ミステリの構造と傑作ゲーム「逆転裁判」について



ハイクオリティ・ゲームサイト、「G∧MI∧N’」の綾茂さんが絶賛していたゲーム。
先日、その綾茂さんとデートした時に、アドバンスごと貸していただき、数日かけてプレイしました。いやあ、面白かったですねえ。大好き。絶賛。ゲームボーイ・アドバンスを持っている人間は有無を言わさず買いに行きましょう。持ってない人間も、ハードごと買う価値は絶対にあります。中毒のような10時間が送れることを保証します。オススメ。



「逆転裁判」とはどのようなゲームなのか。
主人公は弁護士です。冤罪でつかまった容疑者の疑いを晴らしていくことがゲームの目的になります。
舞台は裁判。検察側が証人を提出してくるので、その証言を考察し、矛盾を発見し、それをつきつけることで事件の真相を探っていく……という構成をとっています。

そうしたシステム面の斬新さに関しては、綾茂さんが名文を書いてますので、そちらを参照していただくとして、「G∧MI∧N’」との差別化を図るために、当サイトでは「ミステリとしてどうなのか」という側面からのレビューを行いたいと思います。いわば、「G∧MI∧N’」の内容を補完するような形でのレビューとなるでしょう。興味のある人は合わせて読んでください。



まず結論からいうと、「逆転裁判」はミステリとしてダメダメです。このストーリーをノベライズして発表したら、壁投げ本(酷さのあまり、読み終わった瞬間に壁に向かって投げつける本)クラスの酷い作品になるでしょう。
色々と問題点はありますが、一番ヤバイのは登場人物がアホすぎということです。

たとえば第3話。
犯人とされる人物がA地点からB地点に向かい、B地点で殺人が起きる。
その間には自動カメラがあり、通り過ぎた人間を撮影する。
撮影されていた人間は一人(厳密に言うと違うが)。彼はA地点で昼寝をしていたのでアリバイはない。
ならばその人間が犯人だ!

という風に検察側が犯罪を立証していくわけですが、これは明らかにおかしい。なぜ、犯人がBからAに戻った写真が撮られていないのか
真相を見てみると、その理由はわかるのですが、検察が最初犯人としてあげている人物は、A地点で寝ていたのです。つまり、Bで殺したあと、Aに戻る写真がないとおかしい。すなわち、犯人ではない。
このような明らかに無罪という人物を検察が犯人として告発します。馬鹿すぎです。

同時に、裁判官も勘が鈍すぎ。普通判るだろという問題点を軽々とスルー。
つまり、「逆転裁判」には、ミステリが求められる基本であるフェアプレイ精神が欠けています。検察も裁判官も、出てくる人物のほとんどが勘の鈍い馬鹿ばかりで、こんなのをミステリとして発表したらブーイングものでしょう。そもそも、あんな単純な事件がなぜ15年も解決しなかたのか…………(ぶつぶつぶつぶつ)



ここまで読んだ「逆転裁判」ファンは、今頃怒り心頭でしょうな。ミステリオタクの偏狭な戯言と捉える人も多いでしょう。
ただ、私はこう主張します。
「逆転裁判」は、ミステリとしては駄目だけれども、ミステリゲームとしては大傑作である。この両者は似て非なるものです。

そもそも、ミステリとはどのような小説か。
絶対不可能の難事件、読者には解決の糸口すら見つからない超難問を、天才的な名探偵が解きほどいてゆくという物語です。
ミステリ小説において、読者に真相が判ってしまうものは失敗作です。読者はいくら頭をひねっても判らなかった真相を、スパーンと意外な形で解かれることを求めているのであり、読者自身が解いていくことは求められていません(←もちろん、何が何でも作者の仕掛けた罠を解いてやろうという読み方をしている人は別)。

では、推理ゲームでそれをやったらどうなるのか。
単純に、エンディングに辿り着けない人が続出します。なぜなら、問題は超難問で、天才でないと解けないのですから。幾ら頭をひねっても判らない。ゲームが進まない。それは、不快感しか生まない駄ゲーになってしまうでしょう。

「逆転裁判」は違います。
謎のひとつひとつは、しっかりした思考順路を踏めば子供でもわかるように設定されています。考えて解明し、犯人に証拠品を突きつける。慌てふためく犯人、しかし検事側が再逆襲を繰り出し、プレーヤーは更に考えることを要求されます。
この、思考→解明というフローこそが、「逆転裁判」の醍醐味であり、快感なわけです。ゲームは巧みなサウンドエフェクトを用い、プレーヤーの快感を演出してくれます。



プレーヤーの快感。
この、全てのゲームにおける根源的な醍醐味を提供するために、「逆転裁判」は事件の難易度を切り下げました。誰でも考えれば解ける事件。しかし、ゲーム内においては、主人公である弁護士が解かなくてはならない。ゆえに、主人公以外の登場人物が、プレーヤーより馬鹿である必要があったわけです。
図式にすると、こんな感じになります。


■ミステリ小説

↑名探偵……天才。
↓その他の登場人物(=読者)……一般人。


■「逆転裁判」

↑名探偵(=プレーヤー)……一般人。
↓その他の登場人物……馬鹿。


謎を解くプレーヤーは一般的な頭脳しか持ち合わせていない。しかし、作中で謎を解く人物は一人だけしか存在できない。ゆえに、「逆転裁判」は周囲の人間を馬鹿に描くことで、プレーヤーを名探偵の視座に相対的に押し上げたといえます。
つまり、先ほど私があげたミステリ小説としての穴は、プレーヤーの快感を促すためには致し方ない必要悪だったことが判るでしょう。

だから、ミステリマニアの人間も、チマチマあら捜しをしていないで、素直に快感に身を委ねるといいです。
魅力的なキャラクター群、4つの事件を貫くダイナミズム、「十二人の怒れる男」のごとき犯人との論理対決……。まるで映画の登場人物にもなったかのように、ビシビシと犯人を追い詰めましょう。
さあ、息を吸って。レッツ、「異議あり!」。



■追記
物語の根幹にある「DL6号事件」。変な名前の事件です。なぜこんな題をつけたのか。
ミステリマニアの貴方なら、すぐにピンとくるでしょう。

天才ミステリ作家、泡坂妻夫。数々の大傑作をモノにしてきた彼のデビュー作……その名は、「DL2号機事件」
「逆転裁判」のシナリオ作家がこの作品を念頭に置き、こんな変なネーミングをつけたのは明白です。
商業ベースとはあまり関係がないせいか、作中でのお遊びはこれぐらいでしたが、恐らく作者は相当なミステリマニアです。現在、第2作が開発中だとか。楽しみにしています。



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