一緒に歩こう 参


 その日の夜、突然扉が開いたかと思うと男が入ってきた。
 身構える裕之に、彼は、
「君は何を悩んでいるのかが分からない」
 言い放つ。
 そして目を閉じると、
「私は曽て人間だった」呟くように言った。
「……かつて?」
「私は深手を負い、死ぬ寸前だった。アイレス様はそんな私に血を分けてくださった。そうして私は生き延びた。
 ……だが、それ以前の記憶を失ってしまった。自分の名前さえ分からない。私は自分の居場所が分からなかった。そして、人間でさえなくなってしまった。
 私はそれ以来ずっとアイレス様の元に置いていただいている。……もう数百年前の話だ」
 一度息を吐く。そして裕之を見やると、
「私から言わせてみると……君はつらいと思っている状況も、私にとっては羨ましい」
 裕之はかぶりを振った。
「……ならば、俺はどうすればいい? 教えて欲しい」
 男は少しがっかりしたように、
「全く、君は……
 アイレス様は何故君をここに呼んだか、それは君を心配したからだ。ワズン様もフォース様も、皆様君を心配していた。
 勿論、アイレス様と戦う君達の姿を影から見ていた私も」
 そう言うと、彼はくるりと背を向けて部屋を出てしまった。
 裕之は俯き、自分のことを考えた。そしてそれは広がってゆく。
 親のこと。
 一緒に暮らした鷹彦のこと。
 師のこと。
 何か問題があると助けてくれた謙のこと。
 仲間のこと。
 魔王たちのこと。
 そして何よりも木乃葉のこと。
 ……その時、彼は木乃葉の大きさに気がついた。
「俺は……」
「おいクチナシ!」
 突然背中の方から声がかかった。
 驚いて裕之が振り返るとそこには鳥に似た姿をした魔物がいた。開いていた窓から入って来たらしい。
「ナナシと何話していたかは知らないが相変わらずシケた面してるな!」相変わらずの口調である。
 ナナシ……名無し、きっとあの男の事を指しているのだろう。ということはクチナシは口無し、というわけか。
「お前に言われたとおりアイレスに一喝されたよ」
「お、おおぉ……!」
 魔物は裕之の言葉にぞくりと身体を震わせた。
「アイレス様に怒られた……本当にアイレス様にお会いしたのか、羨ましいな!
 実はお前凄い奴だったんだな!」
「凄くはない……誰かにすがりたかっただけ、だ」
 ……そう。すがりたかっただけ。誰かに助けてもらいたかっただけ。隼人たちに。魔王たちに。そして、木乃葉に。
 そして今気がついた。自分がすべきことに。それは、

「木乃葉……君の許へ――」








 突然当主に呼ばれ、木乃葉は訝しんだ。取り敢えず当主の元へ行く。
 すると突然、
「そろそろ婚約するべきだ」
 言われた。
 木乃葉は唖然となる。
 しかし当主はそんな彼女の様子など気にもせずに言葉を続ける。
「通例通り、最も強い者とお前は結ばれるのだ。
 一週間後、その試験を行う、いいな」
 一方的に言ったかと思うと当主は木乃葉に退出するように言った。
 頭を押さえながら屋敷の中を木乃葉が歩いていると、それを見掛けた謙が近付いて来た。「何かあったのか」
 周りの気配を確認してから彼女は彼に先ほどのことを耳打ちする、彼は腕を組んで低く唸った。
「裕がいない間に木乃葉を裕から引き離す、というわけか」
 謙は唇を噛み締める。
 ……どうにか、しなければ。



 ――しかしあっという間に一週間は過ぎ、ついにその日が来た。
 当主の家系の娘の婚約者を選ぶのは簡単だ。戦い、一番強いものが婚約者となるのだ。
 この日当主の館の庭に集まった者は三人。木乃葉もよく知っている、実力も持っている三人である。
 木乃葉は三人の顔を眺めながら、内心溜め息を吐いた。……裕之がここに現れる、というかすかな希望を持っていた。
「時間、だ」
 当主が彼女の心を見透かしたように冷たく言った。……しかし途端に顔を険しくする。
 庭の隅に、一人の男がいた。
 それを見るや否や、「裕!」木乃葉は心の中で叫んだ。
 いつの間にやってきたのかは分からない。だが、裕之が来てくれた事で彼女の胸が高鳴る。
「当主様、約束通り始めましょう」
 明るく、晴れ晴れとした顔で、木乃葉は当主の顔を見上げた。
 当主は険しい表情ながらも、仕方なく頷く。そして戦いの開始を告げた。


「……この場で戦いなさい。持てる力の全てで」


 その言葉を受けて四人は互いに目をやった。
 互いにどうしようか戸惑っていた。だが唯一人、つまりは裕之だけは違った。一番近くにいた人物に迫ると、火を纏わりつかせた拳で腹を突き、一瞬でかたをつける。
 それを見て残りの二人は裕之と敵対する事を決めた。彼を挟むように二人は距離を取る。
 だが、裕之はそんな事お構いなしに、掌を地面に叩き付ける。途端に二人の足下が崩れた。
 当然ながら、足を取られバランスを崩した二人を沈黙させるのにそう時間はかからなかった。実力の違いは誰が見ても明らかであった。
 裕之は改めて当主を見る。
 当主は拳を強く握り締め、体を震わせていた。
「当主様、これで決まりましたよね」
 嬉しそうに声を弾ませ、木乃葉。
 だが、
「駄目だ」
 当主は冷たく宣言する。
「お前には資格がない」
「そんなっ……!」
 泣きそうな悲鳴を上げる木乃葉に対し、裕之は当主を強く睨んだ。
 裕之の周りの空間が揺らめく。当主は目を見開いた。
「……いい加減にしろ」
 低く、裕之は言った。
 次の瞬間、揺らめいていた空間が一瞬にして火に包まれる。そして地面でも彼を中心にして火が迸る。それは当主の方に向かって伸びていった。
 それに留まらず、更に彼の身体を纏う火の一部が浮き上がり、幾つもの火の鳥に姿を変え、彼の周りを旋回し始めた。
「すごい……」
 木乃葉はただ感心の声を上げる。その少し後ろで成り行きを見守っていた謙や響輔、他の面々もその光景に息を飲んでいる。
 誰もが見た事の無い技を裕之が駆使しているのだ、驚かざるを得ないだろう。
 ここではっ、と木乃葉は気付く。裕之が当主を殺さんという勢いであることに。
 火は当主に迫っている。
 このままでは……このままでは裕之が本当に許されない立場になってしまう! 木乃葉は立ち上がった。
 庭に降りると、すぐさま炎の中に足を踏み入れる。熱い、とか痛い、となど感じる余裕はなかった。
 火の鳥が行く手を遮ったが、木乃葉は手でそれをはたき落とす。嘴が手の甲に突き刺さったがそんな事関係なかった。
「裕……だめっ……!」
 炎に包まれた裕之の身体に飛びつく。最早自分の身体がどうなろうとよかった。
 行ってはならないところに行かないで!



「……このは……」
木乃葉の耳に声が届く。ぎゅっと閉じていた瞳を開いた。炎は消えていた。
「なぜ、とめた……」
 裕之の問いに、
「あたしは誰が何て言おうとも裕と一緒にいるって決めたの! その所為でこの村を出ても構わない! どんなことがあっても私は裕と一緒に歩く。歩きたいの!」
 彼女は思いの丈をぶつけた。彼が帰ってきたら最初に言おうと思っていたことを。
「木乃葉……有り難う……ありがとう……」
 言いながら裕之は木乃葉の身体をきつく抱き締めた。その瞳からは涙が一粒零れた。



 その光景を見つめながら謙は当主にそっと近付く。
「もう、決まりでしょう」
 耳打ちするが、当主は首を横に振った。まだ意地を張るか、ここまでこられてしまうと流石の謙も憤る。
 その時、影が舞い降りた。
「あなたは……」
「ワズン!」
「お前は少し、勝手過ぎた」
 ワズンが姿を見せるや当主に否や言い放つと、謙や響輔そして周りの誰もが皆同意の表情を見せる。
 当主は数歩、後ずさった。だがワズンは言葉をやめない。
「お前一人の我儘は通らん」
「……」
 当主は俯き、がっくりと膝をついた。
「あの家は……彼の家の血は強すぎる。木乃葉が彼と結ばれても、その子どもにはこの【風ノ宮】の血は薄くしか継がれないだろう……
 木乃葉、お前はそれでよいのか……お前はそれでも彼を望むのか……
 お前は山崎の血に耐えられるというのか……」
 ワズンは抱き合う裕之たちに目を向けた。
「喩えお前が怒りに我を忘れる時があっても、彼女がいれば大丈夫、か」
 ようやく明るい表情を見せた裕之の横顔を見つめながら彼は口許を緩めた。







「――結局また村の外れに住むわけか」
 謙が苦笑しながら言う。
「私たちはここがいいの。ね、裕っ」
 裕之と手を繋ぎ嬉しそうに木乃葉は返す。しかし裕之は恥ずかしそうにしている、手を振り解こうとするが木乃葉はそれを許さない。



 ……一連の責任を取り当主が隠居する事を決め、謙が今までに類を見ない若さで当主の座についたのがつい先日。
 これで裕之の立場は悪いものではなくなるだろう。





「裕、私はずっと裕と手を繋いでいたいな」

「出来る限り、な」


おわり



20090217

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