バトル漫画と戦闘力のインフレーション
冨樫義博の「HUNTER×HUNTER」は、なぜ「ドラゴンボール」のような戦闘力のインフレを起こしていないのか。その点について私見を述べてみたい。
そもそも、なぜ「ドラゴンボール」は戦闘力のインフレーションを引き起こしてしまったのか。
それは、「ドラゴンボール」が以下のようなサイクルに則って書かれていたからである。
現状では倒せない敵の出現 → 修行など何らかの形でのパワーアップ → 倒す
→現状では倒せない敵の出現
鳥山はこの単調なサイクルを毎回アレンジし、マンネリに陥らないように工夫しながら「ドラゴンボール」を執筆していた。
ただ、この一連のサイクルに乗っかって登場人物たちの戦闘力は跳ね上がり、終盤にはとんでもないことになっていたのはご存知の通りである。あのフリーザですら、終盤の悟空ならデコピン一発で倒すだろう。多分。
冨樫義博にも同様の作品がある。それが、「幽遊白書」である。
3巻辺りから完全なバトル漫画になり、上記のサイクルを繰り返すベルトコンベアに乗ってから、「幽遊」にも必然的に「ドラゴンボール」のような現象が現れた。
中盤、妖怪の中の最強レベルであるがごとく煽られた戸愚呂という敵は、終盤ではB級妖怪の烙印を押されて雑魚レベルに成り下がってしまう。この連鎖に耐え切れなかったのかどうかは知らないが、「幽遊」は間もなく連載終了、冨樫はしばらく漫画界から姿を消す。
面白いのは、鳥山、冨樫の両者がともに天才的といってもいいほどの才能の持ち主であることだ。
戦闘力のインフレーションなどというみっともない事態は、誰しも好んで招きたくはないだろう。二人とも、こんなことは嫌だったに違いないが、どんなに頑張っても物語を制御しきれなかったのである。戦闘力のインフレーションは、バトル漫画に内在された根本的な問題といっていいかもしれない。
「HUNTER×HUNTER」も、基本的にはバトル漫画である。基本的に物語は対決によって進行していく。だが、作中世界において最強レベルのキャラはシルバでありクロロであり、1巻から登場しているヒソカであるわけだ。現在「H×H」は16巻に達しているが、未だにヒソカは最強の座を降りていない。
簡単に言えば、「HUNTER×HUNTER」というバトル漫画において、ある工夫が導入されているからである。その工夫とは、「ゲーム性の導入」である。
「HUNTER×HUNTER」における対決が、過去どのような形で行われてきたかを考えてみるといい。
序盤から現在にいたるまで、「H×H」における対決は、「ドラゴンボール」のような「どちらかがKOされるまでノールールで戦う」という構造はとられていない。走る、料理を作る、ボールを取る、ドッヂボールをする、などなど。文字通りのバトルが行われる際も、「参ったと言わない限り負けじゃない」だの、「10ポイントを取ったら勝ち」だのといったルールが加えられている。実はこのルール、すなわち「ゲーム性」こそが、戦闘力のインフレーションを抑制する装置なのである。
すなわち、「H×H」はノールールのバトルをしている漫画ではなく、常に決まったルールの中でゲーム(バトル)をしている。
「ドラゴンボール」や「幽遊白書」において、キャラクターの技の半分以上が「かめはめ派」的なエネルギーの放出だったのに対し、「H×H」では各キャラクターがバリエーションのある技を持っている。ゲームのルールによっては強いものが常に勝てるわけではなく、弱いものでも技の特性によって強いものに勝つことは出来る。
常にノールールのガチンコをやっているわけではないので、当然戦闘力のインフレーションは発生しない。新たに強大な敵を作り上げずとも、そのルールの中で力を発揮する敵を作り、そのルールでいかに倒すか、という風に物語を組み立てていけば充分お話になるからだ(もっとも、「H×H」はそのような単純な作り方はしていないが)。
「H×H」がバトル漫画に持ち込んだ「ゲーム性」の観念は、バトル漫画を一歩高いレベルに押し上げた。ストーリーにもさまざまな細工を盛り込むことが出来るようになり、それは直球よりもクセ球を得意とする冨樫の作風とあいまって、少年ジャンプ史上唯一無二の作品を作りつつある。冨樫義博はやはり偉大である。
……と締めたいところだが、実は同じようなことをした人間がはるか昔にいる。荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」である。あの漫画における「スタンド」はそのまま「H×H」の「念」であるし、それはすなわちバトルにおけるゲーム性の導入である。承太郎が鼠に殺されたりしそうになるし。当然ながら、戦闘力のインフレーションも起きていない。
「H×H」が「ジョジョ」に最も影響を受けた点は、「念」ではなく、その奥にある「ゲーム性の導入」なのである。「ジョジョ」、「H×H」ともに偉大な傑作ではあるが、このような共通点、系譜が裏に存在することを見逃してはいけない。
2003年3月5日
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