑顔を見せていた彼を私が公の場で見たのは、それが最後でした。  私の勤め先に聞き慣れない名前の人から電話がかかってきたのは、一月でした。吉村と言うその人は新しい店長だとわかりました。 「じつは、ジョージさんが、一週間前に倒れて、K大病院に入院しています。本人にきつく止められて、劇団の人たちには、誰にも知らせていません。店の仕事のことでききたいことがあればあなたにきくようにと、電話番号を教えられましたので、今日来てください」  私は、七時頃店につきました。忙しそうだったので、手伝うはめになりました。閉店後、帳簿の仕組みを説明し、業者などへの支払いや対応の仕方、銀行の振り込み用紙の書き方などを話しました。  吉村くんは、二部の学生で、今のところ学校は休んでいるるとこぼしていました。私がまっさきにききたかったジョージさんの病状については、最後になりました。 「朝くると、息ができないほど苦しいといって椅子に蹲っていましたのでタクシーを呼んで病院へ……。肝臓が悪いそうです。ほとんど酒のまないんですが。奥さんにも知らせてはいけないって言うんです。変な人ですよ。このメモをみてください」  開店の方法、閉店の方法、仕入れについて、注意することなどが、几帳面に二百字の原稿用紙三枚にびっしりと横書きで書いてあります。以前から用意してあったのかもしれません。  「寝ていても、仕事やいろんなことで頭が一杯みたいで。あっそうだ、これはあなたへ」  クリップで止めてあった細長いメモ用紙を渡してくれました。 『相田順子さんへ。吉村くんにいろいろ教えてほしい。会社で仕事しているのと同じように。この世界の人は何かとルーズな点があるので、私生活、商売にひとりも立ち入らせたくない。見舞いにはこなくてよい。心配しないで』  私は、ひとりも立ち入らせたくないという言葉に、ジョージさんのせつない叫びをきくようで、胸が痛みました。芝居という虚業と、店の経営者との間で、ストイックにバランスをとりながら、神経を磨り減らせていったのでしょう。  最後に、金銭出納帳と現金は毎日レジを閉めたときに合わせて、伝票は日付け順に重ねておけば、二三日まとめて売り上げをつけてもよいと説明しました。 「あの人は、自分や仕事にはきびしいのに人にはやさしくって、少しお人好しなんです。見ていて腹がたちました。昔の友達と称するやつらが、よく金をたかりにくるとすぐ貸してやっていました。ぼくがはじめ住込みだった頃、ただで酒飲みに来るへんなやつらも来ました。書くほうが忙しいと、踏切の向こうにある料理屋さん逃げ出していましたが」 「私、ときどき来てあげたいけれど、奥さんもいるし誤解されたくないから」  吉村くんは、私を見て笑いました。 「あなたは劇団のマネージヤーだそうですね。何だ、芝居の世界の人なのに、妙に常識的なんだな」  吉村くんが作ってくれた夕食をおいしく食べました。そして、あの人は毎日ここで何を食べていたのだろうと、ふと思いました。  日曜日は、春のように暖かい陽気でした。私はアパートの小さなベランダに溜まっていた洗濯物を干して、駅前の商店街へ買い物に出掛けました。K大病院は、私の住む私鉄沿線にありました。ジョージさんのところへ行くことにし、何か買おうと思いましたが、彼の好みを何も知らないことに気づき、愕然としました。いままで芝居や戯曲の話ししか、したことがなかったのです。  朝起きて読む新聞の名、パジャマの色、好きな食べ物や花も知りません。ただひとつ知っているのは、こういう暖かい天気のよい日は仕事がはかどらず、雨の激しくふる夜が好きだということだけでした。  四階の二人部屋の広い病室で、ジョージさんは、ベッドにすわって音楽のテープを聞いていました。私を見ても驚きも叱りもせず、「やあ、きてくれたの」と言いました。顔色が冴えず、少し痩せてみえました。 「どうしたんですか」 「まだ毎日検査が続いている。肝硬変かもしれないそうだ。あと血液の中の何とかいう成分が足りないらしい。説明を聞いたがよくわからん」 「あの、奥さんは」 「誰かが知らせたらしい。仕事で京都にいるが事務所の人がきた」  様々な花が活けてあり、果物がおいてありました。彼の話し方は、気のせいかいつもの生気がなく、疲れているようでした。 「私いてもしょうがないから、帰りましょうか」 「そんなこというなよ。今日は誰もこない。一人で動き回っているのは、好きだが、こうしてじっとしているのは、苦手だ。煙草も吸えなくてつらい」  私は、折りたたみ式の椅子にかけて、窓の外を眺めていました。広い中庭には、木の下で車椅子の患者が日光浴をしていました。彼もまた窓の方をみていました。      「いい天気ですね。どこかへ旅行したいでしょう」 「ああ、最近なんだか、生れた土地を見たいと思うんだ」 「どこですか」 「上海。父は、上海に留学して民族音楽を学んでいた英国人で、母は中国人だ。終戦の少し前、父母が離別して、私は、母の一族のいる日本へきた。三歳だったから何も覚えていない。いわゆる在日華僑の一族だから、皆空気を吸うように自然に商売をしているんだ。母が再婚したという事情で私は叔父夫婦の養子になってあの店を受け継いだ」  私は黙ってうなずいていました、彼がこんな話しをするのは初めてでした。 「私は、ことし五十になる。変わってしまっていても、上海を一度見たいと思う。退院したら一人で行ってみたい。こうしてずっと日本で教育を受けたから日本語しか喋れないが特別日本人だという意識はない。私は日本人でも中国人でもないと思っている。まして英国人でもない。ただね、あの戦争や革命の時代に生き残れた子供だったことが、すごく幸運だったと、父母に感謝しているんだ。順子ちゃんは、幾つになったんだ」 「二十九です」 「そう。劇団に来て十年か、芝居のこと、少しわかってきたかな」 「ええ、すこしずつ……。でも、わかったって何ほどのことかなって、このごろ思うの。流行っているのは偽者ばかり。自分の価値観を信じるしかないんですよね」 「そうだね。きみは、言葉に惚れ込むことができる人だよ。しかしあの文章じゃまだ先が思いやられる。今度の春の公演のホンできて、入院する前に野島くんに送った。自分のこと初めて少し書いた。事務所でコピーして早く読んで感想きかせてくれ」 「はい」と答えて私は、あなたのつくった言葉に惚れたのではなくあなた自身が好きなのですと言いたいのを、我慢していました。男との冗談めかした洒落た会話もできない自分を悲しく思いました。  何より彼の健康が不安でした。無理して仕事を急いで病気になったのかもしれません。しかし、妻でも秘書でもない私は、担当医師に病状をきくわけにもいきません。点滴をしていて眠ってしまった彼の疲れた顔を、いつまでも眺めていました。  それから一週間ほどして、ジョージさんは退院しました。しかし病状のことは、不明でした。成城にある、奥さんの住む家に落ち着き静養しているという話しをきいて、私は安心しましたが、いざと言うときは家庭に帰れるのかと、寂しいような複雑な思いでした。  営業部の企画会議で、ジョージさんの新しい戯曲『風の伝説』が正式に次期公演の台本にきまり、劇団の裏方としての私の仕事もいろいろでてきました。それぞれ勤めをもっている営業部の人は時間の都合をつけあって仕事を分担してゆきます。  しかし、キヤストが決まりホン読みがはじまっているのに稽古場に顔を出さない作者を皆心配して、謎めいた私生活のことも交えて様々な噂がささやかれていました。  私は、昼の時間、吉村くんに電話をしました。 「どうかしら、ジョージさんの家から電話ないの、その後まだよくないのかしら」 「電話も何も……」  吉村くんは憮然とした調子で言いました。 「あの人は嘘ついてるんです。成城の家になんか帰っていませんよ。奥さんが二度きましたが、何か言い争って帰られました。たぶん再入院をすすめたのでしょう」 「えっ、どういうこと」 「あの人ずっとここにいるんです。毎日じっと部屋に閉じ籠って、あの人らしくないんです。何をきいても投げやりにしか答えてくれず無気力です。頭がおかしくなったんじゃないかな。順子さんの言うことならきくかもしれません。来てくださいよ」 「ちょっと待って、この電話、会社なのよ。またかけるわすぐに」  受話器をおくと、すぐいくつかの電話がいっせいに鳴りました。取引先、銀行、求人広告のお客、印刷屋次々とかかってくる電話にでなければなりません。もう暗記している広告の料金を説明し、短い原稿を電話を受けながら書いてゆきます。朱でいれる文字の指定を何度も間違え、腹をたてて赤鉛筆で机を叩きながら、あの人が死んじゃうかもしれないのにと私は叫びたくなりました。  いいか相田、今からおれが言うことを書き取れ。がまがえるそっくりの社長が縁起の悪い死亡広告を読み始め、私は原稿用紙に書き取ります。午後からは、道路を渡った所にある地方新聞社にゆき、広告局に原稿を届け、文化部の記者に会って劇団の横浜公演のことを話し、記事にしてくれるようにお願いします。そして暗い廊下にある公衆電話から、吉村くんに電話して、今夜、店にゆくからと言いました。  私は、五時になると営業の車に乗せて貰って桜木町に急ぎ急行渋谷行きに乗り、電車のなかで、何度も居眠りをしながら、考えていました。高校を出て以来ずっとあの会社で漢字とひらがなの書ける人なら誰でもできる仕事を辛抱してきたのは、芝居や夢みることや、戯曲や小説が好きだったからではありません。ジョージさんがいたからです。あこがれて尊敬のできる男の人と同じ世界に身をおくことが、私の誇りで生きがいでした。  店の二階の階段を上がり、左側のドアをノックしました。「順子ちゃんか」と言ういつもの静かな声がして、ドアが開きました。パジャマの上にセーターを来たジョージさんが顔を出し「どうぞ入っていいよ」と言いました。十畳くらいの洋間に趣味の良い家具が置いてあり、丸い大きな石油ストーブが燃えていました。私はソファーにすわり、黙って立ったまま、煙草を吸っている彼を見詰めていました。彼はなぜきたのかともききませんでした。 「K新聞が、『風の伝説』について文化欄で書いてくれるそうです。稽古場で取材したいと言ってましたけど」 「何だか人に会うのがめんどうになった。きみの会社の前だって。替わりに何か話しておいてくれ」  そのときアルバイトの女の子が、コーヒーをふたつ持って入ってきて、「お食事、何かつくりますか」と気のりしない声でききました。 「いらない。もう時間だろ。帰っていいよ」 「でも、店長は、今日学校です」 「あとは、私がするからいいよ」 「はい、お先に」と女の子があわてて出て行くとまもなくジョージさんは、下へ行き、戸締まりとキッチンの点検をしてきたようです。私は、廊下へ出て、階段を上がってくる彼を待っていました。何度も立ち止まりながら歩いてくる足音をきくと、体を動かすのがきついことがわかります。私は、待っていられずに、彼の前に立ちふさがりました。 「どうしてそんなに意地を張るのよ!馬鹿みたい」 「いいじゃないか。これが私のやりかたで、変えられないんだ」  私が手をさしのべると、肩を抱いて部屋へ入りました。  彼はじゅうたんの上にすわり、どこへ座ればよいのかとうろうろしている私に、「こっちへきてよ」と低い声でいいました。「今ね、ひげをそって、顔を洗ってきたんだ」とささやくと私を強く抱き締め、苦しいほどキスしてくれました。ゆっくりブラウスのボタンを外し、ブラジャーを外して、乳房に顔を埋めたままでいました。私は緊張して体がこわばったまま短く刈り込んだ彼のうなじをなでていました。髪には少し白いものがまじり、かすかにオーデコロンの香りがしました。 「女抱けない体なんだ。ごめんね。だから奥さんにも逃げられて、しょうもない男だ。きみは、こんな男のどこがいいんだ」 「いや!そんなこと言われても、私はまだ何にも知らないのに」  私は奥手な自分が悲しく、泣いているしかありませんでした。 「いい子だから、泣かないで、きみは可愛い人だ。もう私は誰にも会わないし、誰もこの部屋にこない。そばにいて欲しい」  彼は、ただ私を優しく抱いて愛撫していました。  私が、シヤワーを浴びて、彼のパジャマを着て部屋に帰ってくると、彼は、窓を少し開けたところに立って煙草を吸っていました。 「ほら、外見てごらん、雨が降ってきたよ。私たち二人が、雨が好きだから」  冷たい冬の冷気と一緒に、さわやかな雨の音が入ってきました。 「私、女でなくなって、でんでん虫かなめくじになってずっとこの部屋にいたい」 「そしたら私は、そうだな、緑色の豆つぶぐらいの蛙になろうかな」  ジョージさんはさびしそうに笑いました。  明りを消しても都会の夜は、どこかから微かな光が入ってきます。私たちは、ベッドに入ってじっと動かずに体を寄せあっていました。何もしなくても、こうしているだけで私は安らかに満たされていました。彼の体は、ひどく痩せているのを知り、私は、ときどき涙がこみあげてきて鼻をすすっていました。 「順子ちゃん、心配しないでくれ。私は、二三日したら知り合いの医師がいる所へ入院する。ちょっと今どうしても書きたいことがあって、それをまとめたらね」 「夜眠れないんですか」 「ああ、でも今夜は、眠れそうだ」  ジョージさんの寝顔を私は朝の光のなかで、しばらく見つめていました。何もかも忘れてこの人から離れずにいたいとしみじみと思いましたが、私はそっと起き上がって服に着替え、彼の手に触れると、強い力で握りかえされるのを感じました。 「きみのことは、初めからずっと見ていた。大切にするよ。きみといると楽しくて、無限の可能性が信じられるんだ。……元気になるから、そしたらこの部屋にまたきて欲しい」「ごめんなさい。私、ここにいて看病してあげたいのに。どうして会社なんか行くんだろう。もうやめちゃおうかな」 「いいんだよ、帰っても。また会えるんだから、私はいつでもここで待っているよ」  それから数日後の朝、私は、営業の人に遅いとどなられながら、会社の入り口でワゴン車に梱包したチラシの山を積みこんでいました。道路の向こうの新聞社の入り口から、顔見知りの社員が走ってきました。 「お宅どうなってるの!誰も事務所にいないのかね。相田さんに、うちの受付けに電話が入っているよ」  私は走って、人でごったがえす受付けに行き、事務員からボールペンとメモ用紙をかりて、受話器をとりました。大勢の人が周囲で電話をかけ、大声をださなければききとれません。   「もしもし、順子ちゃん。劇団プレザンの野島ですが、いつも広告を出す三紙に死亡記事を送稿してください。劇作家斎藤丈二氏、本日、四時二五分、世田谷区松村医院にて急性心不全のため死去。……略歴を申し上げます。しっかりきいて……」 「はい。きいてますよ」 私は、人目も構わず涙を流しながら、必死に受話器を首で押さえ、メモしてゆきます。野島さんの声も少し震えていました。  私は、ジョージさんの死亡記事を送稿した二日後、十一年勤めた会社を辞めました。しばらくぼんやりしたかったのです。葬儀の後、アパートの部屋にとじこもって彼の書き残した演出のためのノートなどを整理し、原稿を清書しました。 それから、いろんな場所を旅してみました。『風の伝説』は作者が亡くなったことばかりではなく、様々な事情が重なってついに上演されませんでした。 「ここで働くのはいやですか」と誘ってくれたのは、吉村くんでした。私は、吉村くんから料理をならいました。店はその後、妻の芙美さんの事務所が管理していましたが、彼女は昔のまま店が続いてゆくことを望んでいるようでした。   私が芙美さんと話したのは二三度だけでした。 「この部屋、このままにしておきたいので、悪いけれどあなたたち二人で、ときどきお掃除してくれるかしら。本や原稿は、私ではわからないので、演出部の野島さんに全部整理していただいてください」                 そんな会話を交わして、私に合鍵を渡してくれました。想像したより遥かに若く美しく、上品なものごしの人でした。 映画の助監督をしていた若い日のジョージさんと新人女優だったこの人と、どのような出会いがあったのでしょうか。 確かにこの人は、当時演出家であったジョージさんに見つめられ愛されて、水を吸い上げる蕾のようにみごとな女優に開花していったのです。  そうして今も……あなたはあの人が愛した完璧な女優、と私はため息をつくのです。大勢の観客の視線に全身をさらし虚構の世界をふんわりと泳ぐ、不思議ななまなましい女。しかし、私はあなたの知らないあの人の姿を見てきたのです。プロとなって映画やテレビに忙しく活躍するあなたとは、まったく別のマイナーな芝居の道へと進んだあの人のその後の時間の断片を幾つか知っているのです。ひっそりと深夜にものを書き続けるひとりの男の後ろ姿を私は抱きしめて生きてきたのです。  そんなもの男女の愛ではないわ、とあなたに笑われても私は平気です。あの人がきっちりとつくった言葉たちは、もはや特定の女優への恋文ではないはずです。  ジヨージさんの部屋に飾ってある若い芙美さんの写真。私はときどき掃除の手を休めて心の中で、彼女へのメッセージをつぶやきます。吉村くんは、写真の前でじっとしている私

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