後悔シャッフル ‐fantasitic world‐
アスファルトの地面の先に、きらり、光が見えた。 夏の夕方。春樹はビニール袋を片手に街を歩いていた。 光に近づく。 そして、彼はそれを手に取った。 黄色に透明、そして所々に筋のような白が入ったその雫状の石には、ひとつの穴が穿たれていた。 一瞬思案し、彼はそれをビニール袋に落とす。 そのまま、自分の居場所へ向かった。 とある街の商店街の裏道、喧騒から少し間をおいた、そして静かすぎるわけでもない不思議な空間。そこに【tantastic world】はある。鉱物を取り扱う春樹の店だ。 今日は定休日。閉じられたシャッターを自分の背丈より少し低いくらいまで上げ、扉をくぐるとシャッターを再び下ろす。 定休日の文字板がかたりと揺れた。 ガシャン。 薄暗がりの中、音が消える。 コツ、コツ。 歩みの音だけが響く。 扉の正面のカウンター裏、作業場兼住居入り口に辿り着いて春樹は一つ息をついた。夕方とはいえ、やはり汗ばむ。机の上にビニール袋を置き、その中から帰り道で拾った小さな黄色い石を取り出す。 薄暗い光に掲げる。 親指よりも小さいその石を見る彼の眼は、何の色も見せずただ一心にちいさな石に向かっていた。 そして、彼は口の中でいくつかのことばを唱えた。 ぱちん、指を鳴らす。 ……すると、石が自らかすかな光を発し始めた。 「こんにちわ……いや、こんばんわ、かな。君はシトリン(黄水晶)でしょうか?」 石を掲げたまま、春樹は言う。一見独り言、と見えるかもしれないが、それは違う。彼の言葉に反応して、石が語り出した。 『ええ、こんばんわ、【石利き】さん』 【石利き】。聞きなれない言葉かも知れない。 『【石利き】に会うのは初めてだわ。もう殆どいない、とは聞いていたけれども、まだいるのね』 彼女の言葉に苦笑する。 「そうですね。博物館も雇わなくなったそうだし、もうすぐ消えていくのでしょう」 そう、もうこの世界には必要ない能力なのかもしれない。 ――石……鉱物と心を通わせることができる人間たちがいた。 彼らは、石の望むままに、そして石を最も美しいかたちを作り上げることができた。 近代以前、特に西洋では権威・富の象徴として美しい石が好まれた時期があった。望む最も美しく気品高い石を選び、つくりだす……そして贋物を追放するために、彼らは権威者たちに雇われていた。 時は過ぎ、富の象徴が他にも溢れ返るようになってきても、彼らは誰に知られるでもなく、そのちからを受け継いでいた。 彼らを【石利き】を呼ぶ。 そんな事をふと思っているところを、シトリンが遮った。 『持ち主とはぐれてしまったのよ』 ああ、そうだった。春樹は改めて彼女を見やる。アメシスト(紫水晶)などと比べて希少なシトリン。偽物もしばしば見受けられるが、彼女は正真正銘のシトリンで間違いないらしい。 その身体には小さな穴が開けられ、ねじのようなものが埋め込められていた。その先には小さな輪が、しかも銀でコーティングされているものがついている。 イヤリングにしては大きい、きっとペンダントヘッドか何かだったのだろう。何かのはずみでペンダントヘッドが落ちてしまったのだろう、彼女を駅から近い道の真ん中に捨てるなどは考えにくい。 「持ち主は、あの道をよく通るのですか?」 『さぁ……どうだったかしら……』 尋ねると、先ほどまでとは違うトーンが返ってきた。 春樹の経験上、石といえど内に意識や記憶は持っており、場所などについても覚えているはずなのだが…… (余談になるが、石も人間と同じように方向音痴がいたり忘れっぽいものがいたりと面白い。) 「……」 彼女を掲げたまま、春樹はかすかな違和感を抱いていた。 「幾つか質問してもいいですか?」 『ええ』 「君が今の形になったのは何時頃ですか?」 『……一年か、二年前か。最近よ』 きっと100年くらい前も最近なのだろうが、今回の「最近」は人間の感覚と珍しく合っている。 「君が元の持ち主の所に行ったのは何時頃ですか?」 『…………そのすぐ後よ』 「持ち主は、鉱物に興味は?」 『……さぁ……幾つかは持っているみたいだったけど』 やはり、何かはぐらかされている気がする。 だが、彼女の思いにそこまで踏み込むことはしてはならない。春樹は内心方を落とすと、そのあと少し会話をして、シトリンを元に戻す。 自ら放つ光を失ったシトリンは、電球の光を受けて煌めいていた。 夜も更け、夕食も終えベッドに座った春樹。 頭の中にはやはりシトリンのこと。 彼女の心に、何が引っかかっているのだろうか。気になる。そして、できることなら解決したい。 ばたり、彼はベッドに倒れた。 その瞬間、 ――石と人は違う。 決してわかりあう事はできないんだよ―― 頭の中にその言葉がよぎる。 それは、【石利き】としての能力を見出だし、鉱物の知識を教えてくれた師とよべる人物の言葉だった。 「だから、割り切れ」 言葉の続きを呟き……彼はばっと身を起こした。素足のまま床板を踏みしめ、作業場へ駆けた。 明かりを点ける。 引き出しを開き、シトリンを取り出した。 『いきなり何よ』 彼女は突然のことに驚いたのかはたまた考えを邪魔されて起こっているのか、ぶっきらぼうに言葉を発する。 「君を拾った場所に明日行こうと思う。君の持ち主に返したい」 彼女は絶句したらしい、なかなか返事が返ってこない。 だが、春樹は待つ。黒い瞳でまっすぐに彼女を見つめ続ける。 やがて耐えきれなくなったのか、彼女が弱弱しく、 『もう……忘れているわよ。この世界には装飾品が多すぎる。今更、いいのよ……』 彼の視線から逃れるように、シトリンの声が発せられる場所が少し変化する。 彼は悟った。そして、決めた。 春樹はかぶりを振ると、彼女にそっと微笑みかける。 「僕は人を信じたい」 君を見ればわかる。傷も汚れも殆ど見られない。きちんとしたケアができる、しかも他にも鉱物を持っているような人がそう簡単に忘れるものか。 「絶対に、君を探している」 黄色いその姿に、光の加減かはわからないが、一瞬赤みが差した。 「おやすみ、また、明日」 |
20110802
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