「土井垣さん水臭いですよ。どうして俺に言ってくれなかったんですか!」
土井垣のマンション。住人の病気を物語るかのように、いつもキチンと整頓された室内は、少し乱れていた。キッチンの流しには食器類が溜まり、室内では脱ぎ捨てられた洋服がソファの上に置き去りになっている。
「俺の風邪が伝染ったんでしょう?…責任取ります。看病させてください」
ベッドに横たわる土井垣のかたわらには、心配そうな不知火がいた。入院の後、大事をとって2日ほど休んでいた不知火は、土井垣が風邪で先発メンバーから外れていたことを知らなかった。
「そんなに心配するな…もう熱も下がってきたし、明日明後日には復帰できるさ」そう言いながらもまだけだるそうな土井垣である。
「何かして欲しいことはありませんか?食べたいものとか…ああ、サーティワンでしたっけ?」
不知火の真剣な眼差しに、これは何かしてもらわなければ収まらないだろうと土井垣は思った。「よく覚えているな…」
そんなわけでアイスクリームの銘柄を告げると、不知火は飼い主に捧っきれを投げられた犬のように、いそいそと買い物に出かけていった。シッポがついていたら、ちぎれんばかりに振っていたに違いない。
扉が閉まり鍵のかかる音を聞きながら、土井垣は苦笑した。…人間変われば変わるものだな。あの高校時代のとんがったところが見る影もない。あの頃は俺もピッチャーに恵まれているとは言えなかったが(やっと入部してきた里中はあんな具合だったし)、あいつもキャッチャーに恵まれていなかったのだろうか。何にしても、バッテリーを組んでいて本当に気持ちのいい相手だ。山田にとっての里中もそうだったのだろうか…まぁ、里中はホントに山田にベタ惚れのようだが…。
その方面には明るいとはいえない土井垣にもそれとわかる里中の「恋する眼差し」を思い浮かべると、自然とこの前の、不知火のことが思い出された。…どうやら自分がしでかした事は覚えていないようだ…。
ほっと胸を撫で下ろすと同じに、何処となしか残念がっている自分に驚く。
ばかな。俺はあいつにそんな感情は持っていないぞ。あいつだって…どちらかというと他人に距離を持って付き合うタイプだったのが、俺には近付くことを許して、そんな付き合い方に馴れていなくて、ちょっとヘンな具合になっているだけだろう。麻疹かなんかみたいなもんさ。…真剣に惚れた女でもできればじき忘れる。
…何故だか胸の奥が痛んだ。おかしいな。眼を閉じて額に手をやる。熱い手。まだ微熱の残る額。寝ていればどうということはないが、起き上がるにはまだ少しふらつく。
普段体を動かす事が主で大人しくじっとしていることに馴れていない土井垣は、ベッドの中の自分を持て余していた。眼がつかれるのでTVも読書もままならない。回復してきた体は運動を要求し始めているようだが、ここで調子に乗って無理をしては元も子もないだろう。溜息とともにもう見飽きた天井を眺める。
唇がカサつくのが気になって指で触れてみた。少しひっかかる。薬用リップは薬などの入っている引出しの中だが、わざわざ取りに行くには、けだるかった。
荒れた唇は、手持ち無沙汰な指先の刺激になった。しばらくぼんやり撫でまわしていると、…くちづけを思い出した。思いがけずに巧みだったキス。
「…………」眼を閉じて、感触を思い浮かべた。一体どこで覚えたんだろう、あんなキス。
持て余した体がじんわり熱くなった。暇なもう片方の手がうろつこうとするのを感じて、土井垣は慌てて身を硬くした。まったく。熱のせいだ。
暇だ。退屈だ。
ぼんやりした頭、回復してきた体。
土井垣は寝返りを打った。
不知火。早く帰ってこいよ。…退屈すぎて、つまらんことをしてしまいそうだ。あいつ何処まで行ったんだろう?いっそ…いや、妙なところを踏み込まれても困るし。…ベッドの下にその手の雑誌があったな。あいつのキスを思い出したからじゃないぞ。…思い出したからじゃない、思い出すな…。
窓の外は快晴だったがカーテンの閉められた室内はほの暗かった。体温の移ったベッドの中は人肌で心地よく、自然と瞼が重くなる。
柔らかい枕に顔を埋める。…あいつ、もっと近くに住んでいればいいのに。同じマンションの隣の部屋とかだったら、何かと都合がいいな。最近、オフはいつも一緒にいるし。バッテリーはあうんの呼吸が理想だから、いつもつるんでいるのは、むしろいいことだよな…。
いつの間にか土井垣は試合終了後、マンションに帰ってきた自分になっていた。ドアを開けると電気が点いていて、ああそうだ、不知火は今日、休養日だったんだ……一緒に食卓を囲む二人。暖かい笑顔と満ち足りた気分…。
…ええ?ああ…なんだ夢か…寝ぼけているらしい…。
眼を開けると見馴れた天井が見える。土井垣は寝返りをうった。
…全くおかしな夢だ…何で男なんかと住まにゃならんのだ…でも…あいつと…ずっと…一緒に…いられたら…いいのに…………。
土井垣はしばらく転々としていたが、やがて静かになり、規則的な寝息が聞えてきた。
部屋はひっそりと静まりかえった。
ドアの向こうで物音がした。しかし土井垣は目覚めない。
鍵が回る。
静けさの支配する室内を、金属音が破った。
「ただいま!」
買い物袋をガサガサいわせながら、嬉しがりの犬が飼い主の元に戻ってきた。相変わらず見えないシッポを振りちぎりながら、靴を脱ぐのももどかしげに。
「買ってきましたよ、土井垣さん!ちょっと買いすぎたかなぁ。…土井垣さん?」
返事が戻ってこないので、足元でくるくる回っていた子犬が叱られたような表情になる。…眠ってしまったのか…。
冷凍庫にアイスクリームの大箱を押し込むと、忍び足で枕元に向かった。
少し寝乱れたベッドの中で土井垣は壁際を向いていて、クルーカットの後頭部しか見えない。
掛け布団が静かに上下しているのが、眠っているのを暗示していた。不知火はのぞき込むと、仕方がないというように微笑みを浮かべ、布団をきちんと掛け直すと立ちあがった。
流しに溜まっている食器を片付けようと腕まくりをする。父子家庭出身の彼には手馴れた家事だ。
不知火がキッチンへ行こうとした時だった。
ふいに土井垣が寝返りを打ち、こちらを向いた。
「…………」不知火は立ち止まった。
眠っている。微かに開いた唇から、まだ少し熱のある息が漏れていた。
むき出しの形のいい知的な額。つんと尖った鼻や上品な口元は、そのたくましい首や肩とは不釣合いなはずなのに…この人に限っていえば、ぜんぜん違和感を感じさせない。
不知火はベッドサイドにしゃがみ込むと、その整った顔をさらに眺めた。
煙ったように見える薄い眉。おしゃれにちっとも興味のない土井垣さん…いいえ、あなたはそのままで充分素敵です、世間の流行なんかあなたには関係ないんです。
眉に触れ、なぞってみる。柔らかい産毛のような眉。額はまだ少し、熱い。
こんなにも無防備な土井垣を、これほど間近で観察する機会などなかった。今まではすぐに気が高ぶってしまったから…駄目だな、俺は。こんなだから嫌がられるのかもしれない。…もっと余裕を持たなきゃ。
胸が高鳴ってくるのを、この人は病気なのだから、と押え込もうとする。発情(さか)ってるんじゃあるまいし、俺は、…やりたいんじゃない。この人が、好きなんだ。…そっと指を離した。
不知火はもう一度だけ、土井垣の顔を眺めたら立ちあがって食器を片付けよう、と思った。それが今この人にとって一番役に立つ事だろう。
でも。熱い吐息の漏れる唇で視線が止まる。ほんの少しだけ。少しだけ、だから。
顔を見つめ、唇を寄せた。
熱っぽい唇。まだ具合が悪いから。離すと先ほどの行為を確かめるように、もう一度唇に眼をやった。
少しだけ開いている。白い前歯と紅い舌が微かに見えた。…土井垣さん、すみません。もう一回、ほんの少しだけ。
唇を寄せると不知火は、小さな隙間に舌の先を入れ、硬い前歯を探った。
本当にそれだけで。
満足して離れるつもりだった。
のに。
土井垣の唇が答えるように微かに開いた。
舌をもっとつき入れると、抵抗無く奥まで入った。口の内部を探る。土井垣の喉仏がごくりと動いたのを感じた。
さらに唇を押し付け、ベッドに半身を乗せた。自分が夢中になっていくのがわかる。…駄目だ、この人は病気なんだ、不知火は熱くなっていく体を、なんとか押え込もうとした。この人が、今一番してい欲しいことはこんなことでは…。
土井垣の喉が鳴り、顎を逸らした。…土井垣さん…駄目です。眠っているのじゃないのですか?本当は起きているのですか?俺…本気になってしまいますよ…。
唇を押し当てたまま、土井垣の隣に横たわった。指先が、土井垣の唾液を飲み込むたびに上下する喉を滑って、鎖骨の窪みをなぞる。開襟のパジャマが邪魔になり、震える指先で不器用にボタンを外すと、汗をかいてアンダーシャツを脱ぎ捨てていたのか、直に裸の胸に触れることができた。
厚い胸板の上をしばらくさまよった後、突起を指で探る。軽く押え込むように指をまわすと、はっきり、硬くなるのがわかった。
不知火は唇を離した。指の動きは続けたままで、不安げに、しかし反応を測るように、まだ眠っている土井垣を見つめた。瞼は閉じられたままだが、突然、眉間にしわがよる。口からは深い溜息。…不知火の目つきが暗くなった。
すみません、土井垣さん。あなたは病気なのに。でも……。
不知火は自分のシャツを脱ぎながら土井垣に覆い被さると、パジャマの前をはだけ、もう片方の胸に舌を這わせた。こちらはまだ柔らかく、はっきりしない。舌先で探り出し、軽く甘噛みすると、土井垣は少し背中を反らした。土井垣の少し熱い体を裸の胸に感じ、不知火の呼吸が速まる。空いた手で引き締まった腹筋をなぞり、ゆったりとしたパジャマのズボンに手をかけ…布地越しにもそれとわかる熱い塊に触れる。しばらくズボンの上で形を確かめるように撫でまわすと、ますます硬く、熱くなった。
ゴムの隙間から手を差し入れる。臍の窪みとざらついた体毛の感触のすぐ下に、つるりとした熱い先端があった。すでに潤んできている割れ目のような部分を親指の腹で擦る。
横たわる体に緊張が走り、小さなうめき声が、頭の方で聞えた。声のほうへ顔を向けると、土井垣が苦しそうに顎をのけぞらしていた。
見つめながら、もう一度先端を擦る。目覚めさせないようにそっと、しかしさっきよりも強く。土井垣の眉間のしわが更に深いものになる。邪魔な下着をずらすと、また擦った。何度も何度も、ぬるぬるになっても。
「!…!…」
擦る度に土井垣は頭を振った。
感じているんですね、土井垣さん。もっと気持ちよくしてあげます…目が覚めても止められないぐらいに。不知火はためらい勝ちに、そのぬめる熱い先端に唇を触れた後、思いきって口に含んだ。
「ぐっ…」
土井垣のくぐもったような声が聞える。
どうすればいいのか勝手がわからないけど。たぶん俺がされたら気持ちのいいことを、あなたにすれば。くびれたあたりに舌を絡め、吸い上げながら頭を上下した。
「はぁっ…う…ぐぅっ…」
土井垣の手が自分の髪の毛を掻きむしるの感じ、不知火はますます唇に力を込めた。奉仕するのもいいもんだな…きつくなってきた自分のズボンを脱ぎ捨てる。
土井垣の脚に自分を擦りつけながら、舌先の愛撫を繰り返す。扱く度に腹筋や脚が強張るのを感じた。もう自分のも擦り付けるだけでは、収まらない。ぬるぬるになっているのが、自分でもわかる。
土井垣さん、俺…、あなたと。どうしたらいいのかよくわからないけど…。
滴り落ちる唾液を利用して指先を湿らせた後、裏筋に指を這わせ、…窪みに人差し指をあてがった。ためらい勝ちに押し込んでみる。…狭い湿った中に指の先端が入るのを感じた。
そろそろと奥に進ませてみる。とても窮屈で。こんなところで本当にできるんだろうか。不知火がそう思った時、
「うあっ」
口の中で土井垣が少し萎えたのを感じた。
驚いて唇を離し、土井垣の顔を見る。苦痛に顔を歪む表情に、慌てて体を起こした時、体内の指がわずかに曲がった。
「!!」
電気でも走ったかのように土井垣の体が仰け反った。表情ははるかにゆるんでいたが、うろたえた不知火は気づかずに、一気に指を引き抜こうとした。
「ま、待て…」土井垣がぼんやりと薄目を開けた。
抜かないでくれ。
土井垣の言葉に、不知火は体の動きを止めた。