狐 裕之篇
――こん。 狐が鳴いた。 「……誰だ」 裕之は足を止めた。 気付くと辺りの風景が変わっていた。 幻術であろうか、それにしては違和感をあまり感じない。もしかしたら相当の術者に捕まったのかもしれない。 「……ここは……」 何処だろうか? 山の中である。 しかし何となく彼はこの場所を知っている気がした。昔来た事のある様な…… 途端に胸騒ぎが起こる。 何か嫌な予感がする。 彼は必死に記憶の糸を手繰り寄せる。 ──俺はこの場所を知っている。 ──何があった? ──思い出せ。思い出せ。 ──何故、こんなにも胸が痛むんだ…… ……ざっ。 背後で地に積もった枯れ葉を踏み締める音がした。 音はかなり近い。裕之は今までその気配に気付かなかった事に驚きながらも慌てて振りかえる。 そして…… ――無意識のうちに流れ出た涙が頬を伝った。 身体が震える。 裕之はそこに現れた人物から目を離す事が出来なかった。 そこに居たのは、かつて自分の過ちによって命を落とした、 「隼人様!」 その人であった。 それに気付いた裕之は、ここが何処であるかを思い出した。 ここはあの日彼が隼人を連れ出した場所であった。 空を見上げると、あの日と同じく曇り。いつ雨が降り出してもおかしくはなさそうである。 「隼人様……お会いしたかったです。ずっと……ずっと貴方にお会いしたかった! 貴方に出会い、そして貴方の孫に……久に出会い、私は変わる事が出来ました」 屈辱も、苦しみも、悲しみも、乗り越える事ができた。そう言う裕之の顔は明るかった。 胸の痛みは一生忘れる事はないだろうが、自分はもう大丈夫。彼は隼人の言葉を待った。 だが、隼人は口を開こうとはしなかった。 不審がる裕之に隼人は近付き……突然掴み掛かった。 裕之は驚きながらも冷静に隼人の動きを見、腕から逃れた。そして距離を取って二人は対峙する。 刀に手をかけた隼人を見て裕之も緊張気味に印を組んだ。印を組んだ手を握ると、そこから炎が溢れ出す。 ……まさか隼人とこうして向かい合う事になるとは思わなかった。裕之の背に冷たいものがはしる。 「怨んでいるのですか……?」 殺した事を。 貴方を殺した自分がのうのうと生きていることを。 「……俺は…………」 うなだれる裕之。 「……貴方が正しいと思います」 隼人が刀を抜いた。 こちらに向かってゆっくり歩を進める。 そして間合いに入ると、刀を構えた。 裕之は俯き、 「怨みを……晴らしてください」 途端、繰り出される暫撃……それは裕之の身体を貫く、 ……かに見えた。 しかし、彼はその刃を片手で受け止めていた。 「でも、隼人様なら……本当の隼人様ならこんな事はしない……!」 裕之の身体から炎が起きる。空いている手で隼人の腕を掴んだ。隼人が息を飲むのが分かった。 「お前は誰だ!」 刀は弾き飛び、丸腰になった隼人の腹に拳を叩き付ける。 悲鳴が上がった。人のものではない悲鳴が。 一瞬辺りが霧に包まれた様に真っ白くなり、そして周りの風景は元居た場所へ戻っていた。 裕之が手を見てみると、そこには狐がいた。裕之の手から逃れようとじたばたと四肢を動かしている。 なるほど、と思いながら彼は狐を地に降ろした。狐はすぐさま駆け出し、十分に距離を取ったところでこちらを振り返ってくる。 「俺の記憶を見たのかどうかは知らんが、上手く化かされたわけだ」 こん、と狐が鳴いた。 裕之はここで表情を緩めた。 「隼人様に会えて、嬉しかったよ……」 ありがとう。裕之がそう言うと狐はもう一度「こん」鳴き、何処かへ駆け去ってしまった。 裕之はその場で暫くの間、隼人の温かさを思い出していた―― |
おしまい
2008122
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