『犬小屋』  違和感を感じて足を止めた。三秒ほど考えて答えを見つける。  ――いつも吠えてくる犬がいない。  そこで右を向いた。犬小屋はもぬけの空だった。  子供のころから、通りかかるたびに吠えてくる犬だった。  小さいくせに、やたら大きな声で吠えてくる犬。  わずらわしいとしか思っていなかったけれど、いざいなくなってみると寂しい。 月並みな言い方だが、そこにあるはずのものがないとなると、それがどんなもの であれ、人は喪失感を覚えるようだ。  ――死んでしまったんだろうか。  おもむろに犬小屋に近づく。軽い気持ちで小屋を覗き込んだときだった。 「あっ!」  小屋の中から大きな手が飛び出し、頭をわしづかみにした。物凄い力だった。 手のひらに生えた針のような剛毛が、ブスブスト顔面を突き刺す。  抵抗を続ける。負荷に耐えかねた骨がボキボキと折れる音が鼓膜をつんざく。 体中の神経が悲鳴をあげ、首が折れる! と思った瞬間、体が浮き上がり、 そのまま全身は犬小屋の中に引きずり込まれた。  翌日、犬小屋の前を通りかかった人は、違和感など感じなかった。  いつもより大声で鳴いてるな……二人だけがそう思ったものの、特に気に もとめず、吠えまくる犬を横目で見ながら足早に歩き去った。 ***************************** Trauermarsch http://red.ribbon.to/~kiriko/ *****************************