ため息の理由
――わたしは長い間あなたと一緒に過ごしてきたけれども、何だか最近置いてきぼりになっている気が、する…… ……いいえ、これはわたしの思い込みかもしれないわ…… あなたはどう、思っているの……? 早朝、舞は居間の大きな机に突っ伏していた。 漏れるため息。 「久くん……」 幼い頃より一緒に住む人物の名を呟いた。 彼がこの家にやって来てから十数年。彼女が魔法都市で修行をしていた二年間を除き、時々口論が起こることはあっても常に仲良く暮らしてきた。 しかしこの一年で彼は国の中を飛び回るほど多忙な日々を送るようになっていた。彼の力ゆえに。 彼が家を不在にする時間が増えた。それが彼女の心にずしん、と響く。 「わたしは……」 「誰かー!」 舞の思考は途切れた。奥の部屋から声がする。あの声は久と行動を共にする風の妖精ウィンだ。一体何があったのだろうか。 久の寝室に駆け寄ると、躊躇することなく扉を開く。ベッドの隣りにある大きなバスケットの上でウィンが慌てたように羽ばたいていた。 「ウィン?」 呼び掛けると彼女は珍しく狼狽していた。半ば叫びにも似た声をあげる。 「舞!白が、おかしい!」 毎朝の日課である鍛練は、家にいる時は近くの池の前でやることにしていた。 水面に映る自分の姿を見つめながら久はまっすぐ長い棒を振るう。 規則正しい呼吸と棒に重心をずらされないよう心掛けながら、十分以上同じ体勢で振るい続けていた。 ……不意に風が吹き水面が揺れた。久は棒を降ろし振り返る。 「舞、どうしたの?」 今まで彼女が鍛練の場に姿を見せたことはなかった。何かあったのだろう、久は持ち物を抱え帰る準備を始める。 「白の様子がおかしいの」 「白の?」 二人は並び小走りに家へと木立ちの中を進んでいた。 白は地龍の子どもだ。砂漠で偶然出会い、死んだ親のかわりに久が育てていた。今まで何も変わったことは起きなかったため、突然のことに驚きを隠せない様子だ。 家に戻ると、久は抱えていたものを全て玄関に投げ捨て、白の元に急いだ。 ベッド替わりのバスケットの中で、白は身を捩り苦しそうに呻いていた。 「白!」 「朝起きたらこうなっていたみたい……どうしよう、龍の事は全く分らない……」 「義父さんは明日まで帰ってこない、んだったか」 久の表情も険しい。 人間との関わりが希薄な龍、その生活の様子など知る由もなかった。 「治癒魔法を試したけれど、全く効果はなかったわ。怪我ではなくて、身体の中の問題だと思うわ……でもそれ以上の事は……」 俯く舞。 「舞のせいじゃないよ。王都への馬車の時間は何時だったっけ?」 彼女に微笑みを向け、肩に手を置く。 「王都へ行くの……?」 東の国の王都フェアバンクスに向かう定期馬車が一日数本、街道から離れている久たちの住まう村にもやってきている。 確かに都なら色々な薬があるかもしれないが……果たして龍に効くのだろうか……? 「ううん、途中の砂漠の入口の町で降りて、砂漠に行く」 予想外の久の言葉に驚くも、ああ、と舞は合点した。本来地龍が住んでいる砂漠に行けば何か打開策が見出だせるかもしれない、そう考えたのだろう。 「わたしも行くわ。準備しましょう」 僅かの可能性にもかけるしかない。二人はウィンとともに、白の横たわるバスケットを抱え、砂漠を目指した。 砂漠の入口となる町にたどり着いた二人は、すぐさま駱駝を借りると水などの準備を整え砂漠へと足を踏み入れた。 しかし勢いよくやってきたものの、この砂漠のどこに地龍がいるのかまでは分らない。運良く出会えるか、向こうが白の存在を感知してくれるか、高くはない可能性にかけるしかなかった。 フードをかぶり日差しを避けながら、駱駝の上でバスケットを抱える舞。そして砂に足を取られないよう注意しながら手綱を引く久。会話もなく黙々と進んでいた。 『うぅん……』 苦しそうな白の声が漏れるたび、二人の心が締め付けられる。 進んでいると、昼、一日で最も暑くなる時間帯がやってくる。 「ふぅ、ふぅ……」 幾らフードをかぶっているといえ、暑さが身体を苦しめる。 「舞、大丈夫? つらいなら早く言ってね」 「う、ん。ありがとう……」 「久、見てあそこ。小さな山がある」 ふと辺りを見回したウィンが斜め前方に砂の山を見つけた。ほぼ平らな砂漠の中に突然現れたそれは周りとは異質なものに見える。 近付いてみると、その山は僅かに隆起していた。下に何かがあるらしい、砂が湧き上がってきている。 と、突然砂の山が爆発したかの如く四散した。 「きゃっ!?」 そこから現れたのは、巨大な蠍のような、鋏をもつ生物であった。 「まずいッ!」 久は手綱を放し刀に手を掛けた。こんな場所での戦闘は危険だ、しかも舞や動けない白もいる。焦りを感じる。 だが、敵はこちらを攻撃する様子は見せない。尾を必死に砂から抜き出そうとしているようだ。 「……?」 久たちは少しの距離をおき敵の行動を待った。 ズズズ……砂の奥から低い音が響く。 「なんだ?」 次の瞬間、砂が広がっていた地面が割れ、蠍のような生物よりも遥かに大きな何かが現れ、それをひと飲みにした。 その大きさに圧倒される久。その顔を見上げていると、顔がこちらを向いた。 その姿に舞は気付いた。 「あなたは地龍ですよね?」 駱駝に乗った舞がバスケットを掲げながら尋ねる。 はっとなり久は砂の中から現れた巨体を改めて見た。 身体を覆う鱗、額の角、後ろに向けぴんと伸びる耳、鱗に包まれる長い尾、そしてその体付き。白を大きくしたものと似ている。 これが大人の地龍…… 「わたしたちにはどうしたらいいか分らないのです、この子を、白を助けてください!」 舞の叫びが響く。 彼女の元から白を受け取り、久は地龍に駆け寄った。「お願いしますっ」 二人の懇願に対し地龍は何も言わず、自分の足元を指さした。久はそこに白の身体を横たわらせる。 すると地龍は周りの砂をすくい白にかけた。半分ほど白の身体が埋まるあたりで手を止めたかと思えば、次は砂の上から両手で手荒く擦る。まるで砂で白の身体を洗うかのように。 ……すると、白の身体に変化が起きた。苦しそうな声をあげながらも、自力で動き出したのだ。 どこへ向かうかと見守っていると、白は足元の砂をかき分け中へと潜ってゆく。 「白!?」 どこかへ行ってしまうのか、焦る久を舞がとどめた。 「待って、あれ……白がいたところのキラキラしたの、何かしら……?」 舞が指さすのは既に砂によって半ば埋まった、白が掘った穴の付近である。 よく見ると砂とは違う何かが落ちているのが光の反射で分かった。 久の肩からウィンがふわりと飛び出すと、それを掴んで、「あ!」 慌てたように二人の前に戻ってきた。 「これ、鱗よ」 ウィンが見せるそれは、確かに見慣れた白の身体を覆う鱗。 ぽん。同時に、砂の中から白が顔を覗かせた。 『ひさしー!たのしいよっ』 元気な声と一緒に。 久は駆け寄ると、すぐに抱き抱える。 「白! ……あれ、少し大きくなった……」 『??さっきまでぎゅーっとなっていたけど、今はすっきりしたよ!』 「とにかく、よかったぁ……」 ほっとしたように久は笑い、大人になった地龍を見上げた。 いつか白は見上げるほど大きくなってしまうのか……白を抱く腕に力がこもる。 「あの、ありがとうございました」 『またあそんでね!』 地龍は一度目をぱちととじると、表情を緩め、また砂の中へと戻っていった。白は手を振り、見送る。 砂漠に残された二人と二匹は帰路に着く。 今回の一件は、白の身体を覆う鱗の下に、新しい鱗がはえてき事が原因のようだ。地龍の鱗は次々に新しいものがうまれ、入れ替わるらしい。 「きっと普通は砂の中を動く中で古い鱗は剥がれ落ちるのね」 地龍が砂漠で生活している理由はその生態と大きく関わっていたようだ。 「それじゃあ村に住むの、あまりよくないのねー」 『ぼくはみんなといっしょがいいよー』 「わっ、白、いきなり暴れないでー!」 『ばふっ』 一回り大きくなった白を抱えるのは大変になったが、 「できる限り、頑張るよ」 久の腕から落ち、砂に顔をうずめた白を見ながら彼はほほ笑んだ。 ……その晩、居間の大きな机に舞は突っ伏していた。 心地よい疲れが身体に残っている。 「久くんと旅に出れたみたいで、楽しかった……」 呟く。 「また、行きたいな、色々な場所に」 できれば、ずっと…… 「やっぱり、好きなの、かな?」 |
20120426
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