世界の果ての物語
第三章
それは突然目の前に現れた。
それを一言で言うなら、「断崖絶壁」であった。
眼前に現れた崖は見渡す限り広がっている。下に目をやっても底は見えず、また、目線の先にも、何も見えなかった。ただ薄暗い空が広がっているのみであった。
「・・・ここは・・・」アグダが息を飲みながら、絞り出すように声を出した。
その光景には、ただ圧倒されるだけであった。
アグダはその場に立ち尽くし、周りを見渡す。
それはセシルとレイスにとっても同じだった様だ。二人も無言でその場に立ち尽くしている。
だが、やがてセシルが一歩、前に踏み出した。
その手には愛用の杖が握られている。心なしか、その手には随分と力が込められているような気がアグダにはした。
なんだか、嫌な予感がする・・・アグダはレイスを見やった。おい、一体何が起るんだ。そう言いたかったが、彼の表情を見て、何も言えなくなった。
普段無表情な彼が、顔を明らかにこわばらせていたのだ。
何かがここで起る、間違いなく。アグダは確信した。
その時、彼は思い出した。
かつて両親から聞いた、王都の慣わしの事を。
「私は王都が嫌いなのだよ。だから、私たちは王都を去った」
それはいつの記憶だったか。
「お前もいつか関るかもしれない話を今からするぞ・・・お前も魔法使いだからな」
確かそう言って父は話を始めた気がする。彼が魔法使いに関る話をする事は珍しかった。だから、アグダはそのことを覚えていた。
「王家は魔法使いだということはお前も知っているだろう。その王家にはな、時々双子が産まれるんだ」
それは父が死ぬ少し前だったような気がする。もしかしたら、彼は自分の死期が近いことを悟っていたのかもしれないな、と今更ながらアグダは思う。
「そのうちの一人は、20歳になったら、死ぬ」
何故?まだ大きくはなかった彼は、そう尋ねる。かわいそうじゃないか、と。
すると父は、寂しそうな顔をして、
「二人も、王位を継ぐ可能性があるものは、いらないのだよ。彼らにとって。何年も、何十年も、何百年も、それはこの国で続いている」
言い放った。その顔には、寂しさが浮かんでいた。
「・・・一人は、王都から最も遠い世界の果てに行き、そこで死ぬ」
「セシル!」
アグダは叫んだ。
「駄目だ、死んじゃ駄目だ!」
王家の魔法使いは、凄い力を持っている。セシルは凄い力を持っている。それを今まで少しの間だけではあったが一緒に旅をしたアグダはその一端を目にしていた。
世界の果て。ここは王都から遠く離れた世界の果てとしか思えない・・・
「いくら慣わしだっていっても、そんなのは寂しすぎる!」
「・・・どうせ、見張りがいるんだ」
答えたのはレイスだった。
「彼女が一人で行方を眩ました時、私のところにはすぐ情報が入ってきた。見張りは、彼女を逃さない」
「・・・アグダ、やっぱりお前も魔法使いだな。ただの田舎者だと思っていたのだがな、どうやらそうではないようだ。・・・お前の両親の名は、なんと言う?」
忘れない一言だった。
「私は、彼をその場で殺した」
父は、そう言った。
「・・・二人は知っていると思う。僕の父は、ここで、セシルと同じ境遇の方を・・・」
「・・・そうか。姿を消したあの方は、あそこに住んでいたのか」
「駄目だよ。死ぬなんて、そんなの駄目だよ!」
「慣わしなんだ、これが」
「レイスは黙っていてくれ!セシル、君はそれで満足なの?!」
断崖絶壁に近付いていたセシルを追う様に、アグダも足を踏み出した。
セシルはこちらを振り返り、困った表情になる。「満足」、そう呟き、腕組みをし何かを考える。
そして、「そうだな・・・少し、やり残した事はあるな」
アグダはレイスを振り返り、
「なあ、レイスは寂しくないのか?今までずっと一緒にいたんだろう!」
「・・・彼女を殺す事をずっと教え込まされてきた。だから、ここから、私の仕事が始まる・・・」
「ふざけるなよ。本当にお前はセシルを殺したいのか?どうなんだよっ!」
アグダの絶叫があたりに響いた。
セシルは顔を手で覆い、レイスは彼女の姿を見て、うなだれた。
「・・・彼女と、別れたくはない・・・。今まで俺は彼女と共に過してきた。彼女のいない生活なんて、考えられない・・・」
「レイス・・・」
顔を上げ、しっかりとセシルを見据えたレイスの目から、涙がこぼれ落ちていた。その涙は留まることを知らない。ただ、流れ続けている。
「・・・私のやり残した事はな、レイス、お前に自分の気持ちを伝える事だ」
レイスの元に、セシルが歩み寄る。
「大好きだ、レイス」
「セシルっ・・・」
レイスがセシルを、抱きしめた。
「すまない。俺は今まで君の事をきちんと見てはいなかった。ただ、上からどう見られるかだけを考えていた」
「いいんだ、もう。この気持ちがあなたに伝わっただけで、わたしは幸せだ」
二人の姿を少し離れているところからアグダは笑顔で眺めていた。
・・・その時、彼は背後に何かを感じた。多分レイスの言う、見張り、だろう。この雰囲気を邪魔しようとするなんて、なんという奴だ、そう思いながら彼は腰の剣に手を掛けようとした。
「アグダ、いいんだ」
だがそこでセシルが声をかける。
「私は、役目を果たす。それが大好きなお父さんとお母さんへの一番のプレゼントだから」
「でもっ・・・」
「ありがとう。君のお陰で私はレイスに気持ちを伝えられた」
「俺もだ。君がいなかったら、俺は一生後悔することになっただろう」
セシルが杖をアグダに向けた。途端、アグダは吹き飛ばされる。二人からは随分離れたところまで飛ばされた。
しかも、身体がしびれて動かない。アグダは尻餅をついた形から動く事が出来なかった。
「すまない。・・・君は、私の事を見守っていてくれ。身体はじきに動くようになる」
そして、セシルは再び断崖絶壁に向かった。
絶壁までほんの少し、というところで彼女は立ち止まる。
そして、手に持っている杖を使って、地面に絵や文字を書き始めた。魔方陣を作ろうとしているのである。
魔方陣が出来ていくにしたがって、セシルの周りの空気が変わってきた。ゆらゆらと揺れ、青白い光が彼女を包み込んでくる。
彼女が一文字字を書くだけで、ぱちんと光が一瞬瞬く。
彼女が一つ線を加えるごとに、その青白い光は広がりを見せる。
色はだんだん濃くなっていき、また変わってゆく。
なんと美しいのだろう。中心で一心不乱に魔方陣を描く白い女性、そして彼女を取り巻く光景が。アグダはぼーっとその光景に見とれていた。
そこに、一人の男が割って入ろうとする。レイスだ。
漆黒の剣を持ち、彼はその剣に力を込める。セシルの明るい光とは正反対の、暗く、どんよりとした闇の光を彼は纏っていた。
光と闇が、ぶつかる。
ああ、美しいものが汚されてゆく・・・。
漆黒の剣が、明るい光を放つ魔方陣に差し込まれた。
途端、レイスの身体が後方へひどく吹っ飛んだ。
それと同時に、セシルの身にも変化が訪れる。
形を変えた魔方陣から溢れる光が、彼女を苦しませていた。
「痛い・・・痛いよ・・・」
ぱちぱちと彼女の周りで火花が弾ける。それが皮膚を切り裂き、血が滲みはじめる。
やがて彼女はその場に崩れ落ち、崩れた魔方陣の中心でもがいていた。
そして、終に魔方陣の中に決定的なひび割れが奔った。
彼女の周りの崖が、崩れてゆく。
「セシル!」
アグダは叫んだ。まだ、動く事が出来ない。それがもどかしかった。
そして、セシルの足元も、崩れていった。
「ああ・・・わたしは・・・あなたを・・・」
彼女の姿は、崖の下に落ちていった・・・
その瞬間、アグダは動いた。彼女が彼にかけた魔法が切れたのか、動けるようになっていたのだ。
彼女が先ほどまで立っていた場所は、最早跡形もなくなっていた。
彼の隣に、レイスも足を引きずりながらやってきた。
「・・・セシル・・・俺は、君を・・・」
「レイス・・・何故このような慣わしがあるんだ?二人継承者がいたら何でいけないんだ?」
「・・・継承争いが実際に起ったことがある」
「何でレイスはそんなに冷静でいられるんだ?僕はそれが信じられない。セシルはどうなっちゃうんだよ」
『大丈夫よ』
声がした。
それは間違いなくセシルのものだった。
二人は一体何が、と慌ててあたりを見回す。
『ここよ。あなたたちの頭上』
二人が顔を上げると、その先に彼女がいた。だが、その姿は変わっていた。それは、明らかに彼女がこの世のものでないことを物語っていた。
『私はこの世界から消えてしまうけれども、あなたたちには私の分も生きて欲しい。
ありがとう、アグダ。あなたがいなかったら、私たちは悔いを残す事になったわ。
ありがとう、レイス。あなたがいてくれて、本当によかった。
二人のことを、私はずっと見守っているわ。だから、何も恐れないでね』
セシルがふわり、と舞い降りて、レイスの頬に口付けをした。
それから、アグダの手をとって、微笑んだ。
『アグダ。あなたに会えて、本当によかった』
彼の手を離した彼女の身体は、ふわりと上昇して行き、もう戻ってくる事はなかった。小さくなっていった彼女の姿は、やがて見えなくなった。
だが、アグダもレイスもその場から動こうとはしなかった。
陽が落ち始めた。辺りが暗く、涼しくなっていく。
「幸せそうな顔だったな」
「・・・うん」
「これでよかったのだろうか」
「・・・僕には、もう何も分からない」
「・・・そうだな。俺にも分からない」
レイスはそう言うと、くるりと踵を返して、離れたところでずっと待ち続けている馬の元へ歩いていった。
主をなくしたシリウスは、そのことを分かっているのだろう。レイスに黙って従う。
「アグダ。私はこれから王都へ行き、報告をする。そして、王都を去るつもりだ。そうしたら、この地の近くで私は彼女を見守りいすながら暮らすつもりだ」
そうか、とアグダは頷いた。そして、ぼんやりと思った。
もしかしたら、両親がここへやってきたのも、レイスと同じく、「彼」に少しでも近いところで暮らしたい、と思ったからなのかもしれないな、と・・・
アグダも、自分の馬の下へ駆け寄った。
「じゃあ、僕の家にも寄ってよ。待っているからさ」
「ああ。絶対にお邪魔するよ」
二人は並んで馬を進めた。
夕日が背中から当たり、一行の前に長い影を作る。
二人に、この先何が起るのかはわからない。だが、二人にはセシルがついている。いつでも、彼女が見守っていてくれる。そう思えば、二人にとって何も恐い事はなかった。
この国の慣わしは、今後もずっと続くのだろう。それは果たしてよい事なのか、悪い事なのか、アグダには分からない。
だが。彼は思った。自分はこの慣わしがなかったならば、二人に会うことはなかったかもしれない。だから、よかった、と。
・了・
20061009
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