「最後のあいさつ」(VS 菅原文太)
いや、もう菅原文太存在感ありすぎ。
他の犯人にも一線級の俳優が並んでいるシリーズですけど、中でも彼の存在感は傑出しています。彼の演技が巧いかどうかは私には判りませんが、凄いことは確か。「太陽を盗んだ男」でもそうでしたが、こういう堅物の刑事をやらせると彼以上の俳優は今いないでしょう。
脚本も最高とまではいきませんが、よかったと思います。
メインとなるトリックも単純ですが、実にミステリらしい丁寧なトリックで好感が持てます。
物事がわからなくなったらひっくり返してみればいい……というか。G・K・チェスタトンの世界です。こういうのが嬉しくないミステリファンはいないでしょう。
ただひとつだけ言わせてもらえば、林檎のくだりは唐突だった感がありますね。
文太の部屋に置いてあった林檎、その表面に付着していたネバネバの正体が重要な手がかりになるのですが、ネバネバの正体はその場で推理できるようなものではなく、鑑識が科学鑑定をして明らかになる性質のものです。
つまり、犯罪の立証が怪しいところを彫ったらたまたま証拠にぶちあたったという偶発的なもので、ロジカルではない。この部分がもうちょっとスマートだったら傑作になっていたと思います。
今作の最大の特徴としては、「静の物語」である……ということでしょう。
三谷幸喜は動の作家というか、基本的に常に物語が動いているような作品が向いていると私は考えています。
「ラジオの時間」なんてのがいい例で、密室劇にしても目まぐるしく状況が変化していき、一点にとどまることがない。部屋に座ってずっと二人が喋ってる……いうような静的な作品はあまり向いていない。というより、ほとんどそういう作品は撮っていません。三谷は常に動きの中で物語を展開している。
しかし、この「最後のあいさつ」は違います。ほとんどが古畑と文太の語らい。でも実に面白い。
理由を挙げると、犯人が古畑の上官という設定。これが生きてます。基本的に古畑は犯人に対して一定の敬意を払いながら告発をしていく探偵ですが、この設定のおかげで敬意の払い方がより強調される形になっている。いつもと違う古畑の態度に、視聴者側が身を乗り出すという仕組みになっています。
あと、冒頭でも言いましたが菅原文太。
これだけベタな動機を演じさせておきながら、これほどの凄みを感じさせる俳優はいませんよ。
三谷が得意としない「静の物語」でこれほど魅せてくれるのは、ひとえに田村正和と菅原文太の演技力にあるでしょう。私は途中からストーリーなんかどうでもいいから、この二人の語らいをずっと見ていたいという気になりました。そう思わせることが作品にとって成功か失敗かは判断がつきませんが、とりあえずいいものは見せていただきました。とそんな感じ。
2003年7月27日
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