Retro Song





―― わがままは 男の罪
   それを許さないのは 女の罪 ――

 
「どうした、守?」
 不知火がふいに顔を上げたので。土井垣はサラダ鉢をつつく箸を止めた。

 
―― 若かった 何もかもが ――

 
「……土井垣さん、この歌、知ってます?」
 メロディに聞き覚えはあったのだけど。歌詞をまともに聴いたのは初めてだった。

「なんだっけな?古い歌だろ?タイトルは……、うーんなんだっけ」

 居酒屋は騒がしくて、歌詞は上手く聞き取れなかった。

「わがままは男の罪……それを許さないのは女の罪……、か」
 箸は止まったままで。「土井垣さん、どう思います?」

「どうって」
 きょとんとした顔に、聞くだけ無駄だったと不知火は苦笑いした。

 
 
 
―― もう捨てたかい ――
 
 始まりは高2の春で。高3の秋に、終った。

『わがままは男の罪』 今でも、身勝手だった自分が悪かったと思っている。だから。
 別れの言葉に、『そうか、……わかった』と答えたのだった。

 
 
 土井垣はまだ考え込んでいるのか、もぐもぐやりながら上の空のようだ。
 この人はラブソングをどんな耳で聞いているのだろう。不知火はふと可笑しくなる。
 かつて、この人の率いる明訓を倒そうと、躍起になっていた自分がいた。そしてその時……彼女とも付き合っていたんだ。
 でも今土井垣さんに、どんな子だった?と聞かれたら、答える術はない。
 1年の時は隣のクラスで選択科目が同じだった。世間話はしていた、名前を知っているに過ぎなかった子。 
 春休みに入る前に……付き合ってくれと言われた。角膜移植手術が上手くいって、俺も浮かれ気分だったんだろう。何も気にせずに素顔を晒せるのは久しぶりだったし。人並みに彼女くらい欲しい、と思っていたのは事実だった。 
 だから彼女の告白はグッドタイミングだった。 
 同じクラスになることはなかったけど1年間と半年以上、付き合っていたのに。 
 彼女は……どんな子だったのだろう。チームメイトのことは好きな食べ物から女の好みまで覚えているのに彼女のことは……思い出せない。いや、そもそもどれくらい知っていたのか。

 
―― 抱き合った 夏の昼下がり ――

 
「土井垣さん。初めての相手、って覚えていますか?」
 突然の不知火の問いかけに、サラダが喉につかえたのか土井垣は目を白黒させた。
「は、初めてって、その……初、初体験のことか?」
 何うろたえているんだ、この人は。……そんな土井垣を、不知火は面白そうに眺める。
「お、覚えているかって……。覚えているんじゃないかな、普通?お前、忘れたのか?」

 
―― わがままは 男の罪 
   それを許さないのは 女の罪 ――

 
「そういうことは……覚えているのにな」
 結構可愛い子だった。着痩せして見えるタイプで。なんか得した気分になったのを覚えている。

 
―― 白く浮かんだ 水着の跡
   指先で なぞれば 雷の音 ―― 

 
 結局甲子園には1度も行けなかったのだから、夏に遊ぶ時間だって作ろうと思えば出来ただろうに。 
 水着の跡は知ってるのに、水着姿は写真しか知らない。
 彼女を遊びに連れていったことなんかあったんだろうか。付き合い初めの頃に遊園地とかで、デートの真似事みたいなのはしたっけ。
 しかし、俺はとにかく忙しかった。兼任監督の頃もあったし。今思えば心に余裕がなかったんだろう。だから勝てなかったのかもしれない……。
 だが彼女は、もっと逢いたいとか遊びに行きたいとか、そんなことは何も言わなかった。
 合宿が始まって、3ヵ月ぐらい放ったらかしにしていても、しばらく振りにあった時は笑顔だった。
 野球をしている姿が好きだからって、いつも言っていた。
 
 3年の春になって俺たちはますます時間がなくなった。俺は甲子園へのタイムリミットに焦りまくっていたし、彼女は進学クラスに入ったから。
 

―― 窓辺から 顔を突き出して
   虹を 探してた 君を覚えてる ――

 
 だからたまのデートはいつも俺の部屋だった。いや、もう2年の半ば頃からそんなだったかな。お袋はいないし、親父は仕事で遅いし、……友達に羨ましがれたものだった。
 そういうのって、女の子にしたら、あまり嬉しくないだろうとはわかっていた。でも。本当に逢う時間がなかったから。 
 逢う時はできるだけ一緒にいたかったし、邪魔が入るのは嫌だったし。
 1分1秒も無駄にしたくなかったんだ。……彼女も逢えるだけで嬉しいって言ってくれていた。
 でもいつも、申し訳ないと思っていた。高3の夏が終ったら、と思っていた。彼女と、もっと一緒にいようと。

 
 
 
 
「わがままは男の罪ってのはわかるが、許さないのは女の罪ってのは、そりゃ、男のわがままだな」 
 土井垣は言い終わると、ホッケを解体し始める。
「おい。……食ってるか、不知火?」
 不知火は豆腐を口にしたが、味はわからなかった。

 
 
 
 
 ……俺の高3の夏は、結局1、2年の時と変わらなかった。7月中には3年間の全てが終ってしまったのだ。
 でも、彼女は逆に補習とかでどんどん忙しくなった。俺は寂しかったがお互い様だと思っていた。今まで寂しかったのは彼女のほうだったのだから。
 あれは……8月だったけ?彼女が俺の部屋に来ていた。どこかに行こうかって誘ったが、夕方から塾だから、って。
 
 暑い日だったが、ぜんぜん、気にならなかった。
 
 ……しばらくして……。彼女があんまり静かすぎるから、顔を覗きこんだ。
 じっと天井を見つめていた。プロにいくんだよね、と尋ねられた。
 俺が、ああ、と答えた時。天井に向けられてた瞳から涙がこぼれ落ちた。彼女は声もたてずに……泣いていた。自分の嫉妬深さが嫌だと言って。
 
 馬鹿だな、プロに行ったって浮気なんかしない。
 
 俺が抱き寄せたら、彼女は微笑んで、そんなんじゃない、山田や殿馬に嫉妬していると言った。
 何故そんなことを言うのか、俺にはわからなかった。
 俺ホモじゃないぞ……彼女は声をあげて笑った。

 
 最近、野球の話してくれないね。
 そんな話……君にはつまらないよ。
 私に話しても何にもならないから?守の、一番の関心事は野球なのに……私は入れてくれないの?

 
 野球と君とは関係ないだろ。……俺のそばで、いつもニコニコしてくれてたら、それでいいんだ。君はそんなこと、何も考えなくていいから。
 

―― わがままは 男の罪 ――

 
 誰でもできるね、そばで笑ってるだけでいいなら。私よりもっと上手な人が、いるかもしれない。

 
―― それを許さないのは 女の罪 ――

 
 彼女が何を言いたいのか、わからなかった。何を言ってあげればよかったのかも。ただがむしゃらに抱きしめた、それでわかってくれると思った。
 めったに見せない泣き顔に気が高ぶって、彼女の腕が力なく人形のように垂れ下がったままであることの意味に、その時の俺はまったく気づかなかった。 

 
 
 
 
「おい、守」土井垣はホッケをもぐもぐやっている。「豆腐、ぐちゃぐちゃだぞ」
 箸使いは、むしろ上手なヤツなのに。……不思議そうな顔で、グラスをあおる。

 
 
 
―― もつれた糸を 引きちぎるように
    突然二人は 他人になった ――

 
 突然の別れ話に、本当は頭が真っ白になっていた。ただいつも、デートとか恋人らしいことが出来なくてすまない、と思っていたから。だから。
『そうか、……わかった』
 その日はずっと、上の空で過した。

 
 彼女のことを嫌いなったわけではない。彼女だって俺のことを嫌いになったわけじゃないと、彼女の友達が教えてくれた。でも、俺たちはもう、付き合う以前の関係にさえ戻れなかった。
 別に隠れてこっそり付き合っていたわけではないから、俺たちのことは誰もが知っていた。
 そんなわけで、それからは当事者より、むしろ周囲のほうが熱心で。
 全く知らない人間同士のように、視線さえ交わそうとしない俺たちを心配して、色々アドバイスをくれたり、頼みもしないのに彼女の近況とか教えてくれた。
 
 チームメイトには、もっと話し合えと言われた。別に男ができたわけじゃないんだし、どうせ訳のわからん理由なんだろ?女ってヘンなこと気にするからなぁ。適当になだめすかして、とにかく謝ってさ……野球やるのも君の喜ぶ顔が見たいから、とでも言っときゃいいんだよ。
 ……そんな嘘は、彼女には言えなかった。

 彼女も色々言われていたらしい。俺の前で聞こえよがしに、誰かが彼女に話しかけていた。馬鹿ね、別に不知火くんが浮気したわけでもないのに…あれほど野球に没頭してるなら、よその女にちょっかい出す暇もないから返って好都合じゃない。野球と競争してもしょうがないでしょう?男ってそんなもんよ、ヨクガンバッタワネ、って頭ヨシヨシしてあげていればいいの!
 彼女は俺のほうを見ようともせずに、少し寂しそうに微笑んでいるだけだった。

 
 お互いが少しずつ歩みよればよかったのかもしれない。ほんの少し、嘘をついて。相手にも、自分自身にも。
 だけど。

 
―― 僕らには できなかった
   大人の恋は どうしても ――

 
 
 
 
「……スプーンもらおうか?」
 ふざけたような声。
 ぼんやりしていた不知火は、はっとして小鉢に目を落した。「あれ?……」
「さっきから突き崩すばっかりでさ」
 土井垣が面白そうに笑う。
 

 
 
―― わがままは 男の罪
   それを許さないのは 女の罪 ――

 
 
 結局、卒業式の日にさえ、言葉を交わすことなく別れた。人づてにどこか遠くの大学に進学したと聞いた。……それからは、わからない。

 彼女は今、どうしているのだろう。

 
 
―― 若かった 何もかもが ――

  

「あの、スニーカーはもう捨てたかい……うーん、タイトル、この辺まで出てるんだけどな」
 土井垣は喉元に手を当てながら、「なんか、思い出の曲なのか?」

「いいえ」
 崩れた豆腐を箸で器用にすくいながら、もう、いつもの不知火に戻っていた。
「歌詞をちゃんと聞いたのは、今日が初めてですよ」


   
 
END



 ドリームびしばし入ってますな…
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どうぞお目こぼし下さいませ(切実)。





 

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