「日本一小さい村」で売ってきた鵜殿村ですが、実態は2Km四方の狭い村の一割以上を『紀州製紙』が所有する企業城下町であります。
一企業がそれだけの面積を占めるのは他に例を見ないところです。
かって、製紙業が好調であった頃、当然のこととして村の財政は豊かで、住民税やPTA会費なども全国で一番安いものでした。そのため、貧乏な他の村との合併は損なので、昭和の大合併の時、この周辺では唯一つ単独行動をし、村のままで残りました。
地方交付税も、つい近年まで支給されることの無い、豊かな村でした。
隣の新宮市にあった『巴川製紙』の工場が閉鎖された頃を境に、この村も単独維持に不安を持つようになったようです。
平成の大合併も最初は単独を選ぶかに見えながら、学校なども共同で持っている隣接紀宝町との合併に動いているようです。
下の写真は『紀州製紙』の工場の排気です。今は、ほとんど水蒸気ですが、昔は苛性ソーダの臭いなど、異臭を放っていました。その煙とともに栄えたのは、室蘭や釜石などと共通する構図です。だれも文句も言えず・・・
この写真が鵜殿村の過去であり現在です。鵜殿の人には叱られるかもしれません。
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