向こうの世界への憧憬――「GOGOモンスター」
本物の傑作というのは、こういう作品を指していうんだろうな。松本大洋「GOGOモンスター」。
450ページ書き下ろしという、漫画としては極めて異例の体裁で発表されたこの作品。それだけに一般的な知名度がどれだけあるかわからないのですが、とりあえずオススメです。これを読まないでいるのは人生の損失といっても過言ではないです。
「十年に一度の傑作」という言葉が毎年のように論壇には溢れかえるわけですが、これこそまさしく十年に一度の傑作と呼ぶにふさわしい作品なんじゃないでしょうか。「MONSTER」も、「バガボンド」も、この面白さの前では太刀打ちできない、これを超える作品はあと十年は出てこない。そんな気がします。
「もうひとつの世界」を、垣間見ることのできる少年、立花雪。
奇妙な言動を繰り返し、現実世界に友人がいなく、「もうひとつの世界」に棲む「かれら」と日々交流しようとしている奇妙な少年。彼が物語の主人公です。
転校生、鈴木誠。
たまたま雪と隣の席になったところから、雪と話すようになる。
周囲の人間が自分のことを気違い扱いする状況の中、唯一怖がらずに話しかけてくるマコトに、雪は次第に心を開いてゆく。
雪のいう「もうひとつの世界」には、正義と悪がある。
正義の象徴が、「スーパースター」と呼ばれる、雪のアイドル。
悪は、「やつら」という言葉でくくられており、雪の魂を腐らせてゆく存在。
以上が大まかな世界観であり、「GOGOモンスター」とは、この二人の学園生活を中心に、こちらの世界と「もうひとつの世界」の一年間を描いた物語です。
ちょっと観念的で判りにくい向きもありますが、読み始めると全く難しくない。極めて平易で判りやすく物語が書かれているためです。
しかし、内容は実に奥が深い。
簡単な言葉で簡単なことを書くのは簡単だし、難しい言葉で難しいことを書くのも簡単。
ですが、簡単な言葉で難しいことを書くのはものすごく難しい。小学一年生の語彙でマルキシズムを説けるのは天才にしか出来ません。
その困難な作業に、松本大洋は全編に渡って挑んでいます。読み口はわかりやすく、しかし内容は高度に。そしてその困難に見事に打ち勝っているのです。これはすごい。。松本大洋は、天才的なストーリーテラーといえるでしょう。
もうひとつの世界に棲む友人がいて、そのおかげで現実生活に支障をきたしている人間の物語。
このような設定は実はありふれていて、類似作品が実にたくさん書かれています。
オースン・スコット・カードの「消えた少年たち」、森絵都の「つきのふね」なんかはそうですし、一部でコアな人気を集めたアニメーション、「lain」なんかもこの系統。(ちなみにどれも超がつく傑作です)。
応用まで含めると、「ドラえもん」なんかもこの系統かもしれません。
「ドラえもん、さようなら」で、もうひとつの世界のドラえもんと決別し、現実世界で生きることを決意するのび太なんかは、この系統の作品の典型といえるでしょう。
現在ではパソコンの普及にともない、空想の世界→ネットの世界というシフトが行われ、いわゆる引きこもりを描いた作品もたくさん出始めています。今後はますます増加していくでしょう。
この種の作品は、ほとんど全てが、空想の世界と決別し、現実の世界で生きはじめる、という結末を取っています。
一言でいえば、主人公が自己獲得をするまでの成長物語なのです。
「GOGOモンスター」も、基本的にはこういう構成がとられていますが、決定的に違う点がひとつあります。
(ここから先は軽いネタバレになるので注意してください)
空想の世界と、現実の世界。その狭間の物語。
こういうお話は、通常、空想の世界を否定して物語が完結します。
つまり、空想にとらわれてはいけない、現実に目を向けなければいけない、現実で生きていこう、現実万歳……となるわけです。
「GOGOモンスター」は、そのような構成はとっていません。
立花雪はクライマックスで、スーパースターではなくマコトを選びます。
しかし、「もうひとつの世界」を否定してはいないのです。
そちらはそちらで素晴らしいものだが、自分は現実を歩む……というスタンスをとっているためです。
その証拠が、結末に出てくる少女の存在でしょう。
少女の登場により、安易な自己獲得の物語に陥らず、滾々と受け継がれる「もうひとつの世界」をくっきりと描き出している感があります。
「GOGOモンスター」は、立花雪の成長物語とも捉えられますが、「もうひとつの世界」を主題にした少年文学、童話という側面もあります。
子供のころ、確かに存在した「もうひとつの世界」。それを、立花雪という少年の視点で書ききっているのです。つまり、雪の成長を描いているその向こうで、子供の頃だけ見れた世界というもう一回り大きなテーマを描いているのです。この二重構造の見事さ。本当の実力を持った作家にしかかけない境地に達していると思います。
ともあれ、こんな難しいことを言わなくても、450ページ一気に読ませられること請け合いの大傑作です。ページを開けばそこに、子供のころ一瞬だけ見ることの出来た「あの世界」が、再び甦ることになるでしょう。
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