熊野市の中心、『木本町』は古くは海賊の本拠地『鬼の元浦』として栄、近代では『紀勢西線』の終点で今の尾鷲市との間、42Kmを国鉄連絡バスで繋ぐ、中継点として、又、近隣の商業の中心として栄えた典型的な地方小都市である。駅の名前も『紀伊木本』であった。
昭和30年代の半ばに紀勢線が全通し、普通の途中駅となると乗降客も激減、さらには近年の円高・海外旅行隆盛時代に入り、観光客もちらほらと見かける程度となった。
平地の少ない紀州南部の地形で、前は太平洋、後は急峻な山である。海岸から山まで1Kmもない地形である。
この鳥瞰写真も正に「裏山」と呼ぶにふさわしい、『華城はなじろ』から撮影した。
JR今の『熊野市駅』から左が木本町、駅を含め右は「井戸町」である。
当局の家も、二枚目に写っているが、これが、『木本』のほとんどである。
木本町東半分(左の岬が鬼ヶ城) | 木本町西半分(大きな建物は木本小学校) |
JR紀勢線『熊野市駅』 | 華城の岩・・ここまで海面があったらしい |
今時に白黒写真・・・JRの右側井戸町は昭和40年頃まで田と沼だった。木本町はカラーの時代になってもあまり変わっていない。
むしろ、往年の輝きを失って、カラーからモノクロになってしまったのかも・・・地方都市の宿命??
海岸浸食
戦後、日本経済の復興のために行われた「熊野川総合開発」のダム建設により、土石の流下がなくなった結果、壮大な砂利浜であった「七里御浜」がやせ細ってきている。
かつては大小さまざまな玉石で出来ていた浜が、今や豆粒のような砂利になってしまっている。
国は因果関係を認めないが、浸食による高波の危険を防止するため、沖合いに『潜堤』という海面下2mまでの消波堤防を建設中である。
熊野灘という外海での施行が可能かの実験にも2ヵ年を要した大事業である。海岸にテトラポットを置く工法では浜がやせるのを促進することになる。
人間に出来る最大の対策はこの『潜堤』しかない。下はその工事の模様である。