小説家104号  

「佐倉真佐子」という本

          

石井 利秋

 私の住む佐倉市は、このあたりではけっこう古い町である。千葉県の名のもとになった千葉氏の居城は、千葉市ではなく佐倉市にあった。佐倉市の観光案内に「本佐倉城址」というのが出ている。そこは、町外れの谷間の狭い山道を抜けた田圃の向こうで、今は荒れた山林になっている。本丸跡とか二の丸跡という立札がなかったら、とても昔武士たちが群がっていたとは想像できない。  千葉氏が滅亡した後、江戸時代になると佐倉藩がおかれることになった。この時代の佐倉城は本佐倉城とは別の、現在の国立歴史民族博物館のある場所に築かれた。  佐倉城の城主も途中何人か変わったが、そんな大名のうち元禄のころ佐倉城主をつとめた稲葉氏の家臣に、渡辺善右衛門という人物がいた。生まれたのは元禄十四年(一七○一年)。この人物は二冊の書物を残した。一つが「古今佐倉真佐子」でもう一つは「山州淀の記」という。二十三歳まで佐倉、その後大名の所替えにより淀に移り住んだため、このようなかけ離れた二つの土地についての書物ができた。  私が「古今佐倉真佐子」の存在を知ったのは、ずっと以前何かの用で佐倉市役所に行ったときのことだ。ホールの一隅に郷土史料のたぐいを紹介販売しているコーナーがあって、何気なく近づいてみると佐倉の名のついた妙な題名の本が目にとまった。真佐子とは女の名だろうかと考えたが、さして興味はひかれなかった。その後「真佐子」は「まさこ」ではなく「まさご」と読み、佐倉のいろんなことを書きとめたものという意味だということを知ったのだが、その時はまだ手にすることはなかった。  先日友人が遊びに来て、佐倉を見たいと言う。私は佐倉に住んでかなりになるから、場所は知っているのだが、歴史的なことはせいぜい他人からの聞きかじりや観光パンフレットの読みかじり程度の知識しかない。友人が帰ったあと、あれを読んでおけばよかった、と久しぶりに思いだしたのが「古今佐倉真佐子」だった。  さっそく市役所に買いにいくと、売り切れだった。図書館にはあると言う。活字になってはいても、言葉がどうかと思いながら開いてみるとどうやら当時の口語体に近いのか、ほとんど違和感なく読めるのには驚いた。もっともこれは編纂者によって、変体がなや片かなをひらがなに直すなどの手が加わってはいるのだが、まずは助かった。  読み始めるとなかなか面白い。江戸から佐倉への道すがらの風物、途中の関所、佐倉城の建物の配置、武家屋敷や曲輪ようす、道筋や木立のこと、そこに並ぶ神社仏閣、年中行事、信仰のありよう、近在の村、直接間接に聞き知った怪談めいた噺の数かず。四季の気象や災害、野馬狩、鹿狩、猪狩から奉公人の年俸まで書かれている。  編纂者のまえがきによれば、「原本は小半紙型紙数表裏共五十五枚」とある。原本の写真を見たが、半紙の上下左右の端まですきまもなくびっしりと毛筆で書かれていた。たぶん印刷、発行はされなかったものと思われる。書かれた当時から一冊だけだろう。渡辺家に代々大切に伝えられたものが、渡辺家から佐倉市に寄贈されたものだ。  佐倉の郷土史家にとっては実に貴重な書物であるのはもちろん、私のような門外漢の市民にとってもとっつきやすいのがよい。原本をもとに何度か印刷されたものは、すべて売り切れていることを考えると、かなりの市民がこれを読んだことになる。  渡辺善右衛門がこれを書いたとき、どのくらいの人が読んだろうか。一冊しかないとすれば、回し読みや朗読をしたところでたかが知れている。この本は渡辺善右衛門が淀に移ってから書かれたものだというから、遠い佐倉のことに興味を示す人はなおさら少なかったに違いない。ところが三百年を隔てて、現在彼の著書は印刷され、読者を得たのである。   いったい渡辺善右衛門はどんなつもりで、この本を書いたのだろうか。江戸時代の名所絵図や浮世絵はよく目にするが、文章で各地の様子を書いたものもあるらしい。そのてんでは「古今佐倉真佐子」が特別な形式の書物というわけではないのだが、田舎の城下をこれほど事細かに書き残した情熱や根気、努力にはやはり驚く。経歴を見ると百五十石取りで、最後は御軍師という役についており、多分幹部藩士だ。この書物の実物が手書きのままであることから見ても、彼がこれを売ることは考えていなかっただろうとは推察できる。書くことへの情熱だけがこれを書かせたということだ。  今から三百年前、たぶん薄暗い行灯の下で、不便な毛筆を使って一字一字書いていったのだろう。当てにする読者はだれだったのか。五十五枚の半紙の裏表にびっしり、ようやく書き上げた後、糸でくくって一冊の和綴じ本にする。さて、これをどうしたものかと善右衛門は考えたろうか。  時代は変わったけれど、ものを書くという行為はちっとも変わっていない。同人雑誌に書いている私なども、時間を割き、それなりに身を削って書く。書いているときは、それ以外のことはなにも考えない。ひたすら作品の完成だけをめざしている。が、ひとたび書き終えてしまうと、発表したものが、何年くらいもつものなのかなどと改めて考えるまでもなく、合評会が終われば、再び読まれることは期待できない。これまで長年書いてきた作品を、どうしたらいいのだろうかということも考える。同人雑誌のまま保存するか。単行本にまとめるか……。それからどうする、と考えるともう見当もつかない。  出版社によって、発行される本や雑誌の量だけでもそうとうなもので、その大部分がその場限りで読み捨てられていく時代に、同人雑誌に発表した作品がどうなるのかなど、考えるだけでも空しくなってくる。  書いているときの情熱と、書き終えた後の空しさ。渡辺善右衛門の心の中も、それに似たものがあったのだろうか。しかし「古今佐倉真佐子」は残ったのである。  書いてなにになる、どうすると考える前に、渡辺善右衛門は書きたかったのだろう。書きたいという自分の気持ちだけで書いた。そして幸いなことに子孫が作品を大切に保存しておいた。その結果、たぶん著者が生きていた頃考えてもみなかったほど多数の読者を、現在得ることができた。その意味では、三百年を経てようやく彼の仕事は報われたとも言える。しかし生前の彼はたぶん、三百年後に報われるかどうかなど考えていなかったに違いない。と、そんなふうに考えてみることは、少しばかりだが現在の私の役には立つのである。   

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