01.噛んじゃダメ

 違和感と小さな声。青ざめて振り返る。
「ごっ、ごめんなさい!」
「いいよ、爪切った?」
 擦れ違い様に掠った指先と手の甲。おれの爪が、沖田さんの甲に引っかかったのだ。
 振る手の様子を見たくて焦るおれに、沖田さんは高い目線で問いかける。
「はい、さっき……
「やすりは?」
「やすり、ですか……?」
 知らない言葉でも知らない機能でもないけれど返さずにはいられなかった。やすりって。
 確かに爪切りには小さなやすりがついているけれど、使うことなんてほとんどない。切ったら切ったで終わりじゃないか。もしかして女の人はそうじゃないんだろうか。少なくともこの人は。
「まだ時間ある?」
「ありますけど……
「やったげる」
 笑んで有無を言わさず手を取るその手を、抗う術をおれは持っていない。
 無事に解放されても残り数時間、勤務なんて碌にできないんだろうなと確信的な未来を予想した。

2008/08/27
BGM:kukui『空蝉の影』


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