2人の男は、黙々とピザを食べた。Lサイズがきれいになくなり、今度はコンビニのおにぎりを食べた。1.5リットルサイズウーロン茶のペットボトルが空っぽになり、やっと饗宴は終ったが、こんなに静かだったのは食欲のせいだけではない。
土井垣に立ちあがる間も与えず、不知火はテーブルの上を片付けはじめる。ずっと目を伏せているが、悟られないようちらちらと自分のほうをうかがっているのに土井垣は気づいていた。ごめんなさい、とまた不知火がつぶやいたが、なんと答えればいいのか良い返事が思い浮かばない。
テーブルの上はきれいに片付いてしまった。
気まずい雰囲気が漂い始める。土井垣はかたわらの新聞を取り上げ、不知火はかなりためらった後で、仕方なしにTVのリモコンに手を伸ばす。
「コーヒー、淹れてくれるか?」
別に読みたくもない新聞に土井垣は話しかけた。
「は、はい!」
とたんに笑顔になってリモコンを置くと、不知火はキッチンへ向かう。
ちゃんとした味のをな……と土井垣は言いかけて、可哀相なので止めた。この弱みはほとぼりが冷めてから使ってやろう。
台所から良い香りが漂ってきた。
不知火が来てからコーヒーを飲む回数が増えたと土井垣は思う。今までは正直出されれば飲む、という感じだったが、不知火が味わう楽しみを教えてくれた。
ちっとも頭に入ってこない記事をそれでも集中しようと眺めていると、不知火が香りと共に部屋に入ってきた。
「何か楽しい記事のってますか」
「いや……別に」新聞を脇に置くと、マグカップを受け取る。
コーヒーは美味しかった。やはり昨夜のは……土井垣がそう思ったのを感じ取ったのか、ずっと伏目勝ちだった不知火が、気まずそうに顔を上げた。
「土井垣さん……本当にごめんなさい。申し訳ありませんでした」
そしてテーブルにすり付けんばかりに頭を下げる。
「まぁ、顔を上げろ。一体、お前どうしたんだよ?……普通じゃなかった」
「……一体どうしたんでしょうね、俺」
不知火の目は戸惑っている。
「自分でわからないのか?……俺が収録に行っている間……いや、お前が自分のマンションに行っている間、何かあったのか?」
不知火の目が宙をさまよう。
「……俺がマンションで年賀状書きやら何やらしていたら……知三郎が、電話をかけてきました」
「あいつの電話なぁ……」
「旅行の話しをしてきました」
今度は土井垣が伏目勝ちになる。
「すまなかった」
「いいえ……その時は、お前のブラコンになんか付き合ってられるか、って言ったんです。土井垣さんには、……後で問い詰めようと思ったけど。でも薄々感づいてましたから、あなたとその、小次郎さんのことはね。無理やりについていってやろう、ってその時は思ったんです」
「そうすればよかったのに」
土井垣が溜息をついた。
「ここに帰ってきて……土井垣さん、収録で出かけるところだったんですよね?わざと機嫌の悪いフリをしたんです、玄関では」
「あの時はフリだったのか」
「はい。……それで部屋に入ったら……」
不知火はコーヒーを一口すすった。
「……寝室のドアが開いていて、クローゼットの前に、あのスーツケースが置いてあって……」
「たった一泊の旅行で使うわけがないじゃないか、あれは、たまたま」
「ええ、俺もわかってました、わかっていたのに……どうしてだろう、あなたが行ってしまう……行ってしまったら、もう戻ってこないと思ったんだ……」
不知火は目を閉じた。
「ああ……前にも同じようなことがあったんです……出しっぱなしのスーツケース……学校から帰ったらなくなっていて……あの人は行ってしまった……母さん」
「お母さん?」
「ああ、そうです。ずっと忘れてました、いや……思い出そうとしなかっただけだな。お袋が出ていった時と、そっくりだったんだ」
不知火は黙ってコーヒーを飲んだ。土井垣もそれに倣う。ぬるくなったコーヒーはひどく苦く感じた。
しばらく沈黙が続いた後で不知火が口を開けた。
「学校から帰ってきたら、見馴れないスーツケースがお袋の寝室に出してあって……はい、親父とお袋、寝室は別でしたから。最初は家族旅行かな、って思ったんです。でもそんな話しも出ないし、親父はなんにも言わないし、そもそも3人一緒に旅行に行くなんてあるわけないし。そのうちだいたいわかってきますよ、俺もう6年生でしたから。……お袋の部屋の荷物が減っていくしね。1週間ぐらい出しっぱなしだったんですよ、部屋は開けっぱなしで。でも親父も何にも言わなかったし、……俺も、……ね」
「何故?どうして何も言わなかったんだ?」
「だって……そんなもん、夫婦の間の話しでしょう?俺がどうのこうの言う事じゃない。それに俺、お袋とは仲悪かったし。目を怪我してからは喧嘩ばっかりですよ、野球をやめろ、やめないのって」
俺がどうのこうの言う事じゃない、と不知火がこともなげに言うのが、土井垣は気になった。親子なのに。家族なのに。その口調は淡々としていて報告でもしているようだった。
「でも、その……出ていって欲しかったわけじゃないんだろう?」
「どうなんでしょうね」
不知火がぽつりとつぶやいた。
「たぶん……まさか本当に出ていってしまう、なんて思ってなかったのかもしれません。親父とお袋の間は冷え切っていたみたいだけど、派手な夫婦喧嘩とかはなかったから。甘いですよね、やっぱりガキだったんだな。さんざん……母さんより野球のほうが好きだ、とか傷つけるようなことばかり言っていたくせに」
「いや……俺も、そのぐらいの年頃はそうだったよ。お袋さんが鬱陶しかったんだろ?……でもさ、絶対に自分を嫌いになったりしない、ってわかってるから、結局甘ったれているんだよな。……俺だって同じ状況だったら、まさかお袋が出て行くなんて考えもしないだろう」
「土井垣さんの家でもそんなもんですか」
不知火がぼんやりと言った。
「……いえ、やっぱり俺のほうが甘ったれです。さっき出ていってしまうなんて思ってなかった、って言ったけど……本当は心のどこかで、あの人は行ってしまうだろうとも感じていたんですよ。きっとお袋を試してたんですね。自分じゃ優しい言葉の一つもかけなかったくせに」
そして自嘲気味に続けた。
「こんなのだから、怒られたんだな」
「怒られたって誰に?お袋さんにか」
「いいえ。祖父さんや祖母さん、親戚から」
「なんで?どうしてお前が怒られる?」
一番苦労したのはお前じゃないか。……不知火の子供時代の話は、土井垣には解せないことばかりだった。
「俺が母さんを止めなかったから」
不知火はむしろテーブルに向かって話し始めた。視線は電灯の照らし出す無機質な表面を追っていたが、実際は自分の記憶の内面に向かっていたのだろう。無表情なその顔つきから、感情はうかがえなかった。
「……お袋が出てった後で連中に呼び出されて……子供の言い分を聞こうとかなんとか、畳みに正座させられてね……こっちは見たいTVがあったのに……出てった時の状況とか聞かれて、わかっていたくせになんて止めなかったんだ、って。だから言ったんですよ、俺がとやかくいう問題じゃないって。お袋と親父が決める事だから関係ないでしょう、俺は野球さえ出来れば文句はありませんって。だって、本当にそうでしょう?今更俺に何を言えっていうんです?あの人たちがそう決めたんなら、仕方ないじゃないですか。俺がどうのこうの言ったって、何にも変わりゃしませんよ。だいたい一緒にいたって幸せそうな2人ではなかったし……ってまぁ、そんなことを言ったら、やれこんな子供らしくない子は見たことがないだの、氷のように冷たい子だとか、カスガイにもならないような子だとか……」
不知火が吐き捨てるように言った。
「……まったく、どいつもこいつも俺の気も知らないで好き放題言いやがって!どうせ、親子三人一緒に暮らしたいんですって涙でもこぼせば満足したんだろう。……あんたらが俺の思っていることを素直に言ってごらんって言ったから、正直に話したのに!」
不知火は、唖然としている土井垣に気がついた。そして何時の間にか激しい口調になっていた自分に驚いた。
何度か招かれ、そのつど絵に描いたように幸福そうだった土井垣の実家を思い出し、すまない気分でいっぱいになる。この人に、こんな話はすべきでなかったのに。
「すみません。こんなつまらん話して。……俺、あなたに迷惑ばかりかけている」
「いや。別に、迷惑なんて。ちょっとびっくりしただけだ。……俺のほうこそ、すまん」
「まったく……なんてこった。今年はあなたと素敵なクリスマスを過せると思っていたのに、こんな嫌なこと思い出しちまうなんて。あなたには迷惑のかけどおしだし。本当に、最低だ」
溜息をつくとテーブルに肘をつき、両手で顔を覆ってしまった。
土井垣は黙りこんだ。目の前の不知火は泣いているようでも、悲しんでいるようでもない、ただ、混乱しているように見えた。
気の利いた言葉一つ思い浮かばない自分を、土井垣は情けなく思う。苦労知らずのお坊ちゃんとはプロ入りしてからもさんざん言われてきた言葉だったが、今ほど痛感したことはなかった。不知火の悩みも苦しみも、どれも自分の想像に余る。
土井垣は溜息をついた。どれほど言葉を尽くしても、上滑りの同情めいた言葉にしかならないのではないだろうか。
でも、俺はお前のそばにいる。もう子供の時のように、一人ぼっちではないんだぞ。
「最低ではないかもしれない」
土井垣の言葉に、不知火はぼんやりと顔を上げた。
「少なくとも、もう2度とこんなことはやらかさないだろう?」
不知火が視線を合わせたが、その恐る恐るという感じに土井垣は苦笑いを浮かべた。
とたんに不知火は頭を下げる。
「あ、当たり前です!絶対しません!!ごめんなさい、本当にごめんなさい」
あまりにも深々と下げたせいで、テーブルが小さく音を立てた。深刻な雰囲気にそぐわない間の抜けた音に、土井垣の唇が緩む。
男の友人どうしならば、こんな時、まぁ気を落すな、とか言って背中でも叩いてやったりするもんだろうか。酒でも勧めて、暗いことは忘れてパァッとやろうぜ、なんて。
土井垣は立ちあがると、相変わらず頭をテーブルにくっ付けたままの、不知火の隣に座った。
「不知火……」
土井垣は深呼吸をした。
「2度とやらなきゃいいんだよ。まぁ顔を上げろ」
不知火はテーブルから頭を離したが、それでも土井垣と目を合わせることはできないらしい。
「2度とやらなきゃいい。……怒ってはいるがな。お前を嫌いには、なってないから」
言い終わると、背中に手を回した。
自分から引き寄せたのか、不知火がそうしたのか良くわからないのだが。
気がつくと、不知火を抱きしめていた。
男どうしにしては少しベタベタし過ぎているような気がするが。
でも、こいつが今一番必要としていることならば。
大切な友人のためなら、らしくないとかおかしいとか、そんなことは関係ないはずだ。
土井垣は抱きしめる腕に、力を込めた。
不知火は、じっと動かない。
俺がお前のそばにいるから。
土井垣は不知火の髪の毛に、頬をすり寄せた。
「クリスマス、土井垣さんと一緒にいていいですか?」
しばらくして不知火がおずおずと口を開けた。
「ああ。特に予定はないから」
不知火が、しがみついてきた。
きっとこいつの顔は笑っているに違いない、と土井垣は思う。見かけに寄らずロマンチックなんだな、クリスマスを一緒に過したいなんて。
恋は男をロマンチックにさせる、という言葉をふいに思い出し、土井垣は苦笑する。クリスマスは本来家族と和やかに過すものなんだぞ、と言いかけて、微笑んだ。
お前は俺とのことを、自分がとやかく言う問題じゃないとか、自分には関係ないとか、そんなふうには思っていないよな。
お前と一緒に過ごすことは、きっとクリスマスの趣旨には反していないだろう……土井垣は不知火の髪を撫でながら、生真面目に納得した。
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不知火の子供時代、思っきし捏造しまくってごめんなさい(泣) 戻 |