『魔王』 「いいか、よく聞け勇者どの。俺は魔王なんかじゃない。ただの人間さ」  薄暗い場内。不気味な炎で照らされた室内。二人の男が対峙している。  金色の鎧を身にまとい、大降りの剣を持った男。  黒いマントを巻き、大きな動物の骨のような杖を持った男。 「その証拠に、これを見ろ」  マントの男――魔王は、その長く伸びた爪で、首筋のあたりを少し切った。  熟れたトマトを切ったように、傷口から赤い血がにじんだ。 「たったこれだけのことなのに、その顔を見ると驚いたようだな。  王様に、魔族の血は青いとでも教わったのかい?」 「うるさい!」 「少し話をしようじゃないか。俺くらいになればわかる。俺はお前に殺される。  随分とレベルを上げたようだな。弱っちいモンスターを殺すのは快感だったか?」 「黙れ」 「俺も快感だったさ。自分は強い。世界一だ。存在価値があるんだ。そう自分に  言い聞かせることが出来るからな」 「……「俺も」? 「俺も」、とはどういうことだ」 「お前にもそのうち判るだろう」  魔王は唐突に、両手を胸の前で合わせた。  ――来る!  とっさに勇者は身構えた。 「まあ、そう慌てるな。お前にもわかっているだろう。お前のほうが強い。 遥かにな」  魔王はそう言うと、宙から一本の瓶を取り出した。どうやらそれは、古いワインの ようだった。 「お前が来た時のためにとっておいたのさ。やるか?」 「馬鹿を言うな」 「そう言うと思ったよ。まあ、俺は一杯やらせてもらうぜ。それくらいの慈悲はある だろう? 正義の勇者さんよ」  魔王はグラスを宙から出すと、ワインをなみなみと注いだ。旨そうに葡萄酒を喉に 通す様子は、紛れもなく人間のそれだった。 「要するに、俺はスケープ・ゴートというわけだ」  間髪いれずに話を始める。 「馬鹿で勝手な大衆。モンスターの住処に足を踏み入れておきながら、襲われただの 殺されただのわめく大衆。自由が欲しい自由が欲しいってわめくだけで、自分では なにもしようとしない愚衆。そいつらを束ねるにはどうしたらいいと思う?」 「モンスターを皆殺しにすればいいさ」 「冗談じゃない。お前は街で暮らしていて、モンスターに襲われたことがあるか?」 「……ない」 「モンスターは、自分の縄張りに入ってきた人間を排除しているだけだ。俺が操ってる わけじゃない。現に俺が城の外に出たら、モンスターに襲われる。お前らだって、 スライム一匹でも街に入ったら殺すだろう? それと一緒だ」 「しかし、この城にだってモンスターはいる!」 「あれは俺の友達だよ。俺が飯をあげてるかわりに、城を守ってくれているんだ。 お前らの世界では、城に護衛はつけないのか?」 「……違う。違う! 現に、お前は世界征服を」 「世界征服? 俺はそんなもの夢見ちゃいない。世界を征服してどうするんだ? 世界一の美女を抱くか? 世界一の美食をたしなむか? 世界一の権力に酔いしれる のか? そんなものは馬鹿のすることだ」 「しかし、王は!」 「馬鹿な坊やだよお前は」  魔王は吐き捨てるように言うと、一気にワインを飲み干した。 「馬鹿な民をまとめるには、俺みたいな存在が必要なのさ。魔王を殺せ! 世界に 平和を! ひとつの判りやすいスローガンで民衆をまとめるのさ。このシステムは 実に巧く機能している。お前も知っているだろう。魔王が出てきては滅び、そして また生まれてきた歴史を。お前も挙げられるだろう。今までお前らが殺してきた 魔王の名前を」 「……黙れ」 「もういい。あとは自分の目で確かめるんだな。殺せ」  まるで合図を送られたように、勇者は剣を振りかざし、魔王に突進した。抵抗は しなかった。最後に魔王が見せたのは、全てを諦めたような表情だった。  勇者は英雄となり、世界の外れにひとつの城を与えられた。ただ、その神経は 完全にやられていた。城にはいつしか魔物が住み着き、勇者は彼らにのみ心を開いた。  うんざりするような年月が経ち、人々の記憶が消し去られ、勇者が年老いたころ。 城に一人の訪問者がやってきた。彼の体は、勇者の友達の血で染められていた。 「観念するんだな、魔王。俺は勇者だ。世界を救うために、お前を殺しに来た」  大振りの剣を振りかざす男に対し、勇者はため息をついた。 「いいか、よく聞け勇者どの」 ***************************** Trauermarsch http://red.ribbon.to/~kiriko/ *****************************