ヤマ→イル

愛人と運転手

「イルカさん、こんばんわ」

ベンツの窓を覗き込むようにして、ヤマトがほほ笑んでいる。
色白い肌と闇に溶け込む黒の髪が夜の街灯に照らされて橙色に染まっている。照れているように見えるのは、目の錯覚だろう。そう思いたい。

視線で応えをすると、ヤマトはそれはもう子犬のように嬉しそうに笑い、いそいそと助手席に座ってきた。
相変わらず人懐こい男だ。これで二十歳を超えているというのだから、驚きだろう。

「イルカさん、今日は・・・」
「はい」

何か言いかけたの言葉をさえぎるようにして、クリーニングのカバーに守られた上等のスーツを手渡すと、ヤマトは傷ついた表情を一瞬見せて、諦めたように肩を落とし、スーツを受け取った。
そんなに残念そうな顔をするな。まるで子供を仕方なくしかりつけている親のような心境になるだろ。

ヤマトがカバーのファスナーを下ろす音を聞いて、車のエンジンをかける。
不意に見た窓の外にいた教師風の男からにらまれる。
はいはい、今どけますよー、すいませんね、長居しちゃって。

都内でも有名な部類に入る高級ホテルに助手席の男を送るために、路肩に止めていた車を滑らすように動かしはじめる。
波のように並んだテールランプが道を赤く染めているのを、目をすぼめてみた。

「スミレさん、また新しいの買ったんですね」
「ああ、新しいモノ好きなヒトですからね。昔からかわりませんよ」

赤信号で止まった所で、ヤマトは苦笑い混じりに囁くように言った。
仕立ての良いスーツに袖を通している。
シャツの隙間から覗いた肌は張りがあって白い。
ラフな格好だった服装が、スーツに変わっただけで年よりも老けて見える。
服装は人を一癖も二癖も変えるというけれど、ヤマトほど服装に左右される男を間近に見ているとあながち嘘でもないんだろうと思えた。

「じゃあ、僕にはいつ、飽きてくれるんだろう・・・」

隣でヤマトがささやくように言って、それをワザと聞き流した。
歩行者用の信号が点滅してる。もうそろそろ、信号が変わるか、と油断しいた所に、不意に助手席側から肩を掴まれて、強引に振り向かされた。

「ちょ、ヤマトさん!やめてください・・・っ」
「イルカさん・・・」

間近に見た黒く奥深い目が、きれいだ。
そんなことに毎回気を殺がれて、気づいた時には口がふさがれている。
自分の学習能力のなさに、ほとほと厭きれるよ、まったく。

ヤマトが我がご主人のスミレ様に見染められたのは、今から半年ほど前だ。夜の繁華街を徘徊していた、というか、サークルのコンパで仲間に引きずりまわされていた彼を見初めたご主人さまは、出会ったばかりの彼をそのままホテルに連れ込んで食った。

初めて彼女の旦那が築きあげた会社に入社した時から、スミレ様の付き人として仕えて来て、運転手をやっていた俺は、戸惑うヤマトを強引に車に連れ込んだ彼女を責めることなんてしなかった。それほど日常茶飯事に、ご主人さまは若い男を食ってきていたのだ。

彼女はアレでも夫がいる。
しかし、女として枯れるのが怖いというよくわからない理由で、旦那が社長業に忙しく立ち回っている隙をついて乱交三昧だ。ほんと、性欲盛んな女性というのは、淡白だと自負している俺には理解できない。

まぁ、だからって自分が相手にされることなんて絶対あり得ないから、ことの成行きを見守っていられる。

いや、前言撤回。見守っていられた、の間違いか。


歯列を這って口内に侵入した舌が、俺の舌をとらえてずるりと吸う。
しびれるような感じがした後、やさしくと口内をかきまわされて、腰が疼く。
ああ、やばい、どうしてこう、こいつはキスがうまいんだ・・・

後ろから鳴らされたクラクションの音で我にかえって、ヤマトの肩をどんと拳で叩く。
く、っと息をのんだ男は、名残惜しそうにしつこく俺の唇をちゅう、と吸って、離れていった。


「盛らないでくださいよ、っ」
「イルカさん、僕はスミレさんより、あなたの方が・・・っ」
「黙ってください。それ以上口きいたら今ここで叩き出しますよ」

片手で口のまわりについた唾液をぬぐいながら、横目にヤマトを睨む。
目が合ったヤマトは、すがるような視線を送ってくるけれど、無視だ、無視。

ヤマトという男がスミレ様の愛人になって、いままで出来上がっていた当たり前のことに、いくつかの誤算ができた。

スミレ様の愛人を送り迎えするのは、俺にとって当たり前のことだった。
彼女は気に入った相手を飽きるまで食いつくす女だから、珍しいことじゃない。けれど、ヤマトは今までの相手と違った。

半年。

ヤマトがスミレ様に相手をさせられている期間だ。
今までの相手は、持って一か月だったのに、奇跡の長さだ。

よほど気に入っていると見えて、昔は捨てるように使っていた金を今はヤマト一筋に使い込んでいる。そのはまりようは異常とすら言えた。

ここで正直に告げよう。スミレ様はヤマトに惚れているのだと思う。彼女の、ヤマトを見つめる視線は、はた目から見ても潤んでいて、とても扇情的だ。

それに気づいていないのは、悲しいかな、ヤマト本人だけなのだ。

ここでもう一つの誤算。

ヤマトは、あろうことか、しがない運転手の俺に、想いの矛先を向けてきやがったのだ。

いつ、どこで、何を勘違いしたのかは知らない。知る由もない。

ただ、気づいた時には、迎えに行けば子犬のように喜んでまとわりついてくるようになって。
そして、いつ頃からかは定かでは無いが、送るときには体中にシャワーで流しきれなかった雄の匂いとスミレ様の香水の匂いをまき散らしながら、俺を、求めてくるようになったのだ。

まぁ、今のところ掘られるようなへまはやらかしていない。
ちょっと、そこ、怪しい目で見るな。本当だ。マジだって。
一回やばかったけど、スミレ様の呼び出しで救われた時以外は死守してるんだ、己の貞操を!


「じゃあ、うみの君、おわったら呼ぶから」

ホテルにつくと、裏の入り口でスミレ様は胸元と背中がぱっくり開いたなんとも目のやり場に困る格好で出迎えてくれた。輝かしく塗りたくったルージュが光っている。

相変わらず、気合いの入った化粧、装飾品、ドレス。たぶん下着だって上等のモノなんだろう。恋する乙女の視線はヤマトのスーツ、己の仕立てた服に包まれている男に釘付けだ。

それに見向きもしないで、俺を名残惜しげに見ている男。

なんとも滑稽な光景だよ、まったく。

いつものように、無言でお辞儀をして、車にさっさと乗り込む。
ふいに見た、エレベーターに乗り込む長身の男の腕には、細く白い腕が絡んでいて、まるで蛇に絡まれているようだとふと思った。
その男の視線は、相変わらずこっちに注がれていて。





ほんの気まぐれだった。
そう、いうなれば、いつも年増女に迫られている気苦労の絶えない男へのへねぎらいのつもりで。
手のひらを己の口にあてがい、じっとこちらをうかがっているその薄い色素の瞳に向かって、ふった。
いわゆる、投げキッスとかそういうやつ。


「なんて顔してんだよ、ヤマト」

ドアが閉まる瞬間の奴の顔を思い出して、盛大に噴き出しながら、椅子を倒して寝る態勢に入った。どうせこれから二時間は、待たなければいけないのだから。

真っ赤に染まった彼の顔。驚くほどに幼くて、無垢な、その表情。
妙にいい気分のまま俺は、ひとつ息を吐いて思う。




今日はいつもよりサービスしてやってもいいかもしれない。





END



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