気持ちの良い朝である。紅葉しかけた街路樹は秋の訪れを感じさ せ、澄み切った空気を薙ぐ涼やかな風が、街の風景を目覚めさせて いく。喫茶店の玄関に佇む俺の鼻を樹木の匂いが掠め、どこかノス タルジックな感慨を呼び覚ました。 「……お待たせ」  扉の開閉音の数瞬後、メイド服を装備した慎が姿を現した。 「だ、大丈夫かな。変なトコあるか?」  身につけた衣装をまじまじと見つめながら、くるりと一回転。  普段、意図的に男らしくあろうとする慎の姿を見ている分、こう いった格好や仕草を見るのは妙な気分だ。 「問題ない。どこからどうみても可愛らしい女性だ」 「なら良いんだけど……いや良くないって」 「気にするな。それより、準備はできてるな?」 「……ああ、チラシも持ったし、戸締まりもしたし、……着替えも したしな」  慎はそう言いながら横目でこちらを睨んだ。 「よし、まずは商店街から……」  今日の予定を確認しようとすると、後ろから声をかけられた。 「おはようございまーす」  見知らぬ少年だった。学生服を着ているので、恐らくは通学中の 学生か何かだろう。 「おはようございます」 「お、おおおはようございます」  誰かに話しかけられるのは予想外だったらしく、慎が動揺してい た。特に珍しい事でもなかったので流すことにする。 「気持ちの良い朝ですね」 「はい、もうすぐ秋本番って感じでイイですよね! あいや、それ はそうと、ここの喫茶店の人ですか?」  体育会系を思わせるハキハキとした言葉遣いには好感が持てる。 「はい、この度再オープンする事になりまして」 「あっなるほど、じゃあ俺も学校で友達に知らせておきますね!」 「ありがとうございます」 「あ……ありがと、ございます」 「メイドさん、可愛いですね! それじゃ俺はこれで!」  青年は手を振りつつ走り去った。数秒と経たずに姿が見えなくな ってしまった所を見ると、長距離陸上の選手なのかもしれない。あ あいった青年は、個人的にとても好感を抱けるのだが、慎はそうは 思わなかったらしく、 「うああ! こんな朝っぱらからいきなり話しかけてくるなんて非 常識だと思いませんか!」  などと悪態を付いている。 「俺は好きだぞ。ああいう子は」 「ホモ!」 「違う!」  まあ確かに、メイド服を着ている時にいきなり話しかけられて動 揺した慎の気持ちがわからないでもない。ないが、これから先もこ の調子ではさすがに困る。 「可愛いって言ってくれてたじゃないか」 「まったく嬉しくないです」 「女性はそう言われたら喜ぶものだ」 「女性じゃないから喜びません」  いかん、拗ねている。 「あの少年、きっと店にも来てくれるぞ。その時もそんな調子でい いのか?」 「うっ」 「彼はお前の事を女性だと思って可愛いと褒めてくれたんだ。だっ たらその言葉を素直に受け止めて感謝するのが、男の中の男という 物ではないだろうか」 「くぅ…………、ったく! しょうがねー奴だな、あいつは!」  慎はふんぞり返って悪態をついた。口は悪いが、本心はちゃんと 反省していると思うので、もう心配ないだろう。きっと。 「落ち着いたか」 「はい」 「じゃあ、まずは商店街から行くぞ」  昨晩二人で決めた今日の予定は、近隣の皆様への挨拶とチラシ配 り。宣伝も兼ねているので、ウリの一つとなるであろうメイド服の 着用は勿論、俺も制服を着てそれに望む事となる。 「あ、ま、待て」 「なんだ」 「やっぱやめない?」 「…………」  前途多難だった。  通勤や通学とかぶる時間帯は嫌だ!  そんな駄々を捏ねた慎のおかげで、早くも本日の予定にズレが生 じ始めていた。この都会とも田舎ともつかない街を、平日の昼間か ら歩いている人間はあまり居ない。しかし、まったく居ないわけで もない。慎の姿は半ば必然的とも言える形で、まばらに存在する人 影から好奇の視線を浴びていた。 「うう……」  当の慎はというと、朝のジョギング中であろう老人の一団に話し かけられたのが相当堪えたらしく、この上なく意気消沈した様子 で俺の後ろを歩いていた。  無言の抗議だろうか、俺の靴の踵を踏んでくるのが鬱陶しい。 「ほら、最初はここからだぞ」 「え、あ、うん……」  商店街の端から順々に挨拶していく予定だ。店頭にチラシを貼ら せてもらえるかも交渉する。午前中に終わると良いのだが。  交渉は順調だった。地元という事もあり、意外と多くの人たちが 俺の事を覚えていてくれたようで、大部分のお店が世間話のついで といった感じでチラシの件も了承してくれた。 「がんばれ、あともう少しで終わるぞ」 「うん……」  ただ、慎の様子だけが気掛かりだった。意外と人見知りする性質 な上、メイド服で女装までしている。慎の正体に感付きそうになる 人間も多かった。事の経緯まで話していたらほぼ確実に正体を看破 されるだろう。俺の見通しが甘かったのかもしれない。 「そろそろ昼だな」 「うん……」 「何か食べるか」 「うん……」 「……」  虚ろな目は完全に下を向いていて、足元もおぼつかない。女装し ていない俺とは比べようもない精神的負担がかかっている事が容姿 に想像できた。  気付かなかった自分に腹が立つ。彼を助けるために此処に戻って きたんじゃないのか、俺は。 「よし! じゃあ今日はもう帰ろう。帰って休もう、……な」  失敗した。そう思ったのは、覗きこんだ慎の瞳から零れ落ちそう な程の涙が浮かんでいる事に気付いてからだった。 「……っ!」  慎は俺から顔を背けるように身を翻して、周りの目も気にせずに 走り去って行った。  俺はそれを止める事もできずに、ただ棒立ちに立ち尽くす事しか できなかった。  俺が慎を見つけたのは、空が燃えるような茜色に包まれた頃だっ た。慎は喫茶店の通用口の扉の前に、メイド服に包んだ小さな身体 を丸めて座り込んでいた。その瞳は夕焼けよりもなお赤く腫れてお り、今まで涙を流していた事が伺える。 「慎」 「……なんだよ」  慎はぶっきらぼうに言い放った。その声色は意外にも落ち着いて いる。きっと自分の中で事の整理を終えたのだろう。ただ、そうだ としても、俺には言わなければならない言葉がある。 「悪かった」 「俺も、ごめん」 「……ああ」  下げた頭を元に戻すと、少しだけ微笑んだ慎の顔が見えた。  だから、俺たちにそれ以上の言葉はいらなかった。 「腹減った」 「俺もだ」 「なんか食おう。お前の奢りで」 「お断りだ」 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【課題点】 ・ヒロインの内面描写が足りない気がする ・これをシナリオテキストに改変するとどうなるかが心配。 ・表現が冗長 ・展開が唐突 ・ 【コメント】 長くなりそうだったので大部分を端折りました。