「ニア・アンダーセブン」続編希望レビュー
物語というものは、作品によって目指すものが違う。
推理小説は人を驚かせること。
サスペンスは人を夢中にさせること。
コメディは人を笑わせること。
まあ、細かく考えていくとキリがないのだが、これだけは確実に言えるだろう。
物語の大半は、人を感動させる目的で作られている。
ミステリでのビックリも、ハリウッド映画の手に汗握るサスペンスも、平たく言えば受け手に感動を与えるためにあるのである。
そんなわけなので、世の中には感動が溢れているため、かえって本当に感動する物語に出会うことはごくまれなのである。泣いたり、飛びあがったりするほど感動した記憶は、私にも10数回しかない。感動物語が、単なる「ちょっといい話」に堕している例は、それこそ吐いて捨てるほどある。
人を感動させるということは、それほどまでに難しいことなのです。
さて、安倍吉俊「ニア・アンダーセブン」。
「非・ハートフルコメディ」、「ヘタレ青春グラフィティー」なる、珍妙な文句で売り出された作品。
なんじゃこりゃと思って読んでみたのだが、1話、2話と読み進めるうちに、実に巧い売りだし文句を考えるなあ、と感心してしまった。
大型宇宙船が墜落し、居候となった宇宙人ニアと、貧乏予備校生まゆ子の日常を描いた物語。
こういう風に書くと、祖国を失った宇宙人が、慣れない社会の中で生きる姿を描いた作品で、最後には宇宙に帰ってカンドーしちゃったりするんだななんて思ったりするのだが、全然違います。
普通の作家なら、まず上記のような「ちょっといい話」にするであろう題材を、安倍吉俊はクソクラエとばかりに裏切ってゆく。
ほとんどの物語が安っぽい感動を志向する中、安易なハートフルコメディなんかにしねぞ、感動の安売りなんかしねえぞという、安倍の宣戦布告のようにも思える。
どんなお話なのかというと、簡単にいえば、まゆ子とニアのドタバタがひたすら繰り広げられていく、というだけの物語。
もちろんこれだけじゃないのだが、主な要素はこれだけ。実に単純な構造である。
このドタバタを支えているのが、予備校生、まゆ子の鬼のような貧乏っぷり。
もうそれは物凄い貧乏っぷりで、特売のメロンパン(50円)を買うにも、お金の心配をするくらいの有様。友人から米をもらおうものなら、ニアと一緒に飛びあがって喜ぶ始末。
ドタバタはこの貧乏さから生まれるケースが多くて、コンビニでカレーの特売をやったり、テレビを拾ってきたりする度に、物語が進んでいく、という構成。
こう書くと、かなりバカバカしい作品のような気がするが、その通りで、物語の大半はバカバカしい雰囲気の中、進行する。ナンセンスギャグ、ドタバタ、ワルノリ。2流の芸人が、テンションだけで笑いを取ろうとしているかのようなハイテンションっぷりである。
「ニア」がこれだけの作品ならば、実に低レベルなクソ漫画になってたことだろう。
しかし、「ニア」はそうではない。そのような漫画とは一線を画している。
なぜならば、一連のドタバタまでもが、全てある計算に基づいたもの、であるからである。
それを解くキーが、まゆ子という、素晴らしい主人公の存在だ。
ドタバタのほとんどは、居候宇宙人、ニアによって巻き起こされる。
ニアが部屋の中で宇宙船を作り始める。
特売のカレーを、2度買おうと変装をする。
ちゃぶ台の変わりに、ジャン卓を拾ってくる。
「周囲の目を全く気にしない」ニアの言動は留まるところを知らず、まゆ子がそれに巻き込まれるという形で物語が進むので、読者としては、「まゆ子=ハイテンションキャラ」と錯覚しがちになる。
ところが、まゆ子はそういうキャラクターではないのである。
常に周囲の目を気にしながら生きてきた、まゆ子。
落ちこみやすく、涙もろく、ちょっとしたことにでもすぐ考えこんでしまうキャラクター。
ニアとは対局にある存在、と言ってもいいかもしれない。
全編ハイテンションで進む中、まゆ子のパートになると途端にトーンが暗くなる。
登校拒否の弟の相談をしたり、そのことで落ちこんだり。
ちょっと読めばわかるのだが、ところどころに挿入される、まゆ子が物思いにふけっているシーンの暗さはどうだろう。ニアのシーンと比べると、まるで別の漫画のようだ。
だが、実は、こちらの暗いトーンのパートこそ、安倍の書きたかったことが書かれているのは間違いないと思う。
「ニア・アンダーセブン」は、”居場所”の物語だと思う。
周りの目を気にしながら、居場所を作ってきたまゆ子。
偏見の目に晒されながら、居場所を確立しようとする宇宙人たち。
登校拒否のまゆ子の弟、髪型を変えることなどで、自分の居場所を守ろうとする源三。
自分の居場所はどこに存在するのか。その思索。
ただし、これらの事柄は、ストレートに書かれているわけではない。
バカげたテンションの日常に覆い隠されながら、作品の端々にちょこちょこっと書かれているだけだ。しかし、これこそが、「ニア・アンダーセブン」の真の読みどころなのである。
ニアのひたすら高いテンションに引きずられるうちに、読者は、あたかも日常をニアとともにしているかのような感覚を覚える。
だからこそ、ニアのいなくなる第13話、「ユメ」が素晴らしい効果を持って生きてくる。まゆ子の居場所についての思索が、実に心に響いてくる。
そして、最終話、花火大会の馬鹿騒ぎ。
まゆ子が一応の結論を出す一方で、とっくのとうにそういうものを見つけている人達による、超ハイテンションなクライマックス。
まるで祭りの終わりのような、楽しいのだけれど、どこか寂しい。そんな雰囲気すらかもし出している。
恐らくこれらの事柄は、全て計算の上、緻密に物語が配置されているのだと思う。
安倍吉俊という作家、ただものではない。
光と影、陽と暗というごくシンプルな対比だけで、「ちょっといい話」になりそうなストーリーが、ここまでの作品になってしまう。これは凄いことだと思う。
安易な感動を志向しないことが、本当の感動を生むことがある。
「ニア・アンダーセブン」という漫画は、そんな困難を、涼しい顔で書ききってしまった傑作である。
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