殺し屋

音も立てずに地上に降り立った人影は、躊う事なく建物の中に入り込む。

息を殺し、慎重に暗闇の中を進んでゆく。

いくら暗くても、いくら建物内部が複雑でも、彼にとってはまったく問題なぞなかった。

彼は超一流の腕を誇る殺し屋で、その世界では知らぬものがいない程の人物であった。

狙った獲物は逃さない、というように、彼には失敗などというものはない。

だが、彼はほとんど姿を見せない。ほとんどその姿が見られることはなかった。



足音を立てずに彼は進む。

誰からも気付かれることなく、彼は仕事を終えた。






数日後、彼の元に一つの依頼が舞い込んだ。もちろん、暗殺の依頼である。

彼は依頼内容を見て、思わず苦笑した。

暗殺対象の事をあまりにもよく知っていたからである。

それは最近突如として成長した会社の社長である。買収を繰り返し、世間からは冷たい視線を浴びて敵も多い。成金と周囲からは罵られ、資産の出所が謎である、との批判も浴びている。

…言ってしまえば、依頼が来て当然、といったような人物である。



さてどうしようかな、彼は思案する。

そろそろ引き上げ時かな、なんて考える。

何を?…社長の椅子を、である。

「ついに自分を殺してくれ、とまで依頼が来るようになったか」

彼はまるでその事がとても愉快な事である、といったような口調で呟いた。

…実際、彼にとっては愉快な事ではあった。

殺し屋には面の顔と裏の顔があるものである。

彼にとっての面の顔は、会社社長であった。その、恨みを買い続けている、批判を浴び続けている会社の。



あの会社の疑惑の資金の出所は殺しの報酬であり、その会社は彼一人の力で成り立っていると言っても過言ではなかった。

社長がいなくなれば会社はすぐに潰れるだろう。すると社員は路頭に迷い、株主は悲鳴を上げるだろう。経済は混乱し、人々はあわてふためくだろう。

…そう考えを巡らせると、彼は自分が社長の椅子から消え去ってはならないような気がした。社会に与える影響を考えない、自分の利益しか考えない愚かな依頼人め、と彼は依頼人に怒りを感じる。



さて、どうしようか。

そう考えを巡らしながらメールをチェックする。…と、いい事を思い付いた。

無料でメールを使わせてくれるサイトに行き、アカウントを作成する。そこから彼は「社長」として「殺し屋」に依頼を送った。メールの到着を確認して先ほど作ったアカウントを削除する。

さて、これで彼は自分を殺したがっている依頼人を殺せるわけだ。2通のメールはそれほど時間が離れているわけではない、一時間くらいである。

…だったら、暗殺の順番が入れ替わっても問題はないであろう。

「残念だったね」

彼は呟き、準備をはじめた。

失敗することはない。入念な準備と下見、そして日頃の丹念と経験があれば。






そして彼は夜の闇に消えて行く。



20060902
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