鳴る警鐘は耳奥へ






「いい音ね」

 声をかけられ初めて気付く。首だけ動かして発声主の沖田さんを捉えると、続けていいよと手を振られた。
 地面に落ちる前に葉に当たる、雫の音が心地よい。

「こんなところに菜園あったんだ」
「菜園……ってほどでもないですが」

 現に育てているのは枝豆一種。勝手口の曲ってすぐの裏庭を借りて栽培している。でも地面に植えるでもなく植木鉢数個の、ほとんど趣味の範疇だ。
 水をやるため蟹歩きで移動する。沖田さんは特に何をするでもなく見守っている。

「ここ最近、連続で赤字らしいんです。内訳調べてみると、案の定というか、接待費という名の飲み代が行き過ぎちゃったみたいで」
「いつものことじゃない」
「せめてつまみは自作しようって、枝豆の種をもらったらしいです……いや、買ったんだっけな……
「どこの切り裂き魔よ」
「きりさ……?」

 ちくたくちくたく考えて導き出された単語は『ジャック』。いつも思うけど、沖田さんの思考ってどういう回路で結ばれているんだろう。日常の会話が途切れるほど突拍子もない発言ってどうなの。……アレもしかして同一人物だと思ってる?

 また移動しながら、豆の種を見せられてへーこんなに小さいのかと感心していたらぽんと、肩を叩かれたのを思い出す。何で自分で育てないんですか。聞いたら忙しいからとか性分じゃないとかお前のほうが合ってるとか、テキトーな理由つけられて、結局おれが一から面倒を見ることになった。勤務であける日もあるけど、そういうときは食堂のおばちゃんが世話をしてくれている。
 でも逆によかったかもしれない。複数人で育てるとなると「誰かがやるだろう」とサボリがちになってせっかくの節約の種を枯らしかねなかっただろうから。

 こんな場所に用事のある人なんて午前様ぐらいだから、そういう人は植物になんて目に止まらないんだろう。だから沖田さんが今まで気付かなかったのも、特別なことでもなんでもない。
 また一歩、次の枝豆に水をやる、その足音と重ねて後ろの気配が移動した。

「あひゃあッ!?」

 ぞわっと背筋に寒気が走る。
 冷たい手。不意打ちだった。脇から横腹、腰をぴたぴた素手を侵入させて撫で回す、その動きは覚え始めた夜の手つきそのもの。
 ふっと後ろから吐息をかけられ、さっきまでの世間話ムードが捨てられないおれは現状変化のギャップに混乱する。

「ちょ、沖田さん何考え……
「いい声ね」

 でも。と含み笑いされる。

「あたしの部屋以外でこんな声出すなんて、悪い子」

 それはおれたちの関係を続ける上での決まり事。
 こういう行為をするのは、夜、沖田さんの自室でのみ。

「や、こんなところで何で……ッ」

 でもそれを破ろうとしている、いや、一歩破っているのは沖田さんで、おれじゃない。
 片手で外されるバックルの金属音に本格的に慌てる。なんて器用なんだと感心している場合ではない。

「人、来る……!」
「だいじょぶだいじょぶ」

 何がどう大丈夫だというのか。
 振り払って問いただそうとしたら握られて、一瞬反応したのがいけなかった。主導権を取り返すのはもう無理に近い。

……ンと、なんでいきなり……っ」
「永倉があたしだけのものじゃないから」
「はあ……!?」
「ちょっと人混みから外れた空間にふたりきり。気付いたらムッとなのかムラッとなのかとにかくキて止められなくなりました」
「何ですかそれ……、アッ、」

 力が抜ける。傾いだところをぐっと我慢してプラスチックを握り締め、確かに人通りはないけれどそれでも人間の活動時間だということを思い出してぐっと息を詰めた。
 露出の趣味なんて持ち合わせていない。
 全身で拒絶する気になればできるのだ。年下とはいえおれは男で沖田さんは女。
 なのにできないのはどうしてなの。

「いい音ね」

 如雨露から流れていたのとは違う水音に、年上の女のひとの声が重なった。
 つ、と親指が沿って流れた。ばちゃんと水が跳ねてわずかに泥も跳ねて、その物音に誰かが気付きやしないかと頭の中がカッと白くなった。

「夜まで待てそう?」

 太陽はまだまだ高い。耳を澄ませばほら、ながくらぁと呼ぶ声が聞こえてくる。昼の休憩はもう終わったのだろうか。
 けれど体は馬鹿正直に返事をして、馬鹿正直に続きをねだっている。

……む、り……

 ひとりになってトイレですることも出来る、この人としなくても熱を下げることは出来るのだ。
 若いことを言い訳にしたくない、けれど歩くことを覚えたての子どものように、駆け抜けたくて駆け抜けたくて仕方がない、ましてや覚えたのが同時の成長も同時の人がここにいるのなら。
 小声で白状すればそれはそれは満足そうに沖田さんは、ふっと耳朶に笑みを吹きかけた。

「いい声ね」

 この人を喜ばせるためなら何でもする。常はそう思っていてもやっぱり、出来ないこともある。
 したくてもしちゃいけないことの境界が深くて、余計熱が上がりそう。いつ何時誰が通りかかるかわからない、隅とはいえこんな庭で、声を出すことなど理性が許さなくて、いっそ喉を潰せたらと唇を噛む。

「さて、どうしようか?」

 寸止めされたおれから離れ、しれっと沖田さんが問いかける。
 時間か場所か、どちらを破ろうかと。

……

 レッドランプの点滅間隔が短くなってくる。間違えちゃいけない回答、しかしどちらとも答えられないおれは、枝豆の苗を潰している如雨露を力なく握って。

「おきたさん、の、ばか……

 ここに来て初めて、紫苑色を捕らえて、唇を捕らえられる。
 昼の庭、おれたちはなんて悪いことをして、なんて興奮しているんだろう。
 いい子と褒める言葉にかぶさる水音が、あらゆる点で邪魔だった。







2008/09/24

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