「笑える死体」(VS 古手川裕子)
今回はイマイチ。その原因の大半が犯人役の魅力がないということだと思います。
古手川裕子という俳優自体に魅力がない上、犯人としてもあまりに間が抜けているので魅力のなさに拍車がかかっている。三谷は「冷徹な女性心理学者」という、鉄の女みたいな役どころを演じさせて、最後に女性としての一面がポロリと出る……みたいな効果を狙っていたのでしょうけど、それにしてはあまりにミスキャスト。
こんな橋田ファミリーみたいなオバちゃんに鉄の女が演じられるわけなく、最後の「女性としての一面が……」のくだりも醜悪の一言(その点、2期の「笑わない女」で鉄の女を見事に演じきった沢口靖子は凄い)。
トリックのコンセプトは、「最も見えやすいものが実は一番見えにくい」という、チェスタトンの「見えない男」のバリエーション。
この手の作品のキモは、見えやすいものがいかに「見え見え」であるか。特にこのような映像作品の場合、ずっと映像として映っているのに、それが重要な手がかりであると気づかなかった……というポイントが特に重要になります。
ところが、この作品の場合その部分が不発になっている。
この作品ではシャンデリアの上に取り付けられた「ある物」が手がかりになるのですが、ほとんど映っていない(完全に映ってないかも)。結末で古畑が謎解きをしても、伏線になっていないので視聴者は置いてけぼりです。「最も見えにくいものは見えにくい」という自嘲めいた言葉も浮かんでくるというものです。
電子レンジの中に手がかりを残しておいたり、流し台に捨ててある煙草を回収しなかったりと、犯人が非常にマヌケで正直見ていて辛かった。古畑の泣く意味もわからないし、多分これを書いたとき三谷はノイローゼかなんかだったんだと思う(嘘)。
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