■ある朝





 特徴的な機械の唸る音に眠りから覚めた。
 シェーバーの音。
 目を開けると、あいつが起き抜けの不機嫌な目つきで、嬉しそうに唇を吊り上げてヒゲを剃っている。ベッドに横たわったまま。
「最近朝は寒いだろ。洗面所で頑張ってると肩が冷える」
 俺の視線に気づくと唇が下がり、いつもの朝のあいつの顔が答えた。何度も聞いた台詞。
 

―別に言い訳をしろとは言ってないぜ。


 再び刃の回転する音。
 あいつはまた機嫌の良さそうな口元になって、顎の下にシェーバーを当てている。
 相変わらず不機嫌な目つきで。別段嬉しいわけじゃない、たんに面の皮を伸ばしているだけなのだが、男が顎の下のヒゲを剃る時はそんなご機嫌な顔つきになるだけで。俺だってそんな顔しているのだろう、洗面所の鏡の前では。
 あいつはしかめ面をすると、シェーバーの刃を外し、本体をベッドの下へ振り下ろす。
 乾いた打撃音は、くず入れへ、本体内に溜まったヒゲを落しているのだろう。


―よく伸びるもんだな。


 まだらに残っているあいつの顔を眺めながら言うと、不意に右手が伸びてきて、俺の顎に触れた。
「お前も伸びてるぜ。もう週一回剃ればOK、な訳ないか」


―当たり前だろ、いつの話だ。……撫でまわすなって。


 刃を元のようにつけなおすと、再び機械が唸リ出す。
 あいつがまた嬉しそうな顔になる。


―鏡もないのに剃り残したりしないのか。


「撫でりゃわかるさ」
 今度は鼻の下を伸ばしている。
 間違ってモミアゲを剃り落としたりしないか面白がって観察する。枕の上で片肘ついて。


―おい、鼻毛が伸びてるぞ。


「うるせぇ、ジロジロ見んなよ」
 あいつがふざけて俺の頭にシェーバーを当てる真似をした。マジで当てやがった。刃がジリッと音を立てる。
 奪い取って、今度は俺が自分のヒゲを剃る。いいシェーバー使ってんな。そりゃま、俺よりはヒゲ歴長いし日に何度か世話になってるみたいだしな、ヒゲの濃いやつだから。
「濃くなったなぁ、お前」
 今度はあいつが俺を観察している。当たり前だろ、幾つになったと思ってんだ。


―スネ毛も胸毛も伸び放題さ、お前ほどじゃないがな。……こんなむさい男とよく一つベッドに入れるもんだ。


「お前のは胸毛とは言わねえよ」
 あいつが俺の胸の毛を引っ張った。切っても切っても伸びてくる厄介なやつを。あいつの胸毛みたいのだったら放っておくのに。


―ばか、痛いだろ。


 モミアゲにシェーバーを当てるフリをすると、あいつは慌てて逃げていった。
 俺はまたヒゲ剃りに集中する。顎や頬を撫でまわして、こんなもんかな?
「顎の下、剃り残してるぜ」
 俺が答える前に、あいつはシェーバーを手に取った。


―はいはい、わかったよ。ヘンなところ剃るんじゃないぞ。


 大人しく枕に頭をのせるとあいつの視線が俺の顔を舐める。時々ジリッ、チッ、とシェーバーの音。
 指先が俺の口元を押えたり、顔の向きを変えたさせたり。何故か楽しそうな顔つきで。
「初めて合った頃は女みたいな肌だと思った」
 あいつの手が剃り跡を撫でた。


―何時までもそんな肌でいられるわけないだろ。俺は男だぜ……そんな顔のほうがよかったのか?


「ばーろー。お前の面が好きなんじゃねぇ。……こうやってヒゲを剃れるなんて、十年?長い付き合いになったもんだ」
 手を止めると小さく笑った。
 長い。確かに長い付き合いだ。確かに。
 あいつと過ごす気だるい朝は、残念ながら居心地が良くて。何時までも続くはずがないのに、思いのほか続いてしまった。
 何時までも、続くはずのない時間。


―プロ入りしてからも、もう十年くらいなんだな。……メジャーには興味あるのか?俺はキャッチャーだから、なんだけど。


 何時までも続くはずはない。変化の時は否応無しに。
 あいつは俺から目を逸らし顔を上げた。
 何も答えず、ただ、遠くを見る眼差しで。

 


 

 夢を追う目つきだった。

 
 
 
 
 
 
(END)




  

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