真夜中のおとぎ話(3)

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 七月十一日。今夜は東京ドームにて日ハム対近鉄戦が行われる。
 試合前、土井垣は特に念入りにバッティング練習を済ませた。
 なぜなら今日は彼の誕生日……おそらく試合中、東京闘将会(日ハム応援団)が自分のためにバースデーソングを演奏してくれるだろう。土井垣としてもファンのためにいいところを見せたかったのである。
 おまけに今年は贈られてくるプレゼントの数もやけに多かった。昨年がワールドカップの煽りで少なかったとしても、今年のプレゼント数は、ひょっとしたら前年度の2倍弱ぐらいはあるのではないかと思う。
 ファンが増えるのは嬉しいが……ロッカールームで汗ばんだユニフォームを着替えながら彼は顔をしかめた。今年にわかに増えたファンのほとんどが、例の雑誌と宣伝用ポスターを見た女の子に違いない。

 ポスターは、犬飼小次郎のものとほとんど同じアングルで、裸の上半身が写っているものだった。
 犬飼が胸毛も誇らしげに男臭さ満開で挑んでくるような眼差しを見る側に向けていたのに対し、土井垣は頭に手をやりうつむき加減で、無防備な裸体を見られるのが恥ずかしいとでも言いたげに、眼を伏せ、はにかんでいるように見える。

 ミスター土井垣のストイックな雰囲気がよく出ていますネ、とヒルマン監督にも好評だったらしい。資金調達のためのスポーツ選手によるヌードカレンダーやポスターがごく当たり前に存在する米国出身の監督にとって、この程度の露出は目くじらを立てるようなものではなかったのだろう。
 この『ストイックなセミヌード写真』は各界(?)に好意的に迎えられ、わざと恥ずかしげな表情やはにかんだ笑顔を写したグラビアがプチ・ブームになったほどだった。
『これ最後の、胸バーンの時の写真でしょ?』
 不知火が雑誌のグラビアを指先で弾きながら呆れたように笑った。ああいう瞬間に高校生みたいに顔をそむけたりするから、土井垣さんはいつまでたっても『いいひと』で終わってしまうんですよ。

 土井垣の、女性との付き合いは自然消滅が圧倒的に多かったが、そうでなければ一ヶ月もしないうちに一方的にフラれるのがパターンだった。
 あなたとは野球の話しかできない、というのが主な理由で、そして漏れなく、『私には勿体無いくらい、いいひと、なんですけれど』と付いてきた。

 いいひと、か……。ロッカールームを出て選手控え室に向かいながら、土井垣はため息をついた。

 撮影終了後に何も期待していなかったと言えば嘘になる。実際シャッターの響く中、二人にしかわからないようにだが、彼女はあの夜のことを匂わすような言動を繰り返し、土井垣ははっきりと、今夜も誘っていると思ったぐらいだった。
 しかし終了後は丁重なねぎらいの言葉が続き、あっさり解散と相成った。
 その後は発刊日前に重ねて御礼の電話があったきり。
 だが向こうからモーションがないにせよ、あの夜のことをちらつかせて口説けば、あるいは簡単に落とせるのかもしれない、とも思う。
 扶養家族が四人もいることに明らかに負い目を感じていて、それなりに経済力があって、結婚はコリゴリだと明言し、男性関係が公になると何かと都合の悪い女性と、後腐れのない秘密の関係を続けるのは至極容易な気もするが……。
『それが出来ないから、いいひと、なわけだ』
 口説くとか落すとか、そんな関係だけを求めているなら気楽に誘えるのだろうけど。
 あのレストランでのひと時はとても楽しかった。あんな時間をもっと分かち合えたら、と思う。もちろん深夜の寝物語にも堪らない魅力があるが、本当にそれだけではないのだ。……彼女がどういうつもりだったのかはわからないが。
 
 土井垣は椅子に座るとテーブルに頬杖をついた。ひょっとして安全パイだからと都合よく弄ばれただけなのかもしれない。やはりゴールのない遊びの恋などというものは、俺には向いていないのだと後悔の念がわいてくる。
「ハッピバースデー土井垣さん!!」
 ふいに後ろから肩に手を置かれ振り返ると、今晩先発の金村がいた。「今日誕生日なんですって?俺ぜんぜん知りませんでしたよ、練習中にでも一言いってくれればよかったのに。二十九歳、おめでとうございます!」
 こいつ、俺が件の女流写真家と寝たと知ったらさぞ羨ましがるだろうな。そう思うと何となく気分が軽くなる。
「男の二十九におめでとうもクソもないだろ……お祝いしてくれても何もでないぜ」
 だからと言ってそんな下種なことを吹聴して回るような土井垣ではない。そのあたりもあるいは計算づくだったのかと思うと、悔しい、というよりも寂しいものを感じた。しかしまぁ、それだけ信頼されているのだと思うことにする。
「二十代最後の記念すべき年じゃないですか、充分めでたいですよ。今晩は土井垣さんに勝ち星をプレゼントしますからね」
「それは嬉しいプレゼントだ。チームにとってもな」
 来年で三十か……いい加減、見合いの口を断る理由も尽きてきたなぁ。
 より野球に集中するためにもそろそろ身を固めるべきなのかもしれない、などという考えが脳裏に浮かんだ時。
 ふいに名前を呼ばれ、彼は立ち上がった。

 球団関係者が大きな板状の荷物を抱えてやってくる。
「誕生日プレゼントですよ、土井垣さん」
 プレゼントは自宅の方へ……と言いかけるのを無視して、彼は冷やかすように続けた。「今をときめく美人女流写真家先生からのですよ、やりますねぇ」
 それ、写真のパネルじゃないの、と田中が声をかけ、わらわらと選手たちが集まってきた。包みを開けないわけには行かない雰囲気に、大きさから察するに例のポスターのパネルかと思うと、土井垣は穴があったら入りたい気分だった。

 撮影は『あの夜』の三日後に行われたのだが、きっちりと一番上まで止められた彼女の丸襟カーディガンが脱ぎ捨てられた瞬間、彼の眼に飛び込んできたのは、胸の開いたタンクトップの鎖骨の下あたりにくっきりと残った小さな赤い痣……紛れもなく自分が残したキスマークだった。
 そんなときに眼をそむけたりするから『いいひと』の範疇から出られないのだ、と何も知らない不知火にからかわれたが、突然情事の名残を見せ付けられて、まったく動揺しない人間がいたら見せて欲しいものだと思う。

 そんなわけで街角であのポスターを見かけるたびに、なにやら動悸の早まる土井垣だったが、現在、控え室の好奇心は飽和状態に達していた。仕方がない、としぶしぶラッピングを破き……動きが、止まる。

 それはバッターボックスで、今まさにバットにボールが当たった瞬間を撮らえた写真だった。このスイングだとかなりいい当たりになったに違いない。現在のバッティングフォームとは細かなところで違っている点も多いが悪いフォームではない。手首の返しが特に良い。
 懐かしい、と思った。いつ頃のものだろう?

「おい、てっきり例のポスターかと……うん?それ、お前だよな土井垣……あれ?」
「白地に緑のユニフォーム……緑のヘルメットに赤字でMって、明訓のユニじゃないか!!」
 一体いつのだ?と聞かれ、同封の手紙に眼を通しながら、高二の夏の地区予選です、と答えた。

 MEIKUN……胸の文字を眺めていると、真夏の保土ヶ谷球場が脳裏によみがえってくる。これはきっとあの場外ホームランの打席に違いない。その夏も、秋季大会も、結局ベストエイト止まりで甲子園には届かなかったが。

 土井垣はギャラリーによく見えるようパネルを裏返しにしてかざすと、自分は手紙の文面を読み進めた。

 ――パネルは土井垣さんが高校二年の、夏の地区予選で撮影したものです。新たに焼き増しして制作しました。……おかげさまで金賞をいただくことができた、思いで深い作品です。……本当に今の私がいるのは、全てあなたのおかげと言ってもいいくらい……十一日は子供たちを連れてドームへ応援に行く予定……では、土井垣さん、これからも頑張ってくださいませ。さようなら。……本当に申し訳ないのですが、最後にやっぱりこう書かせてください。……土井垣くん、土井垣キャプテン、これからも頑張ってね。(私にとっては、今でもあなたは土井垣くんなのです)――

 このパネル、不知火が見たら絶対、機嫌悪くしますよ、と神山が笑っている。
「無敗明訓、常勝明訓でしたもんね、このユニには恨み重なるんじゃないですか。明訓のせいで一度も甲子園に行けなかったんだよな。……土井垣さん?土井垣さん!」
 パネル裏の左隅に書かれた文字に、彼はくぎ付けになっていた。手紙を読んで混乱した頭は、おかげですっきり腑に落ちたが、今は信じられない思いで一杯だった。
「魔物だ」
「え?」 
「いや、その……サインボール二つ用意したほうがいいんだろうな。兄弟二人に一つなんて取り合いになるんだろ?全く同じもののほうがいいんだっけ」
 俺、年の近い同性の兄弟がいないからよくわからんのだ、と言いながら、土井垣の頭の中はぜんぜん違うことを考えていた。

 ……確か。北みたいな瓶底メガネをかけた夏子くん、といった感じで……殿馬のように鬱陶しい髪をぶっといお下げにした、さえない女の子だったのに……。
『女は魔物だ』
 どこがどう変わればあんなに変身できるんだ。あの肉はどこへ消えた?胸か?
『まぁいい。そんなことより』
 土井垣の口元に笑みが浮かぶ。
 今度電話をして、パネルのお礼だと食事にでも誘ってみよう。きっと楽しい食事になるだろう、話のネタはいくらでもある……一体、俺のどんな姿を隠し撮りにしてくれたのか興味津々だよ。そのままホテルに直行するような雰囲気に絶対なりようがないのだけは確実だ。……思えば憧れの王子さまとロマンティックな一夜を過ごすには、彼女にはあんなやり方しかなかったのかもしれない。
 そうだ、どうやって変身したのかも聞いてみないと。女性というのも案外、面白い生き物なのかもな。
 今日の試合ではせいぜい格好のいいところを見せ付けてやろう、と彼はスタンドを思い浮かべた。彼女がまた一眼レフを構えたくなるような、そんなプレーを。
 ……土井垣は見合いのことなど、きれいさっぱり忘れてしまった。

 もっと間近でじっくり見せてくれ、とのリクエストに、土井垣はパネルを渡す。
 手放す前に応援ありがとうと小声でつぶやき、もう一度、裏側を探した。
 左隅に小さな文字の列。

『私立中央高校第三学年在学中、ニコン一眼レフFMU/Tにて撮影』
 





終り



 


金村さんのプレゼント云々は草野さまの作品にインスパイアされました(勝手にすみません)。




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