語らい
君との出会い
カラカラカラ……車輪の回る音、そして振動。聞きなれた音に青年は嘆息した。
前に目を向けると御者台と、手綱を握る一行の中では最も年齢の高い、決して大柄ではない男の背中、そして遠くに見える緑の山……やはり見慣れた光景にもう一度嘆息する。
馬車は何もない平原を進んでいた。
この茶髪の青年は、暇を持て余し何度目かわからない大欠伸をかました。
「本当に、この先に龍はいるのかぁ……?」
変わらない周囲と沈黙にいい加減耐えられなくなったのか、彼は頭をかきながらぼやく。
「行ってみなければわからない。滅多なことは言うな」
近くに腰を下ろす、細身の青年が厳しい口調で返す。
「はいはい……ったく、ジュンはいつも優等生だな」
「何か言ったか、マコト」
細身の青年ジュンに横目でギロリと睨まれ、茶髪の青年マコトはへらへらと手を振って返す。この時に限らない、よくある光景だ。
……と、カタン、突然わずかな揺れと共に馬車が止まった。
魔物が出たのか、はたまた本当に探していた大空を飛ぶ龍がいたのか、二人はすぐさま前方へ向かう。
「隼人、どうした?」
既に馬車を降りあたりの様子を探っているであろう一行のリーダー、隼人に呼びかけたが、返事が返ってこない。
何があったのかと外に顔を覗かせた二人が見たものは、
「女の子?」
はるか前方、要するに緑に包まれた山しか見られないようなところから駆けてくる人影であった。
「あのっ……湖水の町はどっち!」
カラカラカラ……馬車は進む。一行は目標のために空を飛ぶ龍に出会う必要があった。この先の山には度々大きな影が降りているという
「一人で行ってしまったが……あの子何だったんだ?」
先ほどの道を尋ねる女性の勢いに押され、一行は問う事は出来ず、彼女はそのまま走り去ってしまっていた。
「だがあの服……」
彼女は不思議であった。そもそも彼女がやってきた方角には村や町などない。かの山など足を踏み入れると二度と帰ってこないなど危険な話が聞かれる場所である。そして身に着けていた服――様々な色に染められた一枚の布を数枚重ね、胸の下の帯だけで留めている――あのような服装を普段からする地方など聞いたことがない。
……いや、唯一心当たりがあるとしたら、この地のどこかに住む人間の姿に近いが人間とは全く異なる種族だろうか。
「行かせてよかったのかなぁ?」
話すマコトとジュンの間で、隼人は口元に手を当て考えていた。
カラカラカラ……また暫しの時間が流れた。先ほどまではるか遠くに見えていた山が段々迫ってきている。
龍に会って旅の目的地へ向かう……三人の心にはその思いと一緒に、「彼女は大丈夫であろうか」という一人で行かせてしまったことへの心配があった。
そんな時……
「おいおい、やっぱり異常だぜ」マコトがぱたりと後ろに倒れ、呟く。
再び前方から人影が見えたのだ。
今度は男であった。全身を黒い布で纏い、はやり見慣れない服装をしている。
その男……年齢はマコトよりも下であろうか……はこちらを向き口を開く。その瞳は鋭く、冷たい。
「……女性を、見なかったか」
瞳と同じでその声にも鋭さがあった。こちらを警戒している、何かあれば切りかかってきそうな威圧感すらある。
隼人は御者台を降り、男に向き合う。
「赤い服の女性に出会った。彼女を引きとめることはできなかったけれども、湖水の町までの道を聞いたよ」
「……そうか」
「待ちなさい」
歩き出そうとする男を留めると、彼はより一層厳しい視線を向ける。
「君のその格好はよくない。そして、彼女を引きとめられなかった代わりと言っては何だが、君に協力したい。私は隼人という」
男は怪訝な表情を見せた。
そして同時にマコトとジュンも驚きを隠せない。龍探しのために向かっていたというのに途中でとんぼ返りとはどういうつもりだ。
怪訝な表情を見せていた男であったが、自分を呼びとめた男の仲間の驚きの表情を見、悪意が感じられないことを確認すると小さくうなずいた。「……たのむ」
こうなってしまってはどうしようもない、マコトは肩をすくめ、
「俺はマコト。で、こいつがジュン。お前は?」
黒い男はうつむき、短く、「裕之」とだけ答えた。
カラカラカラ……御者台にはジュンが座り、残る三人は馬車の中で木箱をひっくり返していた。
「マコト、君のマントを貸してくれ」
裕之の身体を覆うような大きなマントの捜索である。
魔法使いのマコトであれば何かあるだろうと隼人直々にマコトの荷物を漁っている。
「裕之くん、彼女はなぜ町に?」
「……僕の弟がいる」
漁りながら幾つか質問をしたが、裕之はまだ完全に信用していないようで、短く答えが返ってくるのみであった。まあ当然であろうか。それでも町に着くまでに、彼女が裕之の弟の家に向かったこと、彼女はその家を知らないこと、彼女がお金を持っていないであろうことなどの情報は得た。
「じゃあ、取り敢えず裕之と隼人がその家まで行く、と。俺たちはここでまってりゃいいんだな」
「そうしよう。じゃあ行こうか、裕之くん」
町の入り口で、紫のマントに身を包んだ裕之が無言で隼人に続いた。
一行が湖水の町にやってくる少し前――
町の中で最も人通りのみられる商店の並ぶ区画に、髪を一つに結んだ赤い衣の女性がきょろきょろと何かを探しながら歩く姿が見られた。
「ひとおおいー」
一心に町までやってきたけれども、肝心の人に会えない。
しかも、自分が町の中のどこにいるかも分からなかった。迷子である。
そんな中鼻につく美味しそうなにおい……湖でとれた魚が店先で焼かれている。
「おなかすいた、なー。足も疲れたし休もうかしら」
焼き魚に心惹かれつつ、改めてきょろきょろしながら人ごみの中を歩きだす。
その時すれ違った男は、彼女を振り返り見ると、串に刺さった焼き魚をほおばりながら口元をゆがめていた――
こんこん、町の外れ、平屋の小さな家が並ぶ一角、その端に佇む一軒の家の前に裕之と隼人がいた。ここが目的の家らしい。
少しすると扉が開き、眠たそうな目をした男が顔を出し、
「何だよこんな時間にー……って、あれ、裕!」
不機嫌だったのは一瞬、すぐさま扉は大きく開かれ、頭に寝癖が残る青年が姿を見せる。
「この驚き方……」隼人は眉間にしわを寄せながら呻く。
裕之も同じようで、「木乃葉は来てはいない、か」表情を曇らせる。
「はっぱねーさん?」
どうやらあの女性は木乃葉というようだ。
「んで、裕、そちらは?」
「ああ、私は隼人。木乃葉さん探しに協力しているんだ」
「はやと……ん、もしかして、【隼の刀使い】の!?」
隼人は自分の通り名が出たことに驚きつつ、その話はまたまたあとで、とマコトとジュンを呼んでこれからの対応を決めることにした。
そして隼人から一連の流れを説明された裕之の弟、鷹彦はなるほどと大きく息をついたのであった。
「はっぱねーさんらしいと言えばらしいけど、もう」
「どう探す?」
「木乃葉って子が分かるのが裕之と鷹彦だろ」マコトが目を光らせる。「裕之と隼人、鷹彦と俺の二手に分かれよう。ジュン、お前はつなぎ、な。嫌な予感がする、早くしようぜ」
目立つ容姿、トラブルメーカーと思わしき印象。出会う人すべてが善人という保証はない、探すなら早いことにこしたことはない。
一同頷くと、マコトの案通り二手に分かれての探索を開始した。
住宅の多い付近をめぐるは裕之側。路地にも目を向けるが、なかなか見つからない。気付けば陽が翳り始める時刻となり裕之の表情にも焦りの色が出始める。
それは彼女への心配と……
「裕之くん、落ち着いて。ここは都ではない、役人もそれほど目を光らせてはいない」
その言葉にキッと隼人を睨む。マントの下で刃を握った。
「……何が目的だ」
殺気を噴き出し、隼人に向かう。
だが隼人は殺気に気押されることはなく、両手を広げ微笑みを浮かべていた。
「目的は木乃葉さんを見つけることだよ。裕之くんも安心できるように」
「……?」
「私は困っている人を見るのが嫌なんだ。だから、言ってしまえば自己満足、かな?」
微笑みを浮かべたまま裕之に近づく。裕之は全く動くことができなかった。
そんな裕之の肩に優しく手をやり、「さ、行くよ。早く見つけないと、暗くなってしまう」
目を見つめ、笑った。
少しの後、出会ってから初めて、微かではあるが裕之は表情を緩める。
「……はい」
歩き出す隼人に遅れまいと、小走りに追った。
一方のマコト側は、湖に沿ったこの町で最も活気のある地点を探索していた。
「――今、倉庫の方へ向かった男」
マコトが少し前から行動を共にしたジュンに耳打ちする。
ジュンはすぐさま踵を返し、マコトと鷹彦は湖の間近にある倉庫街に向かった。湖の周りに幾つかの町が広がるため、水上交通か盛んであり物資の置き場となる大きな倉庫が並んでいた。
倉庫の裏手へまわると、マコトは鷹彦に屈むよう指示し、自分は懐から煌めく小石を取り出すと篭手の手の甲へはめ込んだ。上を見上げる。高いところに明かりとりの窓がある。
口の中で幾つかの言葉を呟き、意識を手の甲へ集中させる。すると風が足元から吹きあがり、彼の身体を高く掲げる。
わあ、と心の中で歓声を上げる鷹彦。「魔王と戦う方々は、やはり凄い」
隣の屋根に降り立ったマコトは身を低くして隠れるように倉庫の中を覗き込んだ。
帯を取られ、重ねられた衣がはだける。
木乃葉はうずくまり必死に身体の震えをおさえていた。
(村を飛び出してごめんなさい……! 裕、たすけて……!)
しかし容赦なく伸びてくる汚い男たちの手。
「いいのを見つけたな」
(これが、欲にまみれた人間……)
弱みは見せまいと、唇をかみしめる。
「これは高く売れる」
耳に入ってくる嫌な声、恐ろしい内容に瞳から涙がこぼれそうになる。
すると、
ガッ……!
突然、音とともに壁の一部から土煙が起こり、そして光が差し込まれる。
最初は何が起きたのか分からなかった男たちであったが、光の中に人影を見ると、壁が破壊され何者かが侵入してきたという事実に気付く。
「くそっ」
逃げようとする男たちに迫る影。
「殺す」
影はそれだけ言うと高い天井につくのではないかというくらい飛びあがり、男たちの退路を塞ぐ。一番近くにいた男に飛びかかると体当たりで床に押し倒し、同時に両肘をひねりあげた。男の絶叫と共に嫌な音が鳴る。
しかしとどまることなく隣りの男に向かう。首に手をかけ、力を思い切り込めた。
「待て!」
その間に割り込む別の影。
「裕之、お前が今するのはそれじゃねーだろ!」
その言葉にはっと影……裕之の瞳に色が戻った。手を離し崩れ落ちる男には目もくれず、そばでうずくまる女性、木乃葉に駆けよる。
その時には、マコトとジュンの手によってその場にいた男たちはすべて気を失った状態で縛りあげられれていた。
さらに別の部屋を探索していた鷹彦も姿を見せ、
「やっぱりだったよ、マコトさん! 別の部屋に小さな子どもが数人っ」
「ふむ……人身売買の集団か。流石にこれは役人を呼ぶか……」
隼人は状況を整理し、裕之のもとに歩み寄り、腰を下ろす。
「彼女を連れて鷹彦くんの家へ行きなさい」
「あ、役人だったら顔見知りが!裕、大丈夫だ」
「隼人さん……鷹彦……」
――すやすやと眠る木乃葉の表情にほっと一息ついていると、一人、ジュンが戻ってきた。裕之たちが去った後、鷹彦が呼んだ役人たちによってあの集団はつかまり、子どもたちも無事保護され親を探すことになったという。隼人たちはもう少し話をしなければならないようで、まだ帰ってこない。
ただし、
「君たちの事には絶対に触れない、と隼人は言った」
ジュンから発せられた言葉に裕之は頭を下げた。そして外に出、平屋の屋根へと上がるとごろりと横になり、静かに目を閉じる。
……幾ばくか後、こちらに近づく気配で目を開き、裕之は身を起こしてその人を待った。
すぐに梯子から隼人が顔をのぞかせる。
「……今日はどうもありがとうございました」
「言っただろう、私は裕之くんを安心させたかっただけだと」
「……人間が皆あなたたちのようだったら……」
「?」
「……いえ、気にしないでください」
裕之は拳をぎゅっと握りしめていた。隼人は何も言わず、しばらく彼の隣りに座っていた。
そののち一件落着、と鷹彦の家でささやかな食事会をした夜、裕之は今度は鷹彦と屋根の上で語らいあっていた。
今は別々の場所にくらし、滅多に合う事はない二人。お互いの近況など、話は弾む。
その中で、嬉しそうに鷹彦は言った。
「ボク、隼人さんたちについていくことにするんだ」
彼らは強く、そして優しい。それなら安心だと裕之も賛成したが、次の言葉に事態は一変する。
「少し前に全国から魔王を倒す人材を募ったんだけれども、隼人さんたちはその中の一人なんだよ。とても強い人だって噂があってね」
「!」
「そんな強い人の技を、ボクも身につけたいんだ」
嬉しそうに語る鷹彦の横顔に、裕之は何も言う事が出来ず顔を膝にうずめる。
(あの方が……魔王の敵となる……)
どうしようもない脱力感に襲われる。
(……僕はどうすれば……僕は……)
その晩、裕之は眠ることができなかった。
翌朝、隼人一行と別れ故郷の村へ戻る裕之と木乃葉。その道中、会話はほとんどなかった。裕之の胸には一行への思いと不安……様々な感情が駆け廻っていた。
村に戻り木乃葉を彼女の住む屋敷に帰す。彼女にはしばらくの間謹慎の罰があたえられたが、もう「嫌だ!」と村を飛び出すことはないだろう。あのような嫌な思いを植え付けられてしまっては。
一方の裕之は……
「当主様、お話が」
平静を装い木乃葉の祖父、彼らをまとめる人物のもとにいた。
「魔王を倒すべく動き出した集団のひとつに、鷹彦が巻き込まれようとしています」
「お前の弟分の、か。それは残念だ」
「私もそれに同行出来ないでしょうか」
「――何を言い出す」
敵に協力するのか、と当主は厳しい口調になる。
「機を見て鷹彦を戻します。そしてその集団も戦わせないように仕向けよう、と」
「策は」
「ございます」
「……勝手にしろ。ただし、魔王は我らの守護者。刃を向けると我々一族に関わる。分かっているな」
「勿論でございます」
深く頭を下げると、そのまま準備を整え裕之は村を出た。
それが自分の運命も一族の運命大きく変えるという事を知らずに。
20130519
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