市内神川町にある『七色峡』は今では七色峡であった場所ど言うのが正しい。
戦後の復興のために全国にダムが作られたが、この紀伊山地には「熊野川総合開発」として多数のダムが作られた。
ダムは急峻な山間部を流れる川が適している。ダムを造りたいという立場から見れば熊野川は最適とも言える。
この『七色峡』は上流の大又川・北山川が合流し、きれいな水が絶えることなく流れくだり、岩を削って出来たものである。
岩にせかれしぶきを上げ、あるいは淵になり、趣を変えながら、流れくだり、周囲の山を写し、空を映し刻々と色を変える光景を『七色』と称したのである。
ダムの完成とともに流下する水がなくなり、水溜りと化してしまった。夏には水の腐敗することさえあるようになった。地元からの定量排水の要求も、水利権を売り渡してしまったため、聞いてはもらえない。確かにダムの水1トンは金である。ほんの少し観光放水が行われるだけで、七色峡が生き返るような流れはダムの撤去以外に望めない。台風の出水時には放水されるが、何の役にも立たない。
この渓谷の水が水溜りであるというのは情けない話である。 |
2004年4月 YASHICA FLEX A |