父のいる情景

     

結城五郎

 五月末の土曜日の夜、遅い夕食をすませて茶をすすっていると、テーブルの向こうに坐っていた妻の浩子が、思いがけないことを言い出した。 「ねえ、この頃お父さん、ちょっとおかしいの。土曜と日曜は殆ど家にいないのよ。どこに行ってるのかしら」 「散歩に行ってるんじゃないのか」 「散歩かしらね。朝の十時に家を出て、六時頃帰ってくるのよ。あなたには分からないでしょうけど、最近、お父さん、随分変わってきたのよ」 「そうかな、ちっとも気付かないけどね」 「そうでしょうよ。あなたは家のことは放りっばなしで、土曜も日曜もなしでねずみの実験ばかりしてるんだから。少しは家庭のことも考えてくださいね」  急に口調が険しくなった。浩子との会話ほ、結局はそこへ飛んでいく習わしになっていた。後ろめたい私は、急いで話を元に戻した。 「ちゃんと六時に帰るんなら、問題ないじゃないか」 「でも、顔付きが日によってとっても違うのよ。にやにや笑いながら帰る日もあれば、ぶすっとして、話し掛けても返事をしない日もあるし。なんか秘密がありそうなの」  私は天井を見上げた。この真上で、夜の早い父は眠っているはずであった。ふと、不安になって、 「まさか、親父が女をこしらえたわけでもあるまい」 「まさか」と言って、浩子は楽しそうに笑った。 「お父さんは、人間としては立派かもしれないけど、堅物で生真面目すぎて、ちっとも面白みがないのよ。二十九歳から今まで、全然女っ気がないなんて、ちょっと気持ち悪いと思わない」  確かに浩子の言うとおりだった。女遊びとか愛人とかいう言葉と、父ほど無縁な男はいないだろう。母と離婚してからの父は、小学校の教師の仕事と、私の成長だけを生きがいにしていたのである。私が物心ついてから、父の身辺に女の匂いを感じたことほただの一度もなかった。  五年前に教職を離れてからも、生真面目な生活態度は教員時代と少しも変わらなかった。煙草は吸わない。酒は一日一合と決めている。時折、旧友や昔の教え子が訪ねてきた時は、頬がゆがむほどの笑顔でもてなしたが、自分から人を訪れることはしない。読書と散歩を日課とし、傍から見れば、何が楽しみで生きているのか分からない日常であった。 「なんか問題が起こってからじゃ困るわよ。明日の実験はお休みなんでしょ。一度、お父さんの後をつけてもらいたいのよ」 「おれが私立探偵の真似をするのか。ばかばかしい、ほっときなよ」と言ったが、喉元にしこりが残った。これまで隠し事など一切しなかった父である。やはり何かあるのかもしれない。真面目一筋だった父が、人生の黄昏時を迎えて、突然狂ったように遊び始めてもおかしくはない。  浩子は私の心の動きを読み切っていた。急に改まった調子になって、 「お願いします。わたしも心配なの」 「おれは疲れてんだけどね」と抵抗するのを無視して、 「サングラスにマスクと帽子も用意しておいたのよ」 「おいおい、本格的だな」と言って、私は苦笑した。  朝の十時、半袖の白いワイシャツにネクタイをきちっと締めた父が家を出た。ちょっとそこまで、という恰好ではない。坂道を下りていく後ろ姿が小さくなってから、 「あなた、その恰好とっても似合うわょ」と浩子に冷やかされて、尾行を開始した。真夏と少しも変わらない強烈な 日差しが照りつけ、すぐに額から汗が流れた。  駅まではバスが満員だったので助かった。黒いクラッチバッグを脇の下にしっかりと挟んだ父は、吊り革につかまり窓の外を見ている。尾行に気付いた様子はない。変装した私に尾行されるとは夢にも思わないだろう。  バスを降りると、父はまっすぐステーションビルに向かった。明らかに目的を持った人間の歩き方である。電車に乗ってどこかへ行くようだ。十メートルほど後ろから、のんびり歩いていくと、改札口を通り抜けた父が突然走り出した。  年齢を感じさせない速さである。九番線ホームに向かう階段を父は躯け上がる。私は息を切らして父を追った。発車のアナウンスがドアのしまることを告げている。父は手近のドアから電車に飛び込んだ。同じドアに飛び込むわけにはいかない。足がもつれたが、ドアが閉まる寸前に隣の車両に駆け込んだ。  日曜の朝、千葉駅発の電車は空いていて、私以外には車内に立っている者は誰もいない。顔の汗を拭きながら、連結部のドア越しに隣の車両をのぞき込んだ。父はボックス席ではなく、二人掛けのベンチ席に腰を下ろしていた。孤独を愛する父らしい。しみじみと姿を見るのは何年振りになるだろう。若い頃の父ほ、電車の中ではいつも背筋を伸ばし、瞑想にふけるように両手を下腹で組み合わせていたものである。小柄でやせてはいたけれど、子供心にも立派な紳士の姿だった。だが今日の父は違う。背節を曲げ顎を突き出し、限差しは虚ろで、宙の一点に固定されている。頬から顎にかけての筋肉は弛み、老衰した鶏のように哀れっぽく見える。いつのまに、こんなに老け込んでしまったのだろう。不意に胸が熱くなった。今はっきりと、父の老いを目の前に突きつけられたのである。  私はひそかに父を等敬し、感謝もしていた。何か困難に直面すると、父ならどうするだろうと考える習慣が、子供の時から出来上がっていた。私が地元のC大学薬学部を卒業し、今では国立の医学研究所の所員となれたのも、成績の悪かった少年時代に、父に勉強をみてもらったからである。五年生の一学期に、オール2の通知表を持って帰った時、さすがに父も慌てた。教職一節に打ち込んで、私をほったらかしておいたのを反省したのだろう。それ以来私は父と机を並べて勉強することになった。成績は次第に上がり、六年生の二学期にはクラスで一番になり、通知表はオール5になっていた。私は父から学問の厳しさと面白さを教わったのである。  電車は船橋駅のプラットホームに滑り込んだ。窓ガラスに変装した顔がばんやりと映っている。途端に自分が恥ずかしくなった。父が私の生き方に干渉しなかったように、私も父の老後に干渉してはならない。父に限って、浩子が心配するようなことは何もないはずである。母と別れてからずっと、自分を厳しく律していた父が、ようやく遊びの味を覚えたのかもしれない。だが、父のことだ。羽目を外すとは考えられない。もし父に秘密めいたことがあったとしても、鷹揚にかまえていよう。  そう思ってはみたが、いかにも老け込んで見える父の姿は気にかかる。私ほもう少し尾行を続けることにした。  車内が大分混み合ってきた。見失うのを恐れて、私は隣の車両に移った。吊り革につかまりながら、数人の肩ごしに時々父に視線を向けた。  錦糸町で車内の乗客が、どっとホームヘ移動した。私は体をよじって、乗客の波に巻き込まれるのを避けた。ホームは人でいっばいだった。心臓がズキッと痛んだ。降りた乗客の群れの中に父の横顔を見つけたのである。乗り込んでくる客に向かって、すみません降ります、と私は大声で叫んでいた。  ホームからあふれるほどの人だった。年寄りから若者まで、それも旺倒的に男が多い。二人に一人は手に新聞を持つている。父の小さな白髪頭が階段のずっと下に見える。私には訳が分からない。今日は錦糸町で一体何があるというのだろう。 「どうしてこんなに人が多いの」 「競馬だよ、今日はダービーの日だからね」 「錦糸町に競馬場があるの」 「ばかだな、場外馬券場があるんだよ」  背後で若い男女の話声が聞こえた。私はようやく人の波の意味を理解した。だが、父が競馬をするはずがない。この近くに訪ねる人がいるに違いない。もしかすると愛人がいるのかもしれない。その想像は私の気持ちを和ませた。父ほど辛抱強い人間が、なぜ母と別れたのか、私には分からない。それに、母と別れた後、なぜ女に愛されなかったのか、それとも愛そうとしなかったのか、私には理解できない。この歳になって、ようやく愛する女を見つけたというのなら、むしろ喜ばしいことだった。  父は人波に逆らわずに、大通りを渡りどこまでも歩いていく。予想は外れた。父は本当に馬券を買いにきたのである。初めてみる場外馬券場は六階建の大きなビルだった。ビルの中も大変な混雑だ。エスカレーターがあるのに乗ろうともせず、父は人の群れにもまれながら階段を上っていく。ちらりと見せる横顔に精気が出てきた。足取りもしっかりしている。慣れない尾行で、かえって私の方が疲れてしまった。毎日三時間も散歩している父より、ずっと足が弱っているのである。  仕切りのない広いフロアーは、馬券を買う人でごった返していた。父は手近な列の一番後ろに並んで、おもむろにバッグから競馬新聞を取り出し、老眼鏡を掛け赤鉛筆を手に持った。随分と慣れた様子だった。いつから競馬を始めたのか分からない。だが、尊敬していた父に競馬はふさわしくない。秋風が体を吹き抜けるように寂しくなった。  なかなか短くならない列にいら立ちながら、四十分も待った。ようやく順番になった。人を押し退けて、私は窓口に近付いた。父ほいつのまにか、右手にマークシートのよぅな紙片を持っており、それを窓口の中年女に手渡している。しばらくして、 「七枚です。千四百円になります」  係の女の声がほっきりと聞こえた。大した金額でないのにちょっと安心したが、大きな賭が出来ない父の性格が哀れでもあった。馬券を手にした父は窓口を離れた。やれやれ、これでこの人込みともさよならだ。階段の辺りで待ち伏せてやろう、と人垣をかき分けた途端、私は父の声を背中で受け止めた。その声はぎょっとするほど甲高く、暗闇でいきなり聞かされたら、とても父の声とは信じなかっただろう。振り向くと、父はもう用のないはずの窓口にしがみついていた。周りの男達が顔をしかめている。 「六枚しかない、六枚しかないじゃないか」と、父は窓口の女に訴えていた。そんな客はしばしばいるらしい。女は慣れ切った態度で、表情一つ変えない。 「その辺りに落としたんじゃないですか。よく探してくださいね。わたしはきちんと数えてお渡ししましたよ」  父はちょっとひるんで、混み合った人々の足元をきょろきょろと見回している。やはり一枚の馬券は見当たらないらしい。 「やっばりないじゃないか。初めから六杖しかなかったんだ。それに決まってる」  父は再び窓口にしがみついた。声は上擦り、目尻は跳ね上がっている。 「ちょっと待って下さいね」  女は急につっけんどんになって、どこかに合図をした。制服を着た大柄な係員が現れた。 「お客さん、向こうでお話をうかがいましょう。ここでは他のお客さんの迷惑になりますからね」  父は二の腕をつかまれ、警官に連行されるような様子で人込みからつまみ出された。私は飛び出すわけにはいかない。我慢して成り行きを見守るしかなかった。  窓越しに見える父は身振り手振り激しく、盛んに抗議している。声は聞こえない。それは、私にはとても信じられない情景だった。父は人と争うことのない人間だった。人をののしったり、人の悪口を絶対に言わなかった。父は人に傷付けられても、相手に悪意がなければ笑ってすます人間だったのである。脳裏に一つの出来事が群やかに浮かび上がってきた。  ──その出来事は私が小学二年生の時だった。まだ東京の下町に住んでいた頃の話である。子供心に、あの時ほど父を誇らしく思ったことはない。  私を自転車の荷台に乗せ、父は赤い幟の立ち並んだごみごみとした商店街を走っていた。前方左手にライトバンが止まっていた。父が車の右側を走り過ぎようとした時、いきなり運転席のドアが開いた。急ブレーキを掛けたが間に合わず、自転車は車のドアに激しく衝突した。自転車は倒れ、私は道路に投げ出されて膝を擦りむいた。父は左手を押さえてうずくまっている。下町の人間は物見高い。たちまち人だかりが出来た。食堂の白衣を着た若者が、青ざめた演をひきつらせて運転席から下りてきた。 「だ、だいじょうぶですか」と、気の弱そうな若者はどもりながら言った。父は答えない。額から冷汗を流して、痛みをこらえている。 「最近の若い野郎は、後ろも見ないでドアを開けるんだ」  地下足袋を履いた大男が野太い声で叫んだ。昼間から酒を飲んでいたらしく、にやついた赤ら顔が怒鳴っていた。 「おい、地面に手を突いて謝るんだよ」と、男は言った。若者は恐怖で震えていた。険悪な雰囲気がみなぎった。男が若者の首節をつかんだ。今にも殴りつけそうだった。 「すいません、すいません」と、若者は繰り返した。私は若者が可哀想になった。でしゃばりの酔っばらいが、かえって憎らしかった。  その時、父がほおえみながら立ち上がった。 「な−に、大したことほありませんよ、ちょっとぶつけただけですからね」と言って、痛む左手を振って見せた。男はあきれた顔付きで父を見つめていたが、 「ありがとう、ご心配なく」を繰り返す父に、それ以上若者をつるし上げる訳にもいかず、不満そうな舌打ちを残して去っていった。 「本当にだいじょうぶなんですか」  野次馬がいなくなると、若者は心配そうに言った。 「これから、気を付けるんだよ」  父は優しく言うと、何事もなかったように自転車を押して、その場から離れていった。  私はその時、父の後を追いながら、誇らしい気持ちでいっぱいになっていた。お父さんは神様みたいな人なんだ、と心の中で叫び続けていたのである。  その夜になって、父の左手は紫色に腫れ上がり、医者に診せたら骨が折れていると言われ、治るのに一方月もかかった。だが父は、決して若者への恨みを口にすることはなかった。  ガラスの向こうに見える父は、係の女を相手に馬券を振りかざしてしきりに訴え続けている。やがて、物分かりのよさそうな初老の男が近付いて、話を聞き始めた。男は何度もうなずいてから父の肩に手を置いて、何事かささやいた。父は顔をほころばせた。男はスーツのポケットから、二枚の百円硬貨を父に手渡した。父は卑屈に腰を曲げ、男に頭を下げている。尾行などするべきではなかった、と悔やんだが、これが父の現実の姿である。私は大きな荷物を背負ったような、暗澹とした気分になった。  馬券場を出た父はラーメンを食べた後、レースが終わるまで、喫茶店でテレビ中継を見ていた。私は一番後ろの席に坐って、父の小さな背中をぼんやりと見つめていた。父の背中には思い出がある。それは私の記憶の中で、最も幼い時のもののようだった。恐らく、三つか四つの時のことだろう。  ──場所はどこなのか、どこの帰りだったのか見当もつかない。私は父に背負われている。父の背中から海が見える。海はなぎ、湖水のように穏やかである。漁船が一つ、視野の真ん中で動かない。海は夕日に照らされて金色に輝いている。父ほ泣いている。私を背負って歩きながら、声を忍んで泣いている。  覚えているのはそれだけであるが、何十回、何百回と思い出しているうちに、その情景は私の心の中で美しい絵画になってしまった。あの時父はなぜ泣いていたのか。どこ からの帰り道だったのか、永遠の謎に終わりそうである。大学生の頃、私は一度だけその情景の意味を父に尋ねたことがある。父は、そんなことがあったかな、ととぼけるだけで、何も答えようとしなかった。  父が急に立ち上がった。私は顔を伏せた。ちょうどレースが終わっていた。父は馬券を細かく切り裂いて、床に投げ捨てた。浩子の言う通りだった。本当に変わってしまった。だが、老人性痴呆と言うには六十五歳の年齢は若すぎる。もしかしたら、最近しきりにマスコミが取り上げているアルツハイマーかもしれない。私は喫茶店での四時間をただ茫然として過ごした。  翌日、かかりつけの医師である山城さんに電話をし、尾行して見聞したことを正直に話した。 「少しぼけてきましたかねえ。診察に来る時は、実にしっかりしているんですけどね。分かりました、今度の診察の時、そっちの方の薬も出しておきましょう。そうそう、最近心電図で大分狭心症の傾向が強まってきましてね。まあすぐにどうなるということはありませんが」 「脳の方は、アルツハイマーではないんでしょうか」と尋ねると、 「さあ、どうでしょう、しばらく様子をみましょう」  その声の調子は、アルツハイマーだったら、もう手の打ちようがない、と言外に匂わせていた。  父の週末の楽しみはその後も続いていたらしい。私は癌の基礎研究に忙しく、家のことはすべて浩子にまかせていた。浩子がよほどヒステリックに訴えない限り、些細なことには耳を貸そうともしなかった。父は私の前でほ取り立 ててぼけた様子を見せなかった。山城さんの薬が効いているのだ、と私はすっかり安心しきっていたのである。  尾行してから一年半が過ぎた。十二月半ばの寒い夜、家の外では木枯らしが荒れ狂っていた。九時過ぎに帰宅し食事をすませた私は、居間のソファに寝そべって、ニュース 番組を見ていた。 「お父さん、話があるんだけど」  振り向くと、息子の大介の長い足が見えた。小学五年生だというのに、背丈ばかりひょろひょろと伸び、じきに追い抜かれそうである。欠伸をしながら起き上がると、 「真面目に聞いてよ」と、大介は怒った。  深刻な話らしかった。進学の相談か、と私はテレビを消して坐りなおした。キッチンで仕事をしていた浩子が小走 りでやってきた。その後から娘の智子もついてくる。  妻と子供がそろって何の談判かと身構えた。殆ど家にいない私をつるし上げにきたのか。だがそうではなかった。 話は父のことだった。大介が今日の午後、学校からの帰り道、散歩している父を目撃したと言う。父はいつものようらしい。 「ほら、角のガソリンスタンドの所に、ダストボックスがあるでしょ。おじいちゃん、蓋を開けて中をのぞいていたんだよ。手を入れたと思ったら、パンを持ってたんだ」  とうとうそこまで進行したのか、とわびしさが心に食い込んできた。 「パンを食べたわけじゃないだろ」 「いいや、しばらくじっと見てから、その辺にポイと投げ捨てたんだよ」 「だいじょうぶ、心配するな。そのうちに必ず治る」と突き放したら、大介は不満そうに黙り込んだ。 「お父ちゃん」と、今度は智実の番だった。小学二年のあどけない顔を、しやべる前からくしゃくしゃにして、涙声で訴えた。 「この間、外でおじいちゃんに出会ったの。あたしが呼んだら振り向いて、じつと見てから、失礼ですがどこのお嬢ちゃんですかって」  胸がいっばいになったのか、もう後が続かない。 「それからね、皆は下で寝込んでいるから、気付かないんだろうけど、二時過ぎになると、時々、部屋の中を歩き回ってるんだよ。三十分位はやってるかな。ぼくは一度目が覚めちゃうと、なかなか眠れないんだ。何とかしてよ」 大介が年寄りのような情けないことを言った。浩子が一歩前1に出た。 「あなた」と、初めはおずおずと、 「あなたは研究が忙しそうで、いつもいつも難しい顔をしているから、皆でずっと我慢していたのよ。いい機会だから、全部しゃべっちゃうわね」  治子の眼がきっとなって、 「この間風呂に入ってたら、お父さんにのぞかれたの」 「お母さん、あたしも」と、智美が横から口をはさむと、浩子は激しくうなずいて言葉を続けた。 「バスルームの外で人の気配がするから、てっきり智美かと思って、どうしたのって、ドアを開けたら、お父さんがパンツ一つになって立っていたのよ。わたしは素っ裸だったんだから。どういうつもりかしら。お父さんの眼は、ちょっと普通じゃなかったわ」  三人は一斉にさえずり始めた。 「昨日なんて、昼を食べて二階に上がったと思ったら、すぐに下りてきて、浩子さん、食事はまだかね、ですって」 「この間、ぼくの部屋に入ってきて大きな声で怒鳴ったんだよ。こら、しつかり勉強しないと、立派な人間になれないぞ。オール2じや、どうしようもないだろ、だってさ。一体、誰のこと言ってるんだろうね」  私は赤面した。オール2は私のことである。父には過去と現在の区別がつかなくなる瞬間があるらしい。 「おトイレに入っても、うんちを流してないの」と、智美が言うと、 「そうだ、そうだ」と、大介が相槌を打つ。三人は私に考える暇を与えない。 「ちょっと静かにしなさい」と一喝して腕を組んだ。腕を組んでも良い思案が生まれるわけではない。私は溜め息とともに、 「困ったことだ」とつぶやくだけである。 「困っただけじゃ、すまされないわ。あなたの一番の欠点よ。ファーザー・コンプレックスで、お父さんには何にも言えないんだから。あなたがしっかりしてくれないと、この家がめちゃくちゃになってしまうわ」  子供の前でそこまで言われたら、私の権威ほ丸潰れである。怖い眼でにらみつけたが、浩子も負けてはいない。子供を守るという使命感に燃えた大きな限が、私をにらみ返している。気まずい沈黙が数秒流れたが、大介がとりなすように、 「お父さん、じいちゃんの頭、完全にいかれてるんだよ。アルツハイマー病じゃないの。新聞に出ていたよ」  子供のくせに生意気な、と思ったが、大介の言う通りである。六十七歳でこんなに人格が崩れてくるのは、それ以外に考えられない。 「皆に言っておくが、歳を取るということは、悲しいことなんだ。皆順番に歳を取って、だんだんぼけていくんだからな、もっと温かい眼で見てやろう」  だが、三人には父への感傷は微塵もない。 「ねえ、あなた、入院させたらどうかしら」と、浩子。 「ねえねえ、お父さんはあまり家にいないんだから、ぼくと部屋を変えてくれないかな」と、大介。 「うるさい」と癇癪を破裂させると、ふくれっ面の三人は居間を出ていった。私はテレビを見る元気もなくし、ソファに寝ころんだまま、ばんやり天井を見つめていた。  かつての聡明な父を思い出した。悲しさで胸が膨れ上がり、喉が熱くなり、戻の粒が浮かび上がる。こんな姿を浩子に見られたら、ますます軽蔑されるだろう。私ほそっと居間を出て、自分の部屋に閉じ寵もった。窓をいっばいに開けて、北風を顔に受け、にじんだ街灯をにらみ、唇を噛み、感情の鎮まるのを待っていた。  眼を閉じると、不意に影絵が浮かんだ。真っ暗な網膜の 上に、二つの黒い影が動いている。一つの黒い影がロープを持って、もう一つの黒い影の首を背後から絞めていた。私は頭を振って、恐ろしい妄想を追い払った。  数年前の日曜の朝、居間のソファに腰掛け、新聞を読みながら父と言葉を交わしたことがあった。その時、私はアルツハイマーの新開記事を読んでいたのである。 「お父さん、嫌だね、ぼけるのは」 「そうさ、ぼけて生き恥をさらすょりは、どんなに苦しくても、癌で死ぬ方がましだ。もちろん、突然ぽっくりと死ねたら一番楽でいいけどね。死ぬ時は、やれやれ肩の荷が下りたと思われるより、家族の涙で送られたいもんだ」  雑誌を読んでいた父は、老眼鏡を掛けた眼を上げ真剣な面持ちでそう言った。 「いいか、恭一。もし、父さんがぼけて恥をさらすょうなら、いっそのこと始末をしてもらいたいな」 「始末するって、どうするの」と、私は冗談のように言い返した。父は笑いながら、紐で首をしめる真似をして、 「ぜひとも、こうしてほしいね」 「もし、本当にぼけたら、そうしましょう」と言って、私も大声で笑った。その時は互いに笑ってすませたが、どうやら笑い事ではすまされない状況になってきた。  部屋を出て顔を洗ってから、私はダイニング・キッチンヘ向かった。浩子は椅子に腰を掛けて、何事もなかったように、雑巾作りをしていた。 「浩子、明日、親父を山城さんへ連れていってくれ」 「いつも一人で行ってるのよ」と、浩子はいぶかしそうに言った。私は一家の主としての威厳を見せて、 「明日はお前に付き添ってもらいたい。最近の病状をメモしておくから、それを先生に渡してもらいたいんだ」 浩子はちょっと口を尖らせたが、小さくうなずいた。  翌日ほ明るいうちに実験を切り上げた。とてもマウスの腹に癌細胞を注射している気分ではなかった。車を飛ばして、六時には家に帰りついた。玄関を開けると同時に、浩子が待ちかねたように姿を見せ、 「大変だったの、大騒ぎだったのよ」と、こらえていた感情をどっと吐き出した。 「山城さん、今日はものすごく混んでいて、なかなか順番が回ってこなかったの。一時間以上も待たされたら、お父さん、怒り出しちゃったのよ。受付に行って、こんなに病人を待たせるとは、どういうことかって、大声で騒ぎ出したのよ。わたしが止めても、聞くもんじゃないわ。待合室には顔見知りもたくさんいるし、あなたには申し訳ないと思ったけど、診察を受けないで帰ってきちゃったの」  不愉快だった。この家の誰もが、父をないがしろにしているのが、無性に腹立たしい。 「何をしてるんだ。お前はこの家の主婦なんだ。子供の使いじゃないんだぞ」と言葉を荒くしたが、浩子はまったく動じない。 「じゃあ、あなた、行ってください。お父さんもあなたの言うことならきっと聞くわ。相思相愛の間柄ですからね。山城さんは夜は七時から診てくれるから、ちょうどよかったわ」 「親父はどこにいるんだ」 「さっき、散歩に行って帰ってきたのよ。今、二階にいるわ」  階段を上って部屋をのぞいた。父は安楽椅子にゆったりと坐ってテレビを見ている。声を掛けると、振り返って、 「おお、恭一か、今日は早かったね」  その顔はぼける前と少しも変わりなく見える。  久し振りに父と二人だけで夕食をとった。大介も智美もこの数カ月、父との食事を敬遠している。背中を曲げた父は、食卓に肘を突き、口の中でペちゃべちゃと聞き苦しい音を立てていた。子供達が嫌がるのも無理はない。ずっと昔、少年の私が教え込まれた食事作法は、どこに置き忘れてしまったのか。 「お父さん、ご飯を食べたら、もう一度お医者さんに行って下さいね。今度は、恭一さんが付いていってくれますからね」  浩子が茶をつぎながらそう言うと、 「お医者さん? この前行ってきたよ。薬もまだある」  父は今朝のことはすっかり忘れているようだ。 「お父さん、顔色がちょっと悪いから、今夜もう一度行きましょう。私が一緒に行きますから」 「恭一とか。じやあ行くことにしよう」と、嬉しそうに言った。浩子が父の後ろで舌を出していた。  山城医院は夜も混み合っていた。待合室のべンチに隙間を見つけ、父を押し込んで坐らせた。四十分待ってようやく順番が来た。診察室に入ると、白いワイシャツにえんじ色のネクタイを締めた山城さんが、脂ぎった額に汗を浮かべ、疲れて肩が凝るのか、首をぐるぐると回している。私を認めると、好人物そうな垂れ眼を見開いて、 「やあどうですか。癌の研究は進んでいますか」  私はすばやく、父の行動を克明に書き付けたメモを、山城さんに手渡した。 「先生もこんなに夜遅くまで診察してお疲れでしょう。近所の者ほ大助かりですがね」と、父が言った。  医者を前にしての精神の緊張は、一時的にぼけ症状を隠す働きがあるらしい。めりはりのある父の口調は、とてもごみ箱を漁る人間とほ思われない。 「なに、私は貧乏症ですからね、夜まで働いてないと、不安でしょうがないんですよ」と、調子よく相槌を打ちながら、山城さんは私のメモを読み終えた。  型通りに、父の胸に聴診器を当て、血圧を測り、腹を触診し、膝をハンマーでたたいた。 「土谷さん、お歳はいくつですか」 「今日は何月何日ですか。何曜日ですか」 山城さんは次々と父に質問した。初めのうちは穏やかに答えていた父の眉間が次第に険しくなってきた。 「それでは、百から七を順に引いてみてください」  その質問でついに、父はこめかみの血管を膨らませて怒り出した。 「知態テストをするのかね、先生は」 「ばれちゃいましたね」と言って、山城さんは大声で笑った。待合室では赤ん坊がやかましく泣いている。診察机にはカルテがずらりと並んでいる。山城さんは、父の診察に時間をかける愚かさを悟ったらしい。 「今夜は採血をします。肝臓とか、貧血の検査をして、どこか悪いところがないか、調べておきましょう」  父はぷいと顔をそむけた。看叢婦が早くも、次の患者を呼び込み、もう一人の着護婦がせわしない口調で、 「おじいちゃん、隣で血をとりますからね、さあ、用意しましょう」  その途端、父が激しい勢いで、 「おじいちゃんとは何だ。私はまだ若いんだぞ。なれなれしくじいさん呼ばわりするな」  次の患者がドアの所で立ち往生している。山城さんはやれやれといった表情で私をうながした。 「お父さん、さあ、血を採って調べてもらおうよ。看菱婦さん、よろしくお願いします」となだめると、父はようやく立ち上がった。  隣の部屋で丸椅子に腰を掛けたが、父は右腕を差し出そうともしない。看護婦が採血用の注射器を手に持つと、予防注射を嫌がる幼児のように暴れ始めた。 「針はいやだ。痛いのはいやだ。恭一、助けてくれ」  抑えつけようとしたが、父ほ執拗に抵抗する。 「しっかり坐らせてください」  看護婦はぎすぎすした声でわめく。  部屋の中はとげとげしい空気に包まれた。次の患者の診察をすませた山城さんが、慌ただしく姿を見せ、父の肩を叩きながら、 「よ−し、今夜は血を採るのは止めておこう。また今度にしょうね」と、子供を扱うように優しく言った。  父は返事もせず、さっさと診察室を出ていった。 「申し訳ありません、先生。やっばりアルツハイマーでしょうか」 「まず、そうでしょう」と、山城さんは即座に答えた。 「すぐに、検査の必要はないでしょうか」 「それは必要でしょうがね。ただ、分かったからといっても、治療の方法がある訳でもありませんし。もちろん、ご希望なら紹介しますけど」  私は返す言葉もない。確かにその通りだ。胃癌を早期に見つけるのとは、根本的に問題が違う。 「もうちょっと強めの薬をのんで、様子を見ましょう。きちんとのめば、症状は少しは良くなるはずです。まあ、この病気は、家族の皆さんが協力して、よっばど忍耐強く面倒を見てあげないとね」と、耳の痛いことを言った。 「それからですね、以前に話したと思いますが、心電図がひどく悪いんですよ。期外収縮が頻発しているし、狭心症の発作が起こらないのが不思議なくらいです。無理はさせないでくださいよ。寿命を縮めますからね」  薬をもらってから待合室を後にした。いずれそう遠くない将来、父との訣別が追っているのは間違いない。冷えきった夜気を吸い込み、大きな溜め息をついて見上げると、木枯らしが塵を払った空にほ雲もなく、この街には珍しく星が綺麗に瞬いている。背後で父の小さな足音が聞こえている。振り返ると、父は診察室での騒ぎを反省しているのか、しょげかえり肩を落として歩いてくる。ふと、これと同じ情景をどこかで見たと思った。すぐに思い出した。あれは夏だったが、今夜のような美しい星空だった。あの時前を歩いていたのは父であり、肩を落として後から付いていったのは、中学二年生の私だった。  ──夏休みのある日、同級生の忠雄が新品の自転車に乗って遊びにきた。私が通学に使っていたのは荷台の大きな実用車だった。忠雄のは違う。三段の変速ギアが付いており、どんな坂道も楽に上ってしまう。忠雄は私の家が坂道に面しているのを知っていて、新しい自転車を見せびらかしにきたのだ。 「どうだ土谷、ちょっと乗ってみたいだろ」と、体の大きな忠雄は鼻を動かしながら得意そうに言った。私の自転車はペダルが重くて、なだらかな坂でも息が切れてしまう。学校までは坂が多くて、私が腰を振りながらペダルをこいでいると、同級生が、お先に失礼、と言ってどんどん追い抜いてしまうのである。それが悔しくて、父に変速ギア付きの自転車をねだったことがある。だが、いつも相当なことまで許してくれる父が、どうしても首を縦に振らなかった。 「性能のいい自転車に乗っていると、体までそれに慣れて怠け者になってしまうんだ。体は子供のうちに鍛えておかなくちゃいけない。今の自転車に乗っていれば、学校の行き帰りに、自然に足と腰が丈夫になる。いいか、恭一、誇りをもってボロ自転車に乗るんだ」  父は教員らしく、出来の悪い生徒に言い聞かせるような口調で諭した。  最新式の自転車が目の前にあった。私は忠堆に促されて自転車にまたがった。背の低い私にはペダルが少し遠かった。スピードを出して坂を下りていった。乗り心地が全然違った。振動が殆ど尻に伝わってこない。顔にあたる風が心地よかった。今度は坂を上がった。いつも息を切らす長い坂を、時速計の付いたギア付き自転車は足に何の抵抗も感じさせずに上り切ってしまう。  しばらくしてから、二人乗りをしよう、と忠雄が言い出した。小さな荷台に忠堆を乗せて坂を下りていった。忠雄の掛け声のままに私ほ下り坂でもペダルをこぎつづけた。時速計の針が三十キロを超えた。その時速に恐怖を感じた瞬間、ペダルから足が滑った。慌ててブレーキをかけたのがかえって悪かった。自転車がスリップし、横倒しになり、私は息をつけないほど右の胸を打ちつけた。忠堆は五メートルほど上の方に倒れており身動きもしない。顔は血だらけである。大変なことになってしまった。私は痛む足をひきずりながら家に走り、大声で父を呼んだ。  その夜救急病院の病室で、頭と顔を包帯でぐるぐる巻きにした忠雄の前で、父は卑屈と思えるほど腰を低くして謝っていた。私は首をうなだれてじっとしていた。忠雄の父親はいつまでも同じ文句を繰り返して怒っている。私の怪我は打撲と擦過傷だけで、大したことはなかったが、頭を道路に打ちつけた忠雄は、入院してしばらく様子を見ることになったのである。  「恭一の不注意でこんなことになってしまい、本当に申し訳ありません。もし、お子さんに万一のことがありましたら、私の方ですべての責任を取らせていただきます」  父はそう言って謝った。忠雄が二人乗りしたのがいけなかったんだ、と言いたかったが、私は口に出せなかった。忠雄の父親は、さも憎々しそうに、 「当たり前のことを、何度も言うなよ。もう今夜はいいから帰りなよ。あんたがたがそんなとこで不景気な面をしていても、忠雄の怪我が早く治るわけじゃないからな」  その言い方が悔しくて、私は血がにじむほど下唇を噛んだ。  病室を出た時、私は父の厳しい説教を覚悟した。いけないと言われていたギア付き自転車に乗って、大きな事故を起こしたのだから、父の胸は怒りで煮えたぎっているに違いないと思った。肩を落とした私は父の足元を見ながら、廊下を歩いていった。父は何も言わない。階段を下り、病院の外に出た。外はすっかり暗く、見上げると鮮やかな星空だった。その時、父が立ち止まり、ちょっと振り返って静かに言った。 「恭一、今夜のことをよく覚えておくんだ。どんなに言い分があっても、自転車を運転していたのは、恭一なんだ。自分のした事の責任だけは、きちんととらなければいけない」  父はそれだけ言うと後は何も言わず、私に小さな背を向けて、ゆっくりと歩いていった。懐かしい思い出が、たちまち私を感傷に引き込んだ。 「お父さん、新しい薬をきちんとのめば、きっと良くなるよ。心配しないで山城先生に任せるんだよ」と、心をこめて声を掛けた。だが、父はぶつぶつと悪態をついた。 「あの医者はやぶ医者だ。どこも悪くないのに、血をとろうとしやがった」  私は思い知らされた。父はすでに、過去の父とは別の人間になってしまっていたのである。  新しい薬が少しは効いたのか、父の病気ほ一進一退のまま、山城さんが懸念した心臓発作も起こさず、五カ月ほどは特別のこともなく過ぎた。馬券を買いに東京まで出ていく元気はすでになくしていたが、毎日の散歩はかかさずに続けていた。散歩も次第にエスカレートして、家を出たままなかなか帰らないこともあった。私は何事か起こるまでは、動こうとしない性格だったから、苦労佐の浩子は日毎にいら立ちをつのらせていたようだ。  五月のある夜、実験を終えた私が車で帰宅したのは、午前一時を過ぎていた。家の中には明々と螢光灯が灯っている。玄関を開けると、パジャマ姿の智美が上がり框に腰を掛け、頬杖を突いて眠っていた。揺り起こすと、体を震わせて目覚めた智美は、泣きながら話をした。父が夜になって家を出たまま帰らないという。浩子は大介にも手伝わせて、近所を探しているらしい。智美は留守番をするように言われ、ずっと一人で待っていたのだ。私は智美と一緒に式台に坐りこみ、治子からの連絡を待った。  午前二時近くなって、二人が戻ってきた。しょんぼりと肩を落とした浩子は私を見るなり、 「あなた、お父さんをなんとかしてちょうだい。毎日、お父さんを探し回って、わたしほもう疲れちゃったのよ」  私には負い目がある。研究ばかりして家を省みず、父の世話も家庭の雑事もすべて浩子まかせにしていた。心では感謝していながら、それを口にしないから、浩子が時々、感情を高ぶらせるのも無理はない。 「何時に家を出たんだ」 「わたしはお風呂に入っていたし、大介は勉強中」と語尾を省略し、浩子は殺気立っている。 「いつもの散歩のコースは一回りしてきたのよ。どこにもいなかったわ。さあ、大介はあした試験だから、すぐにお休み。智美もごくろうさん、眠かったでしょ」  車で探しに行こうと靴を履きかけた途端、電話が鳴り出した。受話器を取ると山城さんからだった。父が山城医院に保護されているという。深夜、山城さんは庭でごそごそと人が歩き回るのに気付いた。剣道四段で腕に自信のある山城さんは、木刀と懐中電灯を手にして庭に出ていった。そこで庭石に腰を掛けている父を見つけたという。診察は何時になったら始まるのか、薬がなくなりそうなので取りにきた、と父は山城さんに言ったらしい。  申し訳ありません、すぐに伺います、と返事をして、私は受話器を置いた。浩子はいきり立って、 「こういう風に、皆に迷惑を掛けているのよ。もうこんなことが二度とないように、夜はお父さんの部屋の外から鍵を掛けます。いいわね。あなたが帰ってから、お二人で夜の散歩をなさったら」  夜だけ、父の部屋を禁固室にしようということらしい。ポータブルの便器を部屋に置けば、排泄の方も心配ない。夜の食事はわたしが差し入れることにする、と浩子は断固として宣言した。 「そう先回りするなよ」と言ったものの、とても説得力はない。私は玄関を出て車の運転席に坐った。研究はまだ見通しが立たない。今年いっばいには何とかまとめ上げなければ、と気が焦る。この研究が終わったら、すべての時間を父のために使うことが出来るだろう。それまで、もうしばらくの辛抱だから、と心の底で父と浩子に謝りながら、私は山城医院へ向かって車を走らせた。  庭で秋の虫がにぎやかに鳴いている。浩子から体を離して、私は仰向けになった。満足した様子の浩子が甘えて、 「あなた、わたしを抱くの、何方月振りか覚えてる」 「つまらんことを訊くな」と言いながら、背を向けようとすると、私の腕をつかんだ浩子が真面目な口調で、 「ねえ、あなた。お父さんの秘密を見つけたわ」  何の話だろう、と寝返ると、 「二カ月に一度でも、やはりあなたの方がいいわ」  ますます意味の分からないことを言う。私は黙って聞くことにした。  今日、父が初めて尿の失禁をした。浩子が着替えをさせょぅとパンツを脱がしても、羞恥心もなくしたのか、父はされるがままにしていたらしい。だが、浩子が驚いた。 「だってあなた、お父さんのあそこ、赤ちゃんみたいに、ほんとにちっちゃくて可愛いのよ。あなた、知らなかったの」 「知らなかった」と無愛想に言ったが、心の中は父を哀れむ感情でいっばいになっていた。 「あなたが生まれたのが奇跡だと思ったわ。わたし、何もかも、ピンときちゃったわ。お父さんが若い頃に離婚したのも、それから全然女っ気がなくて、仕事一筋に生きてきた訳も分かったのよ」  興奮した浩子は耳元でしゃべり続ける。私は聞き流しながら、記憶に刻まれた最も古い情景を思い浮かべていた。私を背負って海辺を歩く父。泣きながら歩く父。その情景の意味を、その時ようやく私は理解したのである。母は私を生んでしばらくして、父から逃げたのだ。海の見えるあの情景は、母の実家を訪ねた父が手厳しい拒絶に会って、愕然と戻ってくる場面に違いなかった。あの時、父は絶望にうちひしがれていたのだ。母との別れの悲しさと、母を失った私への不憫が父の眼から涙をこぼさせたのだろう。だが、父は絶望を乗り越えた。私の成長を生きがいとし、人間的に自分を高めることを人生の目標に定めたのだ。だがその父も、ひそかに激しく母を憎んでいたに違いない。今考えると思い当たる。アルバムに母の写真が一枚も残されていない訳も。私に母の思い出を一度も話さなかった訳も。 「どうしたの、あなた、涙なんか流して」  浩子が不審そうに言った。知らぬ間に、涙を落としていた。浩子は所詮他人に過ぎない。私の父への感情が分かるはずもない。 「そんなに大事なお父さんなら、もっと大切にしてあげたらどうなの」  浩子はもらい泣きしたような声を出した。  十二月に入ると、父の病状は急速に悪化していった。父の部屋には、一日中、外から鍵を掛けることになった。家の外に出したら最後、戻ってくることはなさそうだったから。白内障も次第に進行して、私の顔もぼんやりとしか分からない様子になった。山城さんに相談すると、 「水晶体レンズをいれますか?う−ん、困りましたね、心臓も悪いし……」  限科に紹介するとは言わない。今さら手術をしてどうなるというのか。このままそっとしてやったらどうか。言葉の裏にそんな気持ちが読み取れた。  父の部屋の家具をすべて片付けて、畳の上にビニールを敷いた。拭き掃除が楽に出来るように、壁にもビニールを張った。父は飲み、食べ、所かまわず排泄し、歩くだけの生き物になってしまったのだ。毎晩帰宅すると、食事をする私の耳に、二階から父の足音が聞こえてくる。父は眼を開けている時はずっと、ビニールの部屋を、壁伝いに歩き回っているのである。綺麗好きな浩子が、毎日念入りに拭き掃除しているのに、父の部屋には排泄物の異臭がしみついてしまった。  父の秘密を知ってから、治子は随分変わった。これまでの投げ槍な世話ではなく、献身的に看護しているようだった。だが、その浩子の顔にも体にも、次第に疲労が溜まってきているのを、私は敏感に察していた。研究はようやく終わりに近付いていた。論文を書き終えたら、しばらく休暇をもらい、父にも浩子にも尽くしてあげよう。私はそう思いながら、やはり深夜の帰宅を続けていた。  暮もおしせまったその夜、私はようやく論文を書き上げた。四年にわたって、数百匹のマウスを儀牲にして研究を続けた成果が、ようやく形となって表れたのである。午後九時、研究室にはもう誰もいない。私はワープロ原稿を撫でながら、熟い紅茶をスコッチで割って、ちびちびと飲んでいた。体全体がほてり、満足感が血管の隅々にまでかけめぐっている。しばらくの間、煩わしいことはすべて忘れて、私は喜びに変っていた。  だが喜びも束の間だった。研究室の電話が鳴った時、私は悪い予感がした。受話器を取ると浩子からだった。 「お父さんが行方不明なの、昼間から」  私がしゃべるより先に、取り乱した浩子の声が飛び出てきた。一瞬頭の中が空白になり、私は返事を忘れた。 「昼の食事はお父さんの部屋で一緒に食べたのよ。それから、わたし、今日は正月の食料品を買い出しに行って家を留守にしていたの。子供達も午後は外出していたし。あなた、ごめんなさい。わたし、鍵を掛けるの、忘れたらしいの」  錯乱した精神状態を表して、浩子の弁解はあちこちに飛んだ。 「帰りが遅くなって、入時になって、ようやく夜の支度が出来たの。二階で足音が聞こえないから、お父さんはてっきり眠っているとばっかり思っていたの。でも九時になっても足音が聞こえないから、おかしいと思って、お父さんの部屋に行ったら、鍵が開いていたの」  「そんなに遅くまで、誰一人気付かないのか」と、思わず怒鳴って、私はすぐに理性を取り戻した。今さら浩子を責め立てても、父が帰ってくるわけではない。腕時計を見るとすでに十時近い。 「そんなに心配するな。それで、近くを探してみたのか」 と、今度は慰めるように言った。 「大介も智美も手分けをして、あちこち探し回ったけど、どこにもいないの、あなた、どうしましょう。警察に届けましょうか。みぞれが降ってるのよ、もうすぐ雪になりそぅ。外はすごい寒さだし」  浩子はますます狼狽して、電話の向こうで泣き出しそうである。父の失踪の責任を、治子に負わせることは出来ない。これまで浩子に任せっきりにしていた私に殆どの責任はあるだろう。 「よし、すぐ帰る。それから、近くの交番に連絡しておきなさい。どこかで保護されているかもしれないから」  電話を切った私は、熟い紅茶を飲み干してから、帰り支度を始めた。  外に出ると、浩子の言う通りみぞれまじりの雪が降っていた。寒さも厳しく、本降りの雪になりそうだった。知能が三歳児程度となり、視力も衰え心臓の弱った父が、この雪の中を遠くへ行けるはずはない。すでにどこかで倒れて動けなくなっているかもしれない。あるいは、すでに心臓発作を起こして冷たくなっているかもしれない。  寒さと雪が忘れかけていた遠い日の思い出をよみがえらせた。父が英樹を助けたように、父も親切な人に助けられているに違いない。あれほど自分の事を考えず、ただ他人のためにだけ生きてきた父が、誰からも見捨てられ、雪の中で行き倒れて死ぬのはあまりにも不公平であった。必ず誰かが助けてくれるはずだ。それは私の確信に近かった。  ──クリスマス・イブの夜、父と私は小雪が降る町を歩いていた。父はクリスマス・ケーキを持ち、小学三年の私は鶏を抱えていた。冬になると必ず出来る霜焼けは憂鬱の種であったが、クリスマスから正月にかけての十日間が、一年の内で私は一番好きだった。たっぷりとたれが染み込んだ鶏もデコレーション・ケーキも、腹いっばい食べられるのは、クリスマスしかない。そして正月になると、父が浅草へ三本立ての映画に連れていってくれるのである。だがその年の暮は、あの英樹のためにだいなしになってしまった。  家の近くに、ふだんは犬や猫と子供しか行き来しない狭い路地がある。その路地から靴を履いた足が突き出ていたのである。辺りは暗くなり家の明かりも届かないから、よほど限を凝らさないと、見逃してしまうところだった。  近付くと、大きな鼾が聞こえてきた。父は英樹を路地かち引きずり出した。泥で汚れてはいたが英樹のコートほ父より上等で、頭も綺麗に刈っていて、悪い人間ではなさそうだった。酔っばらって赤い顔をしていたが、随分やせていた。  英樹は父の肩を借りて起き上がったが、一人で歩く力がなかった。体が崩れて、すぐに道路に坐りこんでしまう。父はかがみこんで、英樹と何かしゃべっていたが、私には意味は分からない。十五分も立ちっばなしで、私はすっかり冷えてしまった。雪は粉雪になり、風も強くなった。私が凍えていると、寒さで顔を白くした父が振り向いて言った。あの言葉を私は今でも覚えている。 「この人は家出してきたんだよ。可哀想に」  それから父ほ、背の高い英樹を支えて歩き始めた。警察に行くのでほなく、家へ連れて帰ることにしたのだ。私は小さな胸を痛めた。きっと英樹のために、ケーキも鶏も、皆食べられてしまうに違いない、と思ったのである。  私が恐れていた通り、英樹はやせているのに大食いで、父が用意したクリスマスのご馳走も、遠慮しないでどんどん食べてしまった。それから毎晩、英樹と父は酒を飲みながら、難しい話をしていた。駆け落ちだとか勘当だとか、私には訳が分からないことを、ひそひそと、夜が更けるまでしゃべっていた。英樹ほだんだん元気になり、正月には父と三人で映画を見にいった。浅草の映画館は混んでいて坐れなかったが、英樹は私に肩車をしてくれた。私は次第に英樹が好きになってきたが、正月の最後の日に、若い女が訪ねてきて、英樹を連れて帰ってしまった。それ以来、英樹と会ったことはない。今では京都のD大学の教授になった英樹から、毎年父に年賀状が届き、恭一君はお元気ですか、と書かれている。──  私は車を発進させた。エンジンを温めている間に、雪はすっかり本降りになっていた。 「スリップしないように、気を付けて。良いお年を」  正門の守衛が敬礼をしながら声を掛けた。体が凍えて、舌も口もこわばり、満足な返事をすることも出来ない。私は徐行しながら道路に出た。  父がまだ見つからないとすれば、すでにどこかで倒れているかもしれない。最悪の予感が胸を切り裂くように痛めつける。風が吹き雪が舞い、目の前もよく見えない。歩道に眼を向け、父の姿を求めながら、のろのろと事を走らせた。死ぬなよ、父さん。私は少年時代の心に戻って、そうつぶやいていた。  国道が市道と交差している。信号が青に変わった。そろそろとハンドルを回し、歩道のない市道に入っていった。暗い。前方にぼんやりと人影が見える。男のようだ。傘を差さずに歩いている。父だ。ヘッドライトの明かりの中に父が背中を見せていた。足取りはしっかりしている。私はクラクションを鳴らした。男が振り向いた。父ではなかった。後ろ姿は似ていたが、男は若者の顔をしていた。今の心理状態では、どんな男の姿を見ても、父と間違えそうだった。  車を家の前に横付けにすると、すぐに玄関が開いて、浩子が転げるように飛び出してきた。 「あなた、お父さん、無事だったのよ。警察に保護されていたの、警察に」  喉が熱くなって声が出ない。 「よかったわ、早く迎えにいきましょう。あなたに連絡してから、すぐ警察に届けたの。そうしたら、十時過ぎにT町の裏道で、お父さんが動けなくなっているのを、通りがかりの人が助けてくださったらしいの」  T町の派出所の奥の六畳の部屋で、裸にされ、二重三重の毛布にくるまった父は、こちらに背を向け、寒そうに電気ストーブにあたっていた。私を案内した恰幅のよい中年の巡査は、ガラス戸越しに父に目を遣ると、笑いながら助けられた時の状況を教えてくれた。  保護されるのがもう少し遅かったら、父は凍死していただろう。T町の交差点に近い裏通りの路地に、父は疲れ切ってしゃがみこんでいた。そこほ町中でも、人通りが一番少ないところである。たまたま車で通りかかった二人の若者が、暗がりで立ち小便をしようと外に出て父を見つけたのだ。いやがるのを強引に車に押し込んで、派出所まで連れてきたらしい。 「ちょっと、小便をかけられたらしいんですがね、いや、ほんとに運が良かったんですよ」  巡査は最後にそう言うと、引き戸をがらがらと開けて、 「土谷さん、ほら、お迎えがきたよ」  父が振り向いた。行きずりの人を見るような眼で浩子と私を一瞥し、すぐに顔を背けた。口を利く元気もないらしい。ちょっと見ない間に、父の顔付きがすっかり変わっている。消耗しきって、尖り気味の顎が一層尖り、瞳には何の力もない。今ここに坐っているのは脱け殻である。本当の父の精神はすでに体から離れて、どこか遠くをさまよっているに違いなかった。 「お父さん、寒かったでしょ」と、浩子が優しい声をかけた。持ってきた服を着せても、父は何の反応も見せない。支えないと、まともに立つことも出来ない。 「あなた、なにしてるの、おぶってあげなさいよ」  浩子に急かされ、私は父を背負って派出所の外に出た。帰りの車の中で、黙り込んだ父は、窓の外で降りしきる雪を不思議そうにいつまでも見つめていた。  その翌日から、父は殆ど食事をとらなくなった。水を飲むにも、意味不明の悪態をつきながら、いやいや飲む。とにかく歩くことが好きな父だった。八畳の部屋の中を、何かつぶやきながら、ぐるぐると歩き回る。疲れると、畳にごろりと横になってしまう。私は一刻も眼を離さずに、父を見守った。下の世話も私がした。これ以上、浩子に迷惑ほ掛けられない。  父は歩き続けた。このまま歩き続け、水もまともに飲まなければ衰弱死するのは明らかだった。大晦日になって、思いあまった私は山城さんに電話をして往診を頼んだ。  型通りの聴診と血圧の測定をすませた山城さんは、どこかに入院させてくれと迫る浩子に、困り切っていた。 「どうしても食べられないんなら、もちろん、入院させて点滴するしかありませんがね。しかし、どこに入院させます。普通の病院では、土谷さんのような患者は嫌がるんですよ。老人病院は全部満床ですしね。精神病院に入れるのもお気の毒でしょう。それにしてもちょうど時期が悪いですな。四日の日まで、なんとか水分だけでも、補給しといてください。四日になったら、取りあえず、どこか病院を紹介してあげましょう」  ブドウ糖の静脈注射でもしますか、と山城さんが注射器 を見せたら、父はおびえて部屋の隅に逃げ頭を抱えた。山城さんは苦笑しながら注射器を往診鞄に仕舞って帰っていった。 浩子は正月の支度で大忙しである。大介は部屋に閉じ込もって受験勉強、智美は浩子のお手伝い。私は父の部屋にこもりっきりになった。大変な大晦日と正月になった。私はむずがる乳飲み子にミルクを飲ませるような調子で、牛乳やスープやスポーツドリンクを飲ませ、何とか正月の三日間を無事に乗り切ることが出来た。  山城さんに紹介されたM病院の待合ホールは、ごった返していた。インフルエソザが大流行しているため、病院全体が殺気立っている。赤ん坊の泣き声が、鼓膜に鈍く突き刺さる。内科のベンチに腰を下ろした父は、背を曲げ首を垂らし、限を閉じていた。出掛ける前に、新しいおむつをし、下着もズボンも変えたばかりだったが、すでに股間に尿のしみが出来ている。かつては神経質なほど服装に気を遣った父も、今では尿でズボソを汚しても平気な顔だ。浩子は病院まで車で送ってくると、甲高い声を残して、すぐに帰っていった。 「絶対に入院させてくださいよ。大介は、今が一番大事な時なんですからね。分かっているでしょう」  智美はインフルエンザで発熱している。付添いは私一人だった。  二時間近くも待たされて、ようやく診察室に呼び込まれた。診察した五十年配の医師は、山城さんからの紹介状を読むと、丸椅子に腰を掛けた父を困惑したようにちらっと見ただけで、診察をしようともしない。 「いくら心臓が悪いと言ったって、頭の方がここまで進行したら、内科の一般病棟じゃ、とても無理なんだよ。おたく、分かっているんでしょ、それくらいの事は。正直に言って、こちらでは迷惑してるんだ。精神病院に入院させたらどうかね」と、医者はあけすけに言った。父の耳はまだ聞こえるのだ。その父の前でひどいことを言う。怒りで顔に血が上った。だが、肝心の父は、何を言われても意味が分からないらしい。ばんやりと医師の背後の窓を見つめたままである。  そうですか、失礼しました、それでは帰ります、と尻をまくりたい気持ちを抑え、私ほ我慢することにした。医師は返答を待っていた。すぐにでも紹介状を書きそうに、いらいらとボールペンの先でカルテを叩いている。薄暗くじめじめとして、格子の付いた精神病院の個室が思い描かれた。ここでうなずいたら父に悲惨な運命が待っているような気がした。私は頑固に沈黙を続けた。医師は相当にせっかちな性格らしい。並んだカルテに忙しそうな眼を走らせると、 「そうかね、気が進まないかね。しようがない。山城先生の紹介だから、とりあえず入院ということにするけどね。だが、個室が空いてないんだよ。個室が。大部屋ということになるが、それでもいいのかね」と、恩きせがましく言った。 「それからね、もし動き回ったり、暴れたりしたら、体をベッドにしばりつけることになるんだよ」  私はひとまず安堵の息をついた。  病室は六人部屋だった。ドアを開けると、窓に向かって左右に三つのベッドが並んでいた。五人の患者のうさん臭そうな眼が一斉に注がれた。私は挨拶をしながら頭を下げた。車椅子に坐った父は、感情のない目付きで部屋の中を 見回している。ドアを入ってすぐのベッドに、看護婦が荷物を置いた。  父は看護婦に手際よく裸にされ、体を蒸したタオルで拭かれた。それからおむつをされ、パジャマに着替え、ベッドに横になった。父はすぐに眼を閉じてしまった。よほど疲れているようだった。 「何の病気なんですか」  隣のベッドの世話好きそうな若者が、血色のいい顔に笑みを浮かべて尋ねた。ぼけたとも言えず、 「ええ、ちょっと食欲がなくなりましてね」 「これからが大変ですよ、毎日検査が続きます。ここの先生方は検査大好き人間ばっかりですからね」と、若者は皮肉っぽく言って、私を心配させた。注射を異常に怖がる父が、おとなしく検査を受けるとは思われない。それに点滴注射の間、静かにしているだろうか。すぐにでもベッドにしばられるのではないだろうか。私の不安は広がっていった。  看護婦が迎えにきた。すぐに、脳のMRIの検査をするという。 「そら、言ったとおりでしょ。食欲がないだけで、MRIをするんだから、たまったもんじゃない。まったく医療費の無駄使いですょね」  頭を持ち上げた若者は、点滴針の刺さった腕を伸ばしたままおどけるように言った。脳のMRI挨査は受けねばならない。アルツハイマーかどうか、検査の結果が教えてくれるはずである。あどけない顔をした若い看護婦が、きつい口調で、 「息子さんは、こちらで待っていらして結構です」  気味の悪いくらい静かにストレッチャーに移されて、父は部屋を出ていった。がんばるんだよ、と声を掛けても、仰向いたまま眼を閉じて返事もしない。  話し好きの若者に閉口して、私は廊下に出た。廊下の外れまで歩いて、素通しのガラス越しに、冬景色をばんやりと見下ろした。病院前の大通りの銀杏並木ほ、針金細工のように荒涼とした姿をさらしている。道を行く人々は寒そうに背を曲げて歩いている。研究論文をまとめ上げたばかりだというのに、私の心まで、すっかり冷え込んでしまっていた。  二時間近く待った。エレべ−ターの扉が開き、ストレッチャーが出てきた。父だった。相変わらず身動きもせずに寝ている。どうやら検査は無事に終わったらしい。だが、看護婦は私の顔を見ると、うんざりした表情で、 「大変だったんですよ、暴れちゃって。しょうがなくて、鎮静剤を注射して、ようやく検査をしたんです。これから採血して、点滴を始めますけど、しっかり付き添って下さいね。他の患者さんの迷惑にならないように、お願いしますよ」 一時間ほどして、鎮静剤の注射が切れたのか、父は眼を開いた。自分がどこにいるのかも分からないらしい。右に左に首を振って、いぶかしそうにしている。点滴注射が脳細胞をみずみずしくしたのか、目付きが少し生き返っていた。  「父さん、気が付いたかい。ぐっすり眠っていたね」  注射をした腕を抑えながら声を掛けると、父は不思議そうに私を見つめた。  「お前は誰だ」  「恭一ですよ、恭一」  父は雲のかかった水晶体でじっと見つめていたが、恭一とは誰であるか、はっきりとは理解できないらしい。隣の若者がベッドから体を乗り出し、楽しそうに笑いながら、人差し指で自分の頭を叩いた。 「おじいちゃん、すっかりぼけちゃってるんだ」  父は点滴注射をされているという意識もなく、再び眠り込んだ。私は丸椅子に腰を掛けて父の左手を抑え、憔悴しきった寝顔を見つめていた。  過去の懐かしい情景が次々とよみがえる。つらい思い出も今でほみな美しい。その中でも、父とともに勉強に励んだあの夏の日々は、格別の思い出として脳裏に刻みこまれている。  ──三十年ほど前、夏休みになったばかりのその日、私は父の前に正座をしてうなだれていた。小学四年の時、東京から千葉に引っ越して、友達も変わり先生も変わった途端に、私は勉強しなくなり成績が悪くなった。父は一年間は何も言わなかったが、通知表の評価が、オール2になったのをみて、とうとう説教することにしたのである。  父は通知表を畳の上に広げ、私の前で腕を組んでいた。怒るわけでもなく、三十分たっても一言も口を利かない。家の外では蝉がうるさいほどに鳴いていた。私は足がしびれてきたが、父が正座をして背筋を伸ばしているので、身動きするわけにはいかない。汗が額から垂れ畳に落ちた。それから涙も垂れて畳がぬれた。するとようやく父の静かな声が、風鈴の音といっしょに聞こえてきた。 「恭一は母さんがいないから、家に帰ってもいつもひとりぼっちだったな。父さんが悪かった」  私の限にどっと涙があふれた。 「この夏休みは、父さんの部屋で勉強しなさい。父さんが机に向かっている間は、恭一も勉強するんだよ、分かったね。よし、これから外に行って、氷いちごを食べようか。勉強はそれから始めるんだ」  説教はそれだけだった。夏休みの間、家にいる時、父は八時間は机の前に坐っていた。私も父と同じ時間だけ机に向かうことになった。勉強の合間に、私は父が買ってきた偉人伝をたっぷり読まされた。キュリー夫人伝、野口英世伝、エジソン伝、北里柴三郎伝、シュヴアイツアー伝。今考えると、その中にナポレオンやワシントンなどの軍人や政治家の伝記が入っていなかったのは、争いを好まない父らしい選択であった。──  右手に父の腕の力を感じた。私ほ少しうとうとしていたらしい。 「これは何だ」  脳天から飛び出たような声だった。父は半分体を起こしていた。くぼんだ眼を大きく見開いている。やせ衰えて尖った顔は、追想に現れた柔和な父とは大違いである。私は現実に引き戻された。 「注射は嫌だ、嫌だ」  父の右手はすでに、点滴瓶に射し込んだ連結チューブをつかみ、制止するより早くチューブを引き抜いていた。点滴瓶からぽたばたと、黄色い液体が滴り落ちた。父はベッドに立ち上がろうとして、私の腕の中でもがいた。 「すみません、看護婦さんを呼んでください」  隣の若者がインターホンのボタンを押した。  二人の看護婦が駆けつけた。驚いた一人がすぐに医師の指示を受けに戻っていった。やがて、父ほ再び鎮静剤を注射され、眠りに落ちた。看護婦はもう点滴をやろうとは言わない。医師は外来が忙しいのか回診にも来ない。  それから二時間が過ぎた。窓の外は薄暗く、すでに五時を回っていた。外来で父を診察した医師が、せかせかと病室に入ってきた。父は幸いにまだ眠っていた。起きていれば、医師にどんな悪態をつくか分からない。医師はベッドの上をちらっと見ると皮肉っばい笑いを浮かべ、聴診器も取り出さずに、 「分かっただろう。やっばり無理なんだよ、ここに入院して治療するというのは。なにしろ、君」  看護婦が差し出すMRIのフィルムに人差し指を叩きつけながら、 「なにしろ、君、脳味噌が半分もないんだからね。アルツハイマー、典型的だ。間違いない」  そう言うと医師は急に黙った。手の掛かる痴呆症の患者は、一般病院ではとても面倒を見切れないと、その眼が語っている。 「どこに行ったらいいんでしょうか」  姿勢を低くして私は尋ねた。 「そう正面切って言われては、私も困る。今朝話したように精神病院なら紹介してあげる。特別養護老人ホームに入れたらいいんだろうけど、なにしろ申し込んでも半年以上は待たされるからね。それとも、だれか、政治屋さんに、強力なコネでもあるかね」 「そんなものはありません」と、私は怒りをぶつけるように言った。 「患者が一番望んでいるのは、家で家族に囲まれて、最後の時を迎えることじゃないのかな」  理屈の通った言葉ではあったが、私にほ、父を追い出すための方便としか聞こえなかった。医師ほ早く決着をつけたいらしく、膝を揺すりながら返事を追っている。家に連れて戻れば、看病疲れした浩子の冷やかな眼差しが待っている。しかし、精神病院にはどうしても抵抗がある。 「しばらく考えさせてください」と、私は決断を先に延ばした。 「そうかね、なるべく早く返事をくれたまえ」  気まずそうに言った医師は、腕時計をちらっと見ると、せき立てられるように隣の若者のベッドに向かった。  さらに一時問がたった。すでに外ほ真っ暗で、北風が吹き荒れ、窓ガラスを鳴らしている。鎮静剤の効果が切れたのか父は再び起き出した。今度ほベッドにあぐらをかき、怖い目付きをして、部屋の中を見回している。いきなり私を指差し、 「お前は誰だ」と、怒鳴った。  病室の中は乾いた笑いで包まれた。笑い声に怒って、父はベッドから下りようとした。私が止めると、奇声を上げて手を振り上げた。醜態をこれ以上人目にさらせば、父の名誉にもかかわるだろう。もう一度注射してもらう以外に 方法はない。私はインターホンのボタンを押した。 「もう注射は出来ません。先生が紹介状を書くそうですので、これからすぐ、C病院へ行ってもらえませんか」  病棟主任らしい中年の看護婦が来て、申し訳なさそうに言った。C病院は精神病院である。車でたっぷり三十分はかかる遠方にある。寒々とした精神病院の一室で、父が壁を伝いながら一人で歩く姿を想像するだけでも、涙がこぼれそうになる。絶対に精神病院に隔離するわけにはいかない。浩子の仏頂面と、入試が間近に迫った大介のげっそりした顔とが、相次いで脳裏をかすめたが、私はようやく、家に連れ帰る決心をした。 「分かりました。家に戻って、もう一度、山城先生に相談してみます」 「そうね、それが一番いいわ。精神病院の隔離病棟に押し込めるのは、お気の毒よ」  病棟主任ほほっとしたように言った。  父をベッドから下ろし、車椅子に乗せた。連絡を受けてやってきた浩子は、案の定、機嫌撥嫌が悪い。 「どうするのよ。大介は今が追い込みで、毎晩遅くまで勉強しているのよ。せっかく、C病院を紹介してくれるというのに、あなたって、ほんとにファザコンで、頼りないったらありやしない。こんなことが、いつまで続くのよ」  これまで懸命に父を看病してくれた浩子も、大介の受験を控えて神経が極度に高ぶっているらしい。相手にならないに限る。私は聞き捨て、黙々と車椅子を押していった。  一階の待合ホールを玄関に向かっていた時、いきなり父が、おしっこ、とわめいた。トイレの前に引き返し、父を抱いて便器の前に立たせた。パジャマのズボンを下ろし、おむつを外してペニスをつまんだ。それはあまりにも小さく、しわだらけで黒ずんでいた。このペニスが人並みの大きさであったら、父の人生も、それに恐らく私の人生も違ったものになっていたろう。  トイレの外で、浩子の足音が聞こえる。いら立ちを正直に表している。私は覚悟を決めた。誰の助けも借りない。父が息を止めるまで、すべての面倒をみてやろう。今それをしなければ、私は生涯後悔することになるだろう。 「さあ、お父さん、おしっこしてもいいんだよ」  三分ほど待ったが、小便は出ない。かがめた私の腰が痛くなってきた。 「それじゃあ、家まで我慢するんだよ」  父を支えながら車椅子に運ぶと、 「出たの」と、待ちくたびれた浩子が訊いた。私は首を振り何も言わずに、車椅子を押して玄関の外に出た。  車の後部座席に父を乗せ、私が横に坐った。浩子が車を運転した。五分もしないうちに、 「おしっこ」と、父が言った。浩子が急ブレーキを掛け、面倒見切れないという調子で、  「どうするのよ」 「お父さん、おしっこは家に帰ってからにしようね」  車はがくんと急発進した。もっと丁寧な運転をしろ、と怒鳴る間もなく、父の股間に触れていた手が、温かい尿で濡れた。 「出ちゃったようだ」 「おむつの当て方が悪かったのよ。あなた、責任もって車を掃除してくださいね。わたしは今後一切、お父さんには関わりませんからね、大介や智美のことだけで、ほんとうに精一杯ですから」と、浩子ほ荒れ狂っている。 「家についたら、風呂に入って、おむつを替えるから、それまで辛抱するんだよ」  父に話し掛けると、運転席の浩子が、 「ほんとにファザコンなんだから」と、呆れたようにつぶやいた。ファザコンか、確かにファザコンだな、と私は妙に納得した気持ちになっていた。  病院から帰った翌日、研究室の部長に電話をして、休暇を願い出た。事情を話すと、部長は、 「そう長くはならんのだろう」と言いながら、三週間の休暇を許してくれた。それから山城さんに往診を頼んだ。  脈を取った山城さんは、 「不整脈が随分ひどくなりました。いつ心臓が止まってもおかしくない状態ですね」  その声が聞こえたのか、眠っていた父は起き上がり、山城さんに意味不明の罵声を浴びせて暴れた。眼鏡を飛ばされた山城さんは、帰り際に、 「水だけでも、きちんと飲ましておきなさい。万一の時の後始末はちゃんとしますからね」と言い残して、早々に退散した。山城さんは鎮静剤を置いていったが、父には殆ど効果がない。  階下の時計が二つ時報を打った。夜の二時である。振り子の音が耳について眠れない。あんな古時計は捨ててしまおう。眠れない夜には、あのカチカチという音が、墓場へ向かう父の足音のように無情に響く。父は隣でいびきをかいて眠っている。  入畳の部屋には二つの布団が並べて敷いてあった。部屋の隅に置かれた大きなビニール袋から、さっき捨てたばかりの父のおむつが臭っている。何も食べないのに、五日ぶりに大量の便が出た。強烈な臭いが袋から漏れて出る。捨てなければと思いながら、眠気と気だるさに負けて、私は体を動かすことが出来ない。  退院してから、初めの三日間だけ父はおとなしかった。夜は良く眠ってくれた。食事は拒否したけれど、水は飲んだ。だが四日目から病状が大きく変わった。毎晩午前三時頃になると、決まって父は起き上がるようになった。頭の中に目覚まし時計がセットされているように正確である。胸をゼーゼーさせながら父は歩いた。何かぶつぶつと口の中でつぶやき、八畳の部屋を右に行き左に曲がり、壁にぶつかり、後戻りをし、方向性のない歩みを続ける。一時間ほど歩き回ると、父は呼吸が苦しくなってしゃがみこむ。スポーツドリンクを差し出すと、音を立てて飲み、首をがくっと垂らしてから床に倒れ込むのである。  私は父が転ぶのを恐れて、一緒に部屋の中を歩いた。緊張したまま一時間も歩き回ると、疲れきってしまう。父が倒れ込むと同時に、私も腰を抜かして坐り込んでしまうのである。そんな夜が、すでに二週間も続いていた。  三時までにはまだ時間があった。天井からつり下がる螢光灯のスモールランプに眼を凝らしているうちに、ようやく私は浅い眠りに落ちた。  がたがたとドアを叩く音がした。飛び起きると同時に、私は布団を丸めて押入れに放り込んだ。父は両手を振り上げ、太鼓を叩く猿の人形のように、ぎこちなくドアを叩いている。外へ出たいらしい。八畳の部屋の中を歩くだけでは満足できなくなったのだろう。  私は螢光灯のスイッチを入れた。父が振り向く。息遣いがいつもより荒々しく、眼差しが鈍い。瞳も輝いている。人間の眼ではない。瀕死の獣が、最後のカをふりしぼり、死に場所を求めて立ち上がったようだった。 「お前は誰だ」と、もうそれしか言わなくなった言葉を、切れ切れに口にした。 「恭一だよ、恭一。忘れたのかい」  父は答えない。ちょっとドアから離れ、犬の遠吠えのような声を上げながら歩き始めた。布団を片付けた部屋はがらんとして、黒いビニール袋以外に何もない。  再びドアの前に立った父は、拳を握ってドアを叩き始めた。いつまでも叩いている。束縛から逃れたいという本能だけが残されているのだ。私は父が涙を流しているのを見た。一腕、厳粛な気持ちに襲われる。どうせ死ぬなら、思いどおりに死なせてやろうか。排泄物の臭いのこびりついたこの部屋よりも、広大な星空の下で死なせてやろう。もうやむをえない。私は父を外に連れ出すことにした。 「いつ心臓が止まるか分かりませんよ。長生きさせたければ、なるべく歩かせない方がいいんです」  昨日の昼に往診して、山城さんはそう言った。寿命が縮んだってしょうがない。父には父の死に方があるのだ。 「よし、父さん、外に散歩に行こう」  耳元で大声を出すと、父は理解したらしい。すぐにおとなしくなった。死を予感して父の下着を新しくした。正月用にと浩子が買っておいたセーターに着替えさせ、昔から父が愛用していたバーバリーのコートを着せた。  すべり落ちないように注意しながら、狭い階段をゆっくり下りていった。父にスニーカーを履かせていると、奥の寝室の螢光灯が灯り、寝巻にガウンをはおった浩子が、廊下をおろおろしながらやってきた。、 「今、何時だと思ってるの。一体、二人でどこへ行くの。もう、いい加減にしてちょうだい。凍えて死んでしまうわよ」と、泣き声で切りつける。 「ちょっと散歩にいってくる。父さんは外に出たいらしいんだ。ほら、見ろよ。うれしそうな顔をしているだろ」  久し振りに父は人間らしい表情をしている。一体どこまで分かっているのか頬をゆるませている。眼差しに意思はないけれど、部屋の中を歩き回っている時のすさんだ顔付きではない。 「ばかじゃない、あなたは。二人で一緒に、地獄でも天国でも、どこでも散歩に行ってらっしゃいよ。もう、わたしは知らないわ」  外へ出ると、ドアが背後で激しい勢いで閉じられ、内側から鍵が掛けられた。父と二人きりになった私は、昔を思い出して、 「さあ、父さん、出発進行」と言った。 「よーし、しゅつぱーつ」  昔の父ならそう答えたろうが、今の父は何も言わない。  しかし、浩子の心配していたとおり、厳しい寒さがすっぽりと父と私を包んでいた。爆弾を抱えた父の心臓はたちどころに破裂してしまうかもしれない。  父は久し振りの夜の空気をいとおしむように息を吸い込んだ。夜半まで吹いていた風も止んでいた。数メートルよろめき歩いた時、父が不意に声を出した。 「恭一、しつかり勉強しているか」  空耳かも知れないが、私にはそう聞こえた。私は立ち止まり、街灯に照らされた白い顔を見つめた。父の眼は少しも動かずに、前方に固定されている。その言葉は高校時代にさんざん聞かされた。脳細胞が半分になっても、記憶中枢の、一部はまだ破壊されず、刻まれていた昔の言葉が、意思と関わりなく飛び出したのかもしれない。 「うん、だいじょうぶだよ、心配しなくても」  私は昔の通りに答えた。  それから父はあえぎあえぎ歩いていった。私はすぐ後ろを、よちよち歩きの赤ん坊に付き添うように、両手を父の体の左右に伸ばしてついていった。三十メートルも進まないうちに、父は右手で胸を押さえて道路に坐り込んだ。寒気が体の芯にまでしみこんでくる。 「お父さん、どうする。家に帰るかい」  父ほ答えない。唇は蒼白に見え、顔色はなく、頬は蝋人形のようにこわばっている。私は父を背負っていくことにした。父が満足するまでどこまででも行ってやろう。  しゃがんで背を向けると父はおぶさってきた。干からびた枯れ木のように軽い。 「どこに行こうか」と訊いたが返事はない。私は当てもなく歩いた。冬の夜はしんと静まっている。遠くかすかに救急車のサイレソが聞こえている。背中の父は今何を考えているのだろう。私は黙ってどこまでも歩いた。  もう何時になったのか。腕時計を見ると、五時を回っていた。一時間は歩いたことになる。新聞配達のオートバイが向こうからやってきた。怪しい二人と思ったか、若い男はオートバイを止め、しばらくこちらの様子をうかがっていた。息を弾ませて、私は街の灯を一望の下に見渡せる高台にやってきた。 「父さん、どうだ、見えるか、綺麗だろ」  そう言って前方を見渡したものの、夜明け前の灯はすでに色褪せていた。私は一休みすることにした。ベンチに父を下ろし、背もたれに寄り掛からせて坐らせた。アベックのように腕を組んだ時、私は父の息遣いを聞いた。まだ生きている、と心が和んだ。冷えが一層厳しくなった。 「父さん、冷えるかな」と訊いたが、父は黙って眼を見開いたまま、明けようとする街を見つめている。もうすぐ夜が明ける。東の空から上る黄色い太陽を、私は見たいと思った。父にも見せてやりたい、と思った。おそらく今朝の太陽が、父が見る最後の朝日になるだろう。だが、夜は明けそうでなかなか明けない。ふと気付いた。父の体が急に重くなり、私の肩にもたれかかっている。のぞき込むと、父の瞳孔ほ大きく開いていた。指の先で眼に触れたが瞬きもしない。握り締めると、手も足もこわばっていた。父は最後の太陽を見ることなく、命を落としたのである。  その時、突然、暗闇に光が射した。空が白んだ。一筋の朝の光がまっしぐらに飛んできて、父の死に顔を明るく照らした。                           (了)

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