大長編「ドラえもん」全作レビュー3 「のび太の大魔境」
「のび太の宇宙開拓史」において、それまで仲違いをしていたジャイアンがのび太を助けに颯爽と登場するくだりは、最もシビれるシーンでした。
序盤からくだらない揉め事でのび太とギクシャクしながら、
「友達のピンチを見捨てておけるかよ!」
という理由でブルトレインに戦いを挑むジャイアンの姿は本当にかっこいい。男気に溢れています。
この「男気」の部分をピックアップし、「宇宙開拓史」におけるジャイアン登場のシーンを更に感動的にした作品が「のび太の大魔境」です。
言い切ってしまいますが、この漫画の主人公はジャイアンです。のび太やドラえもんにはほとんど活躍の場面が与えられておらず、ほぼ全編に渡ってジャイアン中心にプロットが組まれています。
最初に冒険をしたいと言ったのもジャイアンであり、冒険隊の隊長もジャイアン、冒険をやめるといいだしたのもジャイアンであり、ドラえもんたちをピンチに陥らせる原因もジャイアンです。
序盤から一行に迷惑をかけてばかりのジャイアンは、次第に責任感を募らせ、自分の中に篭っていきます。この「迷惑をかける」行為の徹底ぶりはすさまじく、全員の命を危険に晒すシーンもポンポン出てきます。しかもその原因はほとんどがくだらない内容であり、そういう理由もジャイアンを追い詰める要因になっていたのでしょう。
この一連のジャイアンの失敗が、クライマックスまでの伏線になっているわけです(かなり露骨な伏線ですが)。
一連の失敗を繰り返し、その贖罪として爆弾の雨に飛び込んでいくジャイアン。言葉ではなく、行動でしか示せない不器用さ。死をも省みずに歩みを進める勇敢さ。かっこいいです。
「宇宙開拓史」におけるヒーロー登場のような痛快さはそこにはなく、ここにあるのは悲愴と決意。それだけに、しずちゃんの、
「タケシさんはあの人なりに、ずーっと責任を感じ続けていたのね。そしていま、こんな形で責任をとろうとしているのよ」
という台詞が胸を打つのでしょう。そして、その後の「これから何が起こるにしても、ぼくらはずーっと一緒だよ」という台詞も。
無骨ながらストレート。「大魔境」の構造はスマートとは言えませんが、クライマックスに向かって上り詰めるテンションは尋常ではありません。このシーンがあるだけで、「大魔境」は読む価値のある傑作といえると思います。
ただ、このジャイアンのシーンが素晴らしすぎて、最後の戦いの印象がかすんでしまったことは大きなマイナスでしょう。ジャイアンのシーンを作るのならば、最後の戦いになんとかして持って来るべきだった。
また、勝負に勝つ方法が非常に投げやりです。まず間違いなく、この結末は後付でしょう。
勝因となる「先取り約束機」はラスト4分の3で出てくる機械だし、「十人の外国人」というフレーズもほとんど同時に出てくることから、F先生は物語をどうやって終わらせるかに困り、最後の方で無理やり辻褄を合わせたのでしょう。違うかもしれませんが、そのような印象は拭いきれません。ジャイアンのシーンに向かって物語を構築していたので、他の部分は手抜きになってしまったのでしょうか。同様の「後付結末」現象は他の大長編にも見られますので、その都度書いていきたいと思います。
また「大魔境」以降の特徴として、ドラえもんたちの冒険(フィクション)と、我々の生きる現実とが何らかの形でリンクするようになっています。
「大魔境」ではヘビー・スモーカーズ・フォレストという森がそれであり、「常に雲がかかっているので衛星写真が取れない」という理由で現実にも存在するのではないか? といった想像の余地を残しています。恐らく、「この世にはまだまだ不思議の余地がある」というメッセージの発信にこだわりを持っていたのでしょう。この辺りが、F先生のSFワールド、「すこし・ふしぎ」の真骨頂なのかもしれません。
あと蛇足を覚悟で言わせてもらえば、「火を吐く車」と「空飛ぶ船」では人間界と戦争しても勝てないと思うのですが(笑)
2003年3月25日
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