(3)
 すっかりへこまされ、借りてきた猫のように大人しくなった院長を残し、ミュゼは病室に急いだ。見知った患者や職員たちと挨拶を交わすうち、本来の優しい自分を取り戻す。
 目的の病室の前につくと、彼女は低い声で静かにささやいた。「ランデル。ランデル、起きてる?」
 くぐもってはいたが穏やかな返事が返ってきたので、刺激を避けるために分厚いカーテンの下ろされた、薄暗い病室に足を踏み入れる。
「……あんたか」
ベッドには、痩せこけた大男が横たわっていた。ミュゼを認めると起き上がろうとしたが、自分で自分の体が制御できないのか、ひどくぎこちない。
「また痩せたわね」
「食事が、どうしても、食べられなくて」
頬がひどくこけていたが、無精ひげは浮き出てていない。この患者、ランデル・オーランドはやっと十七歳になったばかりだった。
「無理しないで。寝ていなさい」
「ごめん」
体が小刻みに震えているせいで、ベッドが不愉快な音をたてていた。
「よく眠れている?」
「…………」
「相変わらず怖い夢をみるの? 思い出さないで、はい、か、いいえ、だけで答えて」
「はい。夢、なのか、な。……わから、ない」
 この子の塹壕戦はまだ終わっていないのだ、とミュゼはまだあどけなさの残るやつれ果てた顔を直視できず目を伏せた。
 ほとんど新兵の域を出ていないのに最も過酷な戦場に送り出された少年。全滅と言われた部隊で、わずかに生き残った一人だった。
 壕に手榴弾が投げ込まれたのだろう、少年は仲間のバラバラになった肉片に埋もれるような状態で発見された。両足を骨折し、兵士の屍骸を喰らって肥え太ったネズミに手足や顔を少々齧られて。
「夢よ。もう終わったの」
「終わった。はず、なのに」
戦況は激しく、救出は難航した。というより全滅したと思われていて救出部隊はおざなりに偵察しただけだったのだ。
 この大きな少年がどれほどの期間、地獄の穴ような塹壕に取り残され、身動きも取れぬままネズミの大群と戦っていたのか正確にはわからない。
 兵士の死体の腐敗具合から見て、一週間以上は経過しているだろうとのことだった。
「俺……どう、なるん、だろ」
完治するかもわからない重度のシェルショック。少しの刺激で発作に見舞われ、満足に歩く事すら出来ない。始終痙攣する唇から発せられる言葉は、ひどく聞き取り辛かった。
 身よりは、と聞いても少年は「帰れない」と繰り返すばかりで、オーランドという苗字から察するに、あたたかく迎えてくれる故郷があるとも思えない。
「俺。どうして、こんなに、弱いんだろ。みんな……頑張って、戦ってる、のに」少年の穏やかな優しい眼に涙が浮かんだ。「体は、なんともない、って。……お前の、心が、弱虫だ、って。だから、治らない、って」
「ランデル」ミュゼは骨の浮き出た大きな手の甲に自分の手を重ねた。
「あなた強くなりたい?」いぶかしげに見上げる少年の瞳には、女の白い顔が映っている。「強くなりたい、ランデル? 怖さなんか感じなくなるぐらい強く」
「……死ぬのが、怖くなくなる、ぐらい、か?」
詳しく説明しようかと思ったが、ミュゼはそのまま言葉を引き継ぐことにした。彼に決心させるために。
「ええ。怖くなくなるわ」
「怪我、することも?」
「え、ええ、そうよ」
 機関の、兵士から恐怖を取り除くという研究は少年のようなシェルショック患者には福音のようだと思っていたが、死の恐怖も痛みも感じない兵士というのは、考えてみれば何やら不気味で禍々しい。しかし、このまま彼を放っておけるだろうか?
「いいな。……俺、強く、なりたい。怖いのは、嫌だ、から」
望みどおりの答えを聞いてミュゼは微笑んだ。
 それとも唇の端を吊り上げて笑ったのは、あの幼い少女だったのだろうか?
「そうね、強くなりましょう。……いらっしゃい、カウプラン機関へ」


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ぽしゃったもん堂々と載せんなよ、とお叱りを受けそうですが、まぁ捏造SSサイトでもあるので(許してください)。
ブルーランタンのおかげで現在の伍長はネズミもカミナリも平気ですw
5巻までと書きましたが、伍長の描写はかなり6巻も入ってます。
2007/1/16(Tue)考察SS

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