石のある風景 〜fantastic world〜
冬の東京。
暗闇などこの世界にはないのではないか、と思わせるほど、光は煌々と闇を照らし続ける。
寒さに肩をちぢこめながら、人々は行き交う。
その中を、アキラは歩いていた。
東京の人は足が速いなぁ・・・ぼんやりとそう思いながら、彼はゆっくりとした足取りで歩を進めている。
彼の横を何十という人が抜き去っていった。
冬の東京の朝は寒い。
放射冷却の所為で冷え切った朝の空気に思わず「うわぁ」と声をあげながら、アキラは家を出た。
彼の向かう先は家の近くにある商店街、の裏通り。
そこに一軒の小さな店、「fantastic world」がある。
扉を開け、元気よく挨拶。「おはようございます!」
「やあ、おはよう、アキラくん」
そう返すのはこの店の店長、春樹である。
眼鏡をかけた黒い服に身を包む、不思議な雰囲気をもつ男性である。若く見えるが、実際の年齢は誰も知らない。
「何か新しく入荷されたものってありますか?」真っ先にアキラは尋ねる。
毎日朝一番でやってくるのに、尋ねる事は毎日同じだ。
にっこり微笑みながら、春樹は手の中にあった一つの石をアキラに見せる。
袋に入れられている、石。外側は黄色っぽく内側はオレンジ色に近い、バイカラーの鉱物だ。
「バイカラーのトルマリンだ!」アキラの歓声が店の中に響いた。
綺麗だ綺麗だ、と何度も言うアキラに、春樹は微笑みかける。
毎日のようにやってくるアキラは、その明るい性格で毎日春樹を楽しませてくれている。
「fantastic world」は都内にある鉱物を使用したアクセサリー及び鉱物の販売店だ。
店主である春樹は、独学で鉱物の研磨を学び、もともと手先が器用であったことからアクセサリーの製作を始めた。
世界に一つしかないアクセサリーで値段も手ごろなものもある、という事で、大きな街の中心にある商店街の裏道に入ったところにあるとはいえ、学生を始めとして女性に密かな人気がある。
その店の開店、朝十一時にあわせて毎日アキラはやってくる。
「そのトルマリン、どうするんですか?」
「加工してもいいけれども、綺麗だからこのままにしておいてもいいね」
アキラはそのトルマリンを春樹に返すと、いつものように店内を見回し始めた。
毎日見ているのに、飽きないのかな?と春樹は思うが、口には出さない。
返ってくる言葉は、もう知っている。何度も聞いた。
――だって、光の当たり具合によって全然違ったものになってくるんですから!
それほど彼は鉱物が好きなんだろうな――山梨から上京してきたアキラには、山に行き鉱物を採ってきた経験があるらしい。
一通り店内を見回すと、彼は満足げであった。
「じゃ、僕は学校にいってきまーす」
「・・・いってらっしゃい」
アキラは駆けていった。
それを見送りながら、春樹はその表情を一変させる。
微笑みを消し、手の中のトルマリンを見ながら、口の中で言葉を唱える。そして、石を持っていない手でぱちん、と音を鳴らす。
すると・・・淡く光り輝きだすトルマリン。
『おはよう、春樹。さっきの人はだあれ?面白い人だったわね・・・』
石から、声が聞こえた。
「おはよう。彼はいつもここに来てくれるアキラくん。・・・この店は気に入ってもらえたかな?」
『少し暗めの雰囲気っていうところがいいわね。でも、ちょっと流行りすぎかしら』
思わず春樹はふきだす。流行りすぎ、ですか。
『でもあなたのことは気に入ったからここにいてあげる。<石利き>がまだ世界にいるなんて思わなかった』
<石利き>。石の意思を世に現すことのできる力を持った人間だ。
かつて西洋では、王宮には必ず数人の<石利き>がおり王や女王の着飾る宝石を選んでいた、という。
そしてまた、かつては様々な都市においても<石利き>は存在し、その都市に蔓延るまがい物を排除していた。
「・・・もう、この力は必要ないのかもしれないね」
『私たちとしては、<石利き>の元にいるほうが安心できるのだけれども』
そう言ってもらえてありがたいけれども、この世界を見ると、まがい物でもよしとする人が増えてきた気がする。・・・きっと、本物かまがい物かは関係なく、それ(らしき物)があれば満足だし、外に向けて自分の力を誇示できるのだろう。
きっと、<石利き>はこれからもっと数を減らしていくだろう。・・・それが時代の流れなら、仕方がない・・・彼はそう思っていた。
人の近付く気配がした――春樹は「それじゃあ」と言うともう一度指をぱちん、と鳴らす。トルマリンを包んでいた光は一瞬で消え、先ほどまでの静寂が店に訪れる。
そしてその直後店の扉が開いた。扉についたベルがなる。からんからんっ。
「いらっしゃいませ」微笑を浮かべ春樹は声をかける。
言いながら彼は椅子に腰を下ろす。客に一瞬目をやり、すぐに目線を降ろした。
初めてのお客さんだ、ということでまずは声をかけずに店内をみて回ってもらうことにする。
きょろきょろと店内を見渡し、彼女ははぁ、とため息をつく。
「何かお探しのものでもあるのですか?」
「え・・・ええ」
見かねて春樹が声をかけた。彼女は少し躊躇いながら彼の顔を見上げる。
「私はこの店の店主、春樹をお呼びください」
「・・・あ、あの、実は、鉱物の鑑定をしていただきたいんです・・・」
虚を突かれた。その間にも彼女はかばんの中から箱を取り出している。そこから袋に入った石を取り出す。
それは、重そうな黒っぽい石であった。
「私のお客さんがこれを下さったんです。でも何だか分からなくって・・・」
春樹は彼女の顔を改めて見やる。
彼女は一言で言えば美人だった。身につけている服も装飾品もブランド物であったりきらびやかな高級品のように見える。だが彼女の表情は少し疲れているようで、口ぶりからするに水商売をしている人なのかと思った。
彼女が差し出してきた石を受け取る。掌に乗る石ではあるがずっしりとした重量感がある。
(・・・隕石だな、だがそこまで珍しいというわけではないが・・・)
「そのお客さんは変わった人で・・・どうやら私に好意を持っているみたいなんですが、それが恐くって」
勝手に彼女は喋る。
春樹には彼女のいる世界がどのようなものか全く想像できなかった。だが彼女は喋り続ける。今まで心境を吐露できる人がいなかったのか、自分の事を信頼してくれたのかは分からないが・・・
「少々調べさせて頂いてもよろしいですか?」
「は、はい。ええと・・・今すぐですか?」
「明日にはお伝えできますが、申し訳ありませんが今日中は」
本当は今日中に・・・寧ろ今すぐにだってできることではあるのだが。
だが彼女はそれにすぐさま頷く。そこで名前と連絡先を聞いたら、駅の近くの風俗店の名前とそこでの彼女の名前を告げられた。そして彼女はすぐに店を出て行った・・・
「嵐のような人だね」
アキラくんも嵐のような人だけれども、彼女もなかなかだ。
閉店時刻の夜八時、店の明かりが消され、シャッターが下ろされる。
そして灯かりがともるのは店の奥の彼の自室と作業場のみとなる。
そこで春樹は<石利き>の顔を見せていた。
椅子に深く腰掛け、見つめる先はライトのあたる机の上の石・・・昼間の例の石だ。
『彼は俺のことをとても気に入ってくれていた。彼は俺をいくつもの無造作に並べられていた石の中から見つけ出してくれたよ。だが今の持ち主はな、俺に興味も何も持っていないよ。いつか捨てられるんじゃないのかな、という心配さえしてしまうほどだ』
この石はよく喋る。持ち主に似ているな、と思わず春樹は思ってしまった。
「イベントで買ってくれた前の持ち主は、君の事を大切にしてくれていたんだ?」
『そうさ。だが何で彼は俺をあんな女に渡したのか・・・』
「・・・それは、君を大切にしていたからじゃないかな」
『は?』
「「自分の大切なものを君にあげるんだ、それほど僕は君の事を想っているんだよ」という事を彼は言いたかったんじゃないのかな」
『・・・彼の好きなものがあの女の気に入るものとは限らないのに』
「まあ、それが彼のいいところなんではないかな、私は実際に会った事はないから何とも言えないけれどもね」
苦笑しながら春樹は天井を見上げた。
黒い石・・・女性が持って来た隕石はそれきり黙ってしまった。自分の置かれた状況を受け入れようとしているのか、それとも納得がいかないのか・・・
『<石利き>は探偵なのか?』
その石は再び元の石に戻る前にそう言ったが、「今回はたまたまだよ」春樹は返す。
翌朝、再びあの女性がやってきた。
「どうでしたか?」
「これは隕石ですね、産出地はこれを渡された方に聞けば分かるでしょう」
「え・・・」彼女は少しびっくりしたような反応を示した。
「隕石って珍しいものでしょう?何で彼は私にくれたのかしら」
「それはその方があなたの事を特別に想っているからではないですか?」
本当は手に入れようと思えば隕石だって他の鉱物と同じように容易に手に入れられるのだけれどもね。
だがそれを聞くと彼女は頬を赤らめ俯いた。
彼女に例の石を返し、「その方に石の事を教えていただいたらいかがです?きっと喜んで教えて下さいますよ」
そういうと、ますます彼女は驚いた顔をする。
ああそうですか、と生返事をすると彼女は封筒を春樹に渡してすぐさま店を出て行った。
掴みづらい人だな、と思いながら渡された封筒を見ると、そこには予想以上の金額が入っており春樹は絶句する。「なんて大胆な人なんだ」
「彼女が彼を気に入ってくれればいいんだけれども・・・」
そう思いながらいつものように椅子に腰掛けた。
それから一ヶ月くらい経った後、再び彼女が春樹の店に現れた。
前に来たときと違う事は、彼女がひとりの男性と連れ立ってやってきたことである。
「久しぶりね、春樹さん」彼女はにっこりとしながら声をかけてくる。
その表情は前回やってきたときよりも明るく見えた。
「春樹さんはアクセサリーを作ってくれるんでしょう、これで二人分のネックレスを作ってくださらない?」
そういって彼女が差し出してきたのは例の隕石であった。
男性が嬉しそうに顔を緩めながら言ってくる。
「この石は僕と彼女を繋げてくれた石だから、記念になるようなものを作ってください」
ああ、彼はやはり彼女を想っていたんだな、そう思いながら春樹は例の隕石を受け取った。
「はい、分かりました。それでは詳しくデザインなどのお話をしましょう、こちらに」
そういって二人をテーブルに案内した。
君は捨てられるのではなくって二人を結びつける存在になったじゃないか。よかったな。
20070306