カカイル
野薔薇姫・序
昔々あるところに、とてもとても仲の良い二人の王様がおりました。
ウミの国の王様をオルカ、ハタケの国の王様をサクモといいました。
二人は大変仲が良く、やれ月がまんまるだ、両国が豊作だ、よい天気だと理由をつけては二人でやんややんやと酒を飲みかわし、色々な話に興じるのが日課でありました。
今日も今日とて、ウミの国にお忍びで遊びに来ていたサクモでしたが、今日はいつも以上になんだか上機嫌です。サクモのお気に入りのラム酒がウミの国に大量に入荷され、浴びるように飲めるのもその理由の一つでしたが、今日はもう一つ、嬉しいことがあるので浮き浮きとしていました。
「なんだいなんだいサクモ、今日はすごくハイじゃないか?」
「ふふふ、これがハイにならなくて、何でハイになれるというんだろう!決まってるじゃないか!」
いつもはどちらかと言うとオルカがわめいてサクモがそれをなだめる役なのですが、今は全く逆です。
陽気なサクモの様子に気を良くしたオルカ王は、スススとその体をすりよせ「なんだなんだ」と聞き耳を立てながらサクモに聞きました。この部屋には二人しかいないのですから小声になる必要はありませんでしたが、サクモも上機嫌でしたから、オルカの耳に口付けそうなほど口を近づけて小声でいいました。
「明日は君のご息女の誕生日ではないか!」
小声でもうれしくてたまらないという様子がうかがえる声でしたが、オルカにはなぜオルカの子供、イルカの誕生日がそんなに待ち遠しいのかわかりませんでした。
「たしかにイルカの誕生日だけれど、なぜそれを君が喜ぶんだい?」
こんなに喜んでくれるのですからオルカも幸せな気分になりました。けれどやはり理由が思い浮かびません。これがサクモの一人息子、カカシくんの誕生日であるというなら話はわかるのですが。
「なんだい、覚えていないのかい?まったくもう、オルカは昔から覚えがわるいんだから」
ふぅ、と盛大にため息を吐いたサクモですが、それほど苛立っている様子ではありません。どちらかと言うと、物覚えの悪い子供を温かく見守る父親、と言ったほうがあっていそうです。
「僕の息子のカカシが14の誕生日を迎えた日に、二人で約束したじゃないか!君のご息女、イルカちゃんが同じく14の歳を迎える年に、うちのカカシと婚約させようって!」
嗚呼幸せだ!と叫びそうなほど満面の笑顔で、サクモは叫びました。それはそうでしょう。サクモの一人息子カカシは今年で15の歳を迎えます。他の国では知りませんが、ハタケの国では代々15の歳で一生涯の伴侶を決める儀式があるのです。サクモの奥方も、例にもれず、サクモが15の時に出会い、そのまま儀式へとなだれ込みました。今でも夫婦円満に暮らしています。ハタケの国で執り行われる儀式を無事に終えることができれば、未来栄光幸せになれるというならわしがあるのです。
実はサクモの実子であるカカシですが、少々性格に難があるため、サクモの悩みの種であったのです。
ですが、ここで、オルカの息女、イルカの登場です!
オルカの豪傑な性格が大層きにいっているサクモですし、ある意味オルカ信者と言っても過言ではないほど、オルカにべたぼれなのです。そんなオルカの子なのですから性格に難があるはずがないと断言しているサクモです。
実はいまだにイルカ本人には会ったことがないサクモでしたが、オルカに盲目である彼は露ほども気にしていません。オルカの子なのだからカカシも気にいるはずだと思い込んでいるのです。あるいみ病的なほど。
一方婚約の事を思い出したオルカといえば・・・顔面蒼白になって硬直していました。
婚約の話、あったような、なかったような・・・とカカシくんの誕生日会があった去年のことを思い出してみます。あれはまだまだ残暑の日差しが厳しい日のことでした。その日も例にもれず、会場でカカシくんへの祝いの言を告げたあと、サクモの部屋にて一杯やっている時でした。
どこの銘柄の酒だろうとあれこれ言い合いながら注しつ注されつやっているときに、急にサクモがなきはじめたのです。これにはさすがのオルカもびっくりしました。
聞けば、来年には儀式を控えているカカシですが、いまだに相手が見つかっていない、このままではカカシが不幸になってしまうとないているのです。
その姿をみて衝撃を受けたオルカは、酔いも手伝っていってしまったのです。
それならうちのイルカを嫁にやろう!と。
それは、決してしてはいけない約束でした。
オルカがぼうっとしているのは歓喜のせいであろうと気を使ったサクモは、一人でサクサクと話をすすめ、明日正午にカカシを連ねてイルカに挨拶に来るから、と支度をしなければと張り切りながら帰ってしまいました。
颯爽と去っていく銀色の髪をたなびかせている後ろ姿を見て、やっと気を取り戻したオルカが目覚めの一番に叫びました。
「なんてこったぁぁぁぁぁ!」
王らしからぬ叫びでしたが、常日頃このような口をきいている王に対して注意する家臣などおりませんでした。
オルカには秘密にしていることがあるのです。オルカとその妻、執事のゲンマや、数名の召使以外は知らない秘密です。
「父ちゃんどうしたの?暇なら釣りにいこうよ!」
ふらふらとした体で自室に戻ってきたオルカに、子供が駆け寄ってきます。頭のてっぺんで束ねた髪が、走るたびにぴょこぴょこ跳ねて、子供自身のパワフルさを見せつけています。きらきらと光る眼は何物にも染まらない黒で、オルカの妻によく似ています。釣り具を掲げて今日は川に行くぞ!っと元気よく宣言している男の子。オルカの実子、城の宝。彼こそが次期王位継承者でもあるオルカが愛してやまない子供、イルカなのです。
そう、何を隠そう、イルカは正真正銘、オトコノコだったのです。
イルカを女の子と偽る深い理由があります。原因はオルカ自身にあるのです。
今を遡ること10年前。オルカもまだ20の歳を迎えたばかりのころです。そのころまだご健在であった王におそばせながらも反抗期を迎えていたオルカは、その身一つで城を抜け出たことがありました。あの頃はまだやんちゃだったなぁと思えるのですが。やんちゃで済まない事態がおこったのです。
オルカが城を抜けて向かったのは、絶対何物も立ち入ってはいけないという狐の祠がある仰狐山と呼ばれる場所でした。
常日頃からそこに立ち入ってみたいと思っていたオルカはなんの躊躇をすることもなくその山に向かいました。なんといっても城のすぐ裏にあるのですからたどり着くのは容易なことです。
オルカはそこで、狐に会いました。狐と言えば獣であり、四足で立つものだと思うのですが、実際は違いました。オルカの出会った狐は、人型をしていて、金色の髪がきらきらと光る、九つの尾をもった、整った顔立ちの美男子だったのです。
狐はミナトと名乗りました。オルカの国には黒髪黒眼の人種しかいませんでしたので、幼少のころ父に連れ添い他国に遊びに行った際に見かける色の違う髪と目はオルカの憧れでありました。今まで見たこともないような抜けるほどに白い肌、金の髪、金の目のミナトに、オルカは魅了されました。それは逆もまたしかりで、好奇心に濡れたオルカの黒い瞳にミナトは魅了されました。純粋無垢なその姿が、欲しくてたまらなくなったのです。
しかし、常に周りから好意を寄せられても気づかない鈍いオルカです。ミナトがさまざまな形で求愛しても、彼は気付くことができませんでした。ミナトが呆れを通り越して愛しく思えるほど、オルカは鈍かったのです。
その山の中でミナトにセクハラされながら過ごしたオルカでしたが、城のほうから何度も何度も帰って来いとパパコールを送られ続けていましたので、ちょうど半年を山で過ごした時、城に帰る決意をしました。
それを聞いたミナトは、では最後に口づけを、とオルカに哀願しました。しかし、オルカには14の歳で心に決めた奥方がおります。その願いは聞き入れられない、と頑として受け入れませんでした。頑固なのはそのころからだったのです。
それでは、君の将来生まれるであろう息子を私にください。
ミナトはこれは譲れない願いだとオルカに言いました。その願いをオルカは受け入れてしまったのです。
それから数年して、オルカとその妻の間にイルカが産まれました。しかし、ここで問題が浮上します。オルカの奥方はイルカ一人を生むのが精いっぱいで、これ以上子を身ごもることはできない体だと医者から言われたのです。
それを聞いてオルカは大層焦りました。妻以外に相手を探せばいいという言葉もちらほら出ましたが、オルカは妻以外と閨をともにする気は微塵もありません。しかし、このままだとイルカはミナトに連れて行かれてしまいます。
ここでオルカはイルカを女の子として公表する決意をしました。そのとき、こうも言い足したのです。
イルカは生まれてから体が弱く、外に出ることはできない体である。皆の前に姿を現すことはめったにできないであろう、と。
「イルカ、明日君の誕生パーティーのあと、ある方とお話の場を設けるから。その相手を決して気に入ってはいけないよ」
釣りのことで頭がいっぱいなイルカは、オルカのその言葉に生返事を返して、その袖を引っ張り川に連れて行こうとします。
イルカはあすで14の歳を迎えます。これまで城外に秘密が漏れたことはありません。
明日を何とか乗り切って、イルカに婚約を破棄してもらえるよう頼む決意を新たに、楽天的なオルカ王は愛しいわが子の願いを聞き入れ、釣りをするために城のすぐ傍を流れる川へと足を運んだのです。
