「さよなら、DJ」(VS 桃井かおり)
古畑ファンの中でベストワンとも言われている作品ですが、面白いですかこれ? 私はあまり出来のいい作品だとは思えないんですが。
古畑の作品には幾つかバリエーションというかパターンがありますが、そのひとつに、「犯人しか知り得なかった情報をうっかり口走ってしまう → 逮捕」というものがあります。この作品も基本的にはこのバリエーション。しかし、例えば明石屋さんま編などと比べて決して出来はよくありません。
こういったタイプの作品の出来不出来は何によって決まるか。
まず、「犯人しか知りえない情報」を、「視聴者(読者)が共有している」こと。これは前提。
この作品では、「テレビのニュースを見ることが出来なかった桃井かおりが、テレビでしかやっていないニュースを知っていた」というのが大きなキーになるわけですが、視聴者がそのことを知らないと、「いつ桃井はテレビを見たんじゃい!」ということになります。つまり、読者が犯人と一緒に情報を共有するシーンは非常に大きな伏線になるわけです。
インプットが終わりましたので、次はアウトプットです。
すなわち、その情報を犯人が口走るシーン。このシーンが挿入された後に、探偵矛盾に気づく → 解決というフローをたどり、物語は終わります。このインプット − アウトプットの過程の完成度がイコール、このタイプの作品の完成度になるわけです。
そういった観点からこの「さよなら、DJ」を見ていくと、1つ大きな問題点があります。それは、インプット、アウトプットの両シーンが非常に露骨なのです。
桃井かおりが問題のニュースを見るシーン。これから殺人に向かわなければならないというのに、なぜか通り道にあるテレビの画面を強調するカメラワーク。いただけません。ここはさりげなくながさないと。
そして、ラジオの生放送でそのニュースを口走ってしまう桃井かおり。それを聞いている古畑は、聞いた瞬間に「おやっ?」とした顔をします。ここに伏線がありますよー! と言ってるようなもんです。露骨すぎ。
着想は悪くないと思うのですが、こうしたインプット - アウトプットの手際がよくないので、簡単に結末を予想できてしまう。以上が、私がこの作品を評価しない基準です。
あとひとつ言わせてもらうと、桃井かおりの演技はお見事。
私にとってこの人は好きでも嫌いでもない、つまり興味のない俳優なわけですが、この作品の演技はお見事。まあほとんど自然体の桃井かおりという噂もありますが(笑)
犯人が憎らしければ憎らしいほど、結末に待っている解決編が爽快になるわけです。犯人がいい人ばかりの人情刑事モノよりも、こうした癖の強い犯人を緻密に追い詰めていく推理モノのほうが私は好きです。ホントに古畑はキャスティングに恵まれている作品ですねー。
2003年7月19日
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