主線のない物語
「どちらかといえば」
突然始まった会話に首を振る。
風呂を浴びて下で結っていた髪紐をしゅるりと解いて、沖田さんはおれを見てふっと口許を緩ませた。目が捕食者の目になっていて、本能的に身が引ける。それさえも予想の範囲らしく、沖田さんはおれの後ろからするりと手を伸ばしてくっついた。
首にあたる砂色の感触。
「攫いたいかな」
寄せて、食んで、齧る。
色っぽいんだか色っぽくないんだか判断しかねる始まりに肩が強張って、そこを思い切り噛まれて、沖田さんはおれの悲鳴を引き出した。
キスマークなんていっちゃいけない。これは完璧、歯型に分類される。
「い、たいです、おきたさん……」
「大丈夫、血は出てないから」
舐めとけば平気。平然と言って自分でつけた歯型を舌でなぞる沖田さんは大分、慣れて来たみたい。おれだけ慣れない、何でだろう。肌を重ねる回数は同じはずなのに。
「……『あなたを攫いたい』」
「……え……」
「『許されぬ恋ならば。誰も知らない、遠くまで』」
どこかで聞いた台詞。しかもつい最近。どこだっけ何だっけ、思い出そうと頭を働かせようとしたけど、どさりと下に敷かれて思考がくるくる回る。
今日も上になれなかった。弱いと自負している耳に舌が這い、せめてもの抗議に眉根を寄せる。
「耳……やめてって、言ってるのに……」
「きこえなーい」
めちゃくちゃ聞こえてるじゃないですか。
どんなにいじられても耳じゃ絶対的な刺激にならない。ならないけど、刺激にはなる。刺激にならなければ沖田さんはこんなに執着しない。
反応しなければ諦めてくれるかと思って、ぐっと息を詰める。
「……」
「……?」
ふと離れた体温に息と共に遮断していた視界を開くと、それはそれはうっとりとした沖田さんが微笑んでいた。
「かわいい」
なんてこと言いますかこの人は。抗議しようと口を開いたと同時、塞がれた。
女の人の唇って、何でこんなに柔らかいんだろう。抗議文と呼吸、全て細く長く吸われて、脳が麻痺しそう。知らず掴んでいた沖田さんの寝巻きの袖、力が抜けて引っ張れなくなる。
「……おき、たさん」
「なーに」
前髪を掻きあげられて額にキスされる。呼吸が整うのを待ってくれるのか、沖田さんはそういう手つきじゃなく普通の手つきでおれを優しく撫でる。
一度上がった熱はなかなか冷めないけれど、深呼吸ひとつして心の底からの願いを告げる。
「おれにも、やらせてくださいよ……」
「やーよ」
やっと言えた希望はあっさり一蹴された。
「あたしはお前を攫ったんだから」
「……あ、」
思い出した。
あれ、今日やってた二時間ドラマの台詞だ。いわゆる身分の差をテーマにした恋愛系の。
チャンネル回したらちょうど始まったばっかりで、こたつで温まりながら隊士数人で鑑賞会。沖田さんってこういうの好きそうに見えない、ああやっぱりものすごく興味なさそう、ってこれはドラマの感想じゃないし。
見終わったあと、決め台詞を題材にみんなで盛り上がった。言ってみたいか攫ってみたいか、男のロマン逃避行なんたら。
そのついでと言わんばかりに、原田さんが沖田さんに訊いていた。「攫われてみたいか」って。そのときは軽く鼻で笑ってた答えを、ここに来て口にしたらしい。訊いて来た原田さんじゃなくて、密かに聞き耳立てていたおれへ、ふたりきりの空間で。
「……どこに、連れて行くつもりですか……」
「お、ノッてきた?」
さらりと右手が首筋から胸までを撫でる。細い指。
「言ったでしょう。『誰も知らない、遠くまで』」
攫いたいというのならおれは、頷くしかない。そもそも攫う行為の前提として、相手の了承なんて絶対取らないだろうけど。
「……『あなたとならば、どこへでも』」
かろうじて思い出した女優さんが言っていた台詞を口に乗せる。
おれの胸元に埋もれさせていた顔を上げた沖田さんは嬉しそうに、本当に嬉しそうに、でも一瞬、泣きそうに笑った。
そしてそんな顔をすぐ伏せて、おれの研究を進める。舌が触れる感触に身震いした。
ドラマのようにハッピーエンドになるのかはわからない。そもそもハッピーエンドが何なのかわからない。エンドって何だ、いつどこがふたりの終わりなんだ。
わからないことだらけのおれは、目の前の人を少しでも、喜ばせることを考える。
「……きもちいい?」
例えば普段はもとよりこうして、肌を重ねるときにこそ、この人となにより自分へ、嘘をつかないように。
頷くことしか、出来ないけども。
2008/02/23
BGM:浜崎あゆみ『My Story』