公開選考会
 
          結城五郎
 
 今年でサントリー・ミステリー大賞二十
年の歴史に終止符を打つことになったそう
である。どんな事情があるのか分からない
が、残念でならない。そもそも、この賞は江
戸川乱歩賞に対抗して創設されたらしい。
今は亡き開高健が、選考会ほど面白いもの
はないから公開にしよう、と鶴の一声。ほ
かのどんな文学賞とも異なる公明正大な選
考方式を売り物にしていた。候補者は選考
委員の毒舌に耐え、三百人ほどの傍聴人の
好奇の眼差しにも耐え、忍耐また忍耐の選
考会になるのである。
 私の作品『心室細動』が最終選考に残り、
自身、公開選考の渦中に投げ込まれたので
あるが、その時の顛末をここに書き記して
おきたい。
 私は『小説家』 に短編を発表するかたわ
ら、初めてのミステリー小説を三年がかり
で書き上げ、サントリー・ミステリー大賞
に応募した。まだ五十四歳の時、六年前の
五月末のことである。全力を尽くしたから
結果はどうでもよい、と悟りきった心境に
なっていた、と言うと聞こえはいいが、実
際は、それまでに何度も短編小説の新人賞
に応募して、常に予選落ちを繰り返してい
たから、まったく期待はしていなかったの
である。予選通過作の発表がいつなのかも
分からないままに日を送っていた。十一月
までに何の連絡もなければ、予選落ちであ
ることは間違いなかろう。それがはっきり
した段階で、さらに書き直して、今度は江
戸川乱歩賞にでも再挑戦してみようか、と
私はのんびりと構えていたのだった。
 ところが、十月発行の『文藝春秋』を見
て驚いた。ベスト8に残った作品の中に、
『震える心臓・結城五郎』と、私の名前が
載っていたのである。嬉しくはあったが、
それほどの感動もなく、ベスト8に残った
から、まあ、いいだろう、という程度の気
持ちで、大きな期待も抱かずに、淡々と日々
の診療に明け暮れていた。
 十月末のある午後、電話を受け取った従
業員が怪訝な顔をして診察中の私にメモを
渡した。
──文藝春秋から電話が入っています。
 ぎくつと心臓が痛んだ。もしかすると、
あの作品のことか、という予感があった。
診察中の患者を放り出して院長室に走り、
大慌てで受話器を取ると、Kと名乗る四十
歳位に思える落ち着いた男の声が流れ出し
てきた。
「結城五郎さんですね。あなたの作品がベ
スト3に残りました。最終選考は来年の
一月二十九日にサントリー・ホールで行わ
れます。それまでに、辻褄の合わないとこ
ろや文章などの手直しの作業をしますが、
ハード・スケジュールになりますから、覚
悟をしてください」
 驚きのあまり、編集者の言葉にまともな
返事も出来ず、私は二日後に文藝春秋社を
訪れることを約束して電話を切ったのであ
る。
 その日、恐る恐る文藝春秋社の門をく
ぐつた。広々としたロビーで待っていると、
煙草臭い若い男が目の前に立った。それが
K君だった。年齢は二十九歳だとい、つ。娘
と同年輩であるというのに、実に落ち着い
ている。K君は煙草を燻らしながら、父親
に等しい年齢の私に村して、遠慮会釈もな
く、ずばすばと指摘してさた。
「まず、『震える心臓』というタイトルはま
ずいですね。いかにも、気の弱い主人公が
恐怖に震えているという印象を与えます。
主人公の性格もちょっと甘すぎます。悪人
とまでいかなくとも、もう少し芯の強い男
にしてください。それから、この辺りは辻褄
が合いません。文章も手直ししてほしい
ところは印をつけておきましたから……」
 見ると、私が送った原稿は、鉛筆や赤ペ
ンであちこちチェックされている。欠点ば
かり並べ上げる男だった。誉めることは少
しもないらしい。さすがの私も腹にすえか
ねて、皮肉を言った。
「そんな欠陥ばかりの作品が、よくもベス
ト3に残りましたね」
 だが、K君は動じることもなく、煙草に
火をつけた。
「今言ったことは、皆小さなことです。こ
の作品には、それを超えて引きつけられる
ものがあります」
 そう言っておだててから、さらに言葉を
継いだ。
 「昨年は三百三だったのに、今年は四百八
十近い応募があり、優秀作が揃いました。
この作品も昨年に応募されていたら、間違
いなく大賞だったでしょう。でも今年は、
ベスト3に残った作品は甲乙つけがたく、
稀にみる激戦になりました。どれが大賞を
とってもおかしくありません。受賞するか
どうかは、結城さんがこれからどれほど真
剣に手直しするかに左右されます。頑張っ
てください」
 大賞受賞作は四月に出版され、十一月末
に、テレビ朝日でサントリー・ミステリー・
スペシャルとして、二時間ドラマになるこ
とが決まっているとのことである。手直し
の仕事は、その頃、夜の九時まで診療をし
ていた私には、誠に厳しい作業となるに違
いなかった。毎晩一時間のマイ・ペースと
いう訳にはいかない。熱心なK君の口車に
乗せられているうちに、忘れていた競争心
に火がついた。それからの一カ月は、受験
勉強に苦労していた高校時代を思い出すほ
どの艱難辛苦の日々となった。十一月は連
休が二度あったのにも救われた。休日には
朝の八時から夜の十一時まで、およそ十三
時間も机にしがみついて、堆敲に推敲を重
ねた。
 ようやく作業が終わったのは十一月未
だった。十二月半ばになつて、選考委員に
渡される仮綴本が出来上がった。タイトル
は文藝春秋社の言いなりに、『心室細動』
と変更になつた。だが、仮綴本を持って千
葉に訪ねてさたK君は、平然として私をさ
らに鞭打った。
「もしも受賞した場合、一月二十九日の選
考会の後で著者校正を始めていたら、とて
も四月の出版に間に合いません。落選した
ら無駄骨折りになりますけど、再度、念入
りに堆敲を兼ねて校正をしておいてくださ
い」
 暮れと正月はのんびり出来るかと思って
いたのが大きな間違いだった。再び赤ペンを
握りしめ、こんどは仮綴本を前にして、推
敲を始めることとなる。ここはまずい、あ
そこもまずいと、読めば読むほど、ますま
す気に入らない表現や矛盾点が目について
くる。直しすぎて、かえって元の文章より
悪くなったところもあったりで、選考会が
近づくにつれて、すっかり自信を喪失して
しまった。
 そして、一月二十九日を迎えた。肩を落
とし、悄然と玄関を出る私の背中に、妻が
声を掛けた。
「三番でもいいじゃないの。四百人十の中
の三番なんですから」
 サントリー・ホールに到着し、受付の男
性に結城五郎であることを告げると、すぐ
に地下の控室に案内された。待たされるこ
と一時間。その間に、次々と関係者から名
刺を渡される。医療という狭い世界以外に
はどこも知らない私は、異国にただ一人と
いうような心細い思いをして、時間が来る
のを待っていた。やがてK君が顔を見せた。
私はほっと息をついたが、K君はひそひそ
と耳元でささやいた。
「どれが受賞するか見当もつかないと、
もっぱらの評判ですよ」
 定刻の十五分ほど前に、司会者がやって
きた。同室の候補者三人を見回すと、真面
目な顔をしてこう言った。
「選考委員は相当に厳しいことを言います
けど、どうか腹を立てないようにお願いし
ます。間違っても会場から逃げ出さないよ
うにしてください」
 冗談かと思ったら、冗談ではないらしい。
過去の選考会で、あまりに酷評された候補
者の一人が怒り狂い、席を蹴って家に帰っ
てしまった例があるということである。同
人誌の合評会で酷評されるのには慣れてい
たが、どうやらプロの酷評はスケールが違
うようだ。
 私はジレンマに陥っていた。受賞の確率
は三分の一。もし受賞したら、開業医との
二足の重い草鞋を引きずりながら歩くのは
大変なストレスになるだろう。落選しても
いいじゃないか。そう考える側から、いや、
ここまできたら何とか受賞したい、という
本音ものぞく。考えるのが面倒になった。
とにかく、運命に逆らわずに生きるしかな
い、と腹を据えた。
 定刻となった。各候補者には鞄持ちとも
ガードマンとも見張り役ともつかない屈強
な若い男が一人づつ付き従った。後で聞く
と、この会を取りしきる『電通』の社員で
あるということだった。判決の場に引き出
される容疑者のような気持ちになって、カ
ビ臭い地下の廊下を歩き、古びたエレベー
ターに乗せられた。小ホールに入り、会場
を見回した途端、ギョッとした。大変な数
の聴衆である。三人のさらし者の一人にな
ることを、私ははっきりと悟った。
 一番前の席に坐らされた。壇上を見上げ
ると、夏樹静子、長部日出男、都築道雄、
北方謙三、栗本薫の諸氏が机に坐って、候
補者の心中も知らずに、何やら和やかな雰
囲気で会話を交わしている。
 主催者の挨拶の後で、いよいよ選考が始
まった。まず、私の作品が槍玉に挙げられ
ることになった。
 うっすらと涙が浮かんできた、と絶賛
してくれた某氏。誉めたりけなしたりで、
旗色の分からない某女史。後の三人の選考
委員には、顔が冷たくなるほど、こてんぱ
んに酷評された。この時点で、もう大賞は
ない、と思った。受賞できないのは運がな
いと諦められるが。公衆の面前で侮辱される
のはプライドが許さない。席を蹴って家に
帰ったという過去の候補者の気持ちが痛い ■
ほどに理解出来る。
──厳しいですね。
 すぐ隣で私の動静を監視している電通の
若者がささやく。
──ああ、心室細動になりそうだ。
 私はそううめいたが逃げるわけにはいか
ない。何しろ、この若者は私の鞄を取り上
げた上に、トイレにまで付さ添って来るの
である。
 次いで、二番目の作品の選評に移った。
積極的支持一名。あとの四人は難癖をつけ
て終わる。三番目の作品も同様だった。そ
の後で極めて心臓に悪いディスカッション
が始まった。選考委員は皆、自分の主張を
曲げようとしない。それだけに、作品の存
在を根底から覆すような批評をする。そう
じゃないよ、と叫びたくとも、候補者には
発言する権利は与えられていない。じっと
耐えるしかない。罵倒に等しい意見も黙っ
て拝聴するしかない。各委員の議論を聞い
ただけでは、選考の帰趨はまったく分から
ない。K君が予想していた通り、波乱に満
ちた公開選考会になった。
 確かに、傍観者としてこの場にいあわせ
たら、これほど面白い見せ物はないだろう。
開高健の言う通りだ。だが、三位まで賞金
がもらえるとはいえ、候補者は生さたまま
さらし首にされるようなもので、たまった
ものではない。早く時間よ過ぎろ、と念じ、
聴覚が健全であることを呪いながら、私は
壇上を見上げていた。
 苛烈な議論はようやく終わった。投票の
時間となる。出来のよい順に、各委員が3、
2、1の点数をつけて集計するのである。
次第に心拍動が速まるのを自覚しながら、
実に公明正大な選考会だ、と私は感心もし
ていた。情実の入り込む隙は一分もない。
 集計作業が始まる。やがて、司会者のし
わがれ声が会場に流れた。
「結城五郎さん、十一点。00さん、十点、
××さん、九点」
 満場からのどよめきと溜め息が私の耳に
も届いた。これで決まった、と思ったのは
私の早合点だった。まだ審判は下っていな
かったのである。
 司会者が選考委員に尋ねている。
「どういたしましょう。大変なことになり
ましたが、上位二つで決選投票をいたしま
しょうか」
 選考委員の一人がすかさず口を出す。
「将来性を考えて一位を決めたらどうなの
か」
 そんなことをされたら、最高齢の結城五
郎に不利になることは間違いない。後の二
人の候補者は私よりも、十歳と二十歳も若
いのである。
「それはおかしい。応募作品で優劣を決め
るのが筋ではないか」
 次々と意見が続出し、収拾がつかない。
そのたびに心臓が震え出す。隣の若者がひ
そひそとささやいた。
「心臓に悪いですね。大丈夫ですか」
「安定剤を飲んできたからね」
「さすがに、お医者さんですね」
 ようやく司会者がまとめて、上位二作品
で、決選の挙手となる。
「まず、結械五郎さんの『心室細動』を推
す委員の挙手をお願いします」
 司会者の言葉に、二つの手はさっと上が
り、もう一つの手は悩みながらゆっくりと
上がった。ようやく三時間の公開裁判に似
た選考会は決着した。場内に拍手がわき起
こり、Kが湯君が顔全体に笑みを浮かべながら
近づいてきた。
あの日から五年が過ぎた。私の身辺に
色々なことがあった。選考会で心臓を痛め
つけられたのが崇ったのか、一年後に、私
は心筋梗塞を患って入院した。その翌年に
は開腹手術もした。そのかたわら、長編ミ
ステリー小説を四つ書さ上げて上梓するこ
とが出来た。今振り返って、あの選考会は
懐かしい思い出となっているが、二度と経
験したいとは思わない。その後、毎年、選
考会への招待状が送られてきたが、候補者
の顔を見るのが気の毒で、私はいつも欠席
の返事を送り続けたのである。   〈了〉

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