小林よしのりとインターネット


 小林よしのりの不毛なネット批判から何かを見出してみようという実験。

 小林の論旨は大まかに分類して以下のような感じである。

 1. ネットは匿名性に隠れて各人が「ぶちまけ言葉」を書きなぐっている便所の落書きである。
 2. ネット的な思考の短絡さが現代の日本人に蔓延している(例 人質バッシング)。
 3. 私心の解放区であるネットに子供たちを放り込むと、他者との関係性のバランスが崩れて危うい。

 これらは一見繋がっているように見えるが、全く別の問題である。
 まず、1と2の因果関係は説明されていない。「なんとなく日本がネット化してきているなー」という小林の印象批評に過ぎず、過去の「もっと公的な意識を持て!」という議論に収束される。この点については私は賛成である。

 3に関しては、私は小林が批判をしている「ツールそのものは問題ではなく、ツールを使いこなす際の倫理教育が必要」という立場を取る。
 これに対し小林は「人間の本性は『良識』に向かうと無邪気に信仰するものの意見」と批判しているが、それはおかしい。人間は性悪だからきちんとしつけろ、といっているのである。第一、今から「インターネットをなくせ!」などというのは全く現実的な議論ではないし、しつけを無視して「高校に入ったからインターネット解禁ね♪」なんてやっても、そこから異常者が沸いてくるだけだろう。


 さて、今回問題となるのは1の意見である。これに関して、小林の認識は全くの見当違いなので反論しておく。

 1. ネットにも実名や顔写真をさらして文章を書いている作家はたくさんいる。
 2. ネットにも大勢の人を楽しませる「芸」を持った書き手、「公的」な作品を作っている書き手がたくさんいる。
 3, ネットの意見は画一化されていない。私はブッシュ反対論者、小泉反対論者であるし。

 要するに小林はネットの中でも最下層の人間を批判しているわけで、それは別にいい。問題なのは普通にネットを利用している人間までもを最低ラインで統一し、「ネットやチャットは異常者の共同体だ!」と決め付けているところにある。かつて「作家を差別せよ!」といい、「わしと筒井康隆のみが差別表現をしてもいい!」とまで言い放った人間が、ネットでの表現者を全て一括りにして批判している。この大雑把さは同一人物とは思えない。「小林老いたり」と切り捨てることは簡単だが、昨年『戦争論3』というとんでもない力作を書いている人間である。まだ頭の方は顕在であろう。

 ではこの矛盾をどう捉えるべきか。ここに一本、「小林の言動がネットで少なからず叩かれている」という補助線を引けば判りやすい。自分が叩かれ放題叩かれ、相手が誰か判らない状態というのは非常にストレスを生む。そのストレスを解消すべく、現状を無視して「ネット=全員異常者」という電波意見まで飛んでしまったのである。

 ここまでは誰でも判る。ここからひとつ「公的な教訓」を導くとすれば、「小林はロジックよりも個人的な恨みを優先する」ということだろうか。小林は己のルサンチマンを晴らすためならば、「捏造」「嘘情報垂れ流し」「印象操作」などを当たり前にやってくる作家である、ということが、彼のネット批判で明らかになった(前から明らかじゃんというツッコミは却下)。

 ゆえに小林の漫画を読む場合、「これは彼のパブリックな怒りなのか、プライベートな怒りなのか?」を気にしながら読めば、『ゴーマニズム宣言』は有用な図書になると思う。前者ならまだしも、後者に対して一緒になって怒っている場合、既にバランスを崩しかけているので注意が必要である。ネットは異常者の集まりなどではない。


2004年7月2日



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