「マルコヴィッチの穴」のシュールについて
カフカの「変身」や、中島敦の「山月記」の例を取るまでもなく、物語の世界では「変身」というテーマが脈々と受け継がれています。そして本作も、その系譜の最前列にマーキングされるべき傑作といえるでしょう。というわけで、「マルコヴィッチの穴」。
とあるオフィスのとあるトンネルに入ると、15分間だけ俳優のマルコヴィッチになれる、というのが基本的な設定。変身願望を持つ人々、純粋に興味を持った人々どんどんと集い、穴は大盛況。そして、マルコヴィッチ自身がそれに気づいて……というお話をアップテンポに展開していくので非常に面白い。
細かいところで幾つか破綻しているので全体像をつかむのは難しいのですが、基本的な骨組みは、一人の女性(マキシン)を愛してしまった夫婦(クレイグとロッテ)の悲喜劇という構成をとっています。
クレイグはマキシンのことを愛しているが、マキシンは相手にしない。
ロッテとマキシンは両思いだが、ロッテには男性器がない。
そこで、ロッテはマルコヴィッチの中に入り、マルコヴィッチを介在することでマキシンとセックスをすることになる。
それに目をつけたクレイグは、ロッテの振りをしてマルコヴィッチの中に入り、マルコヴィッチを介在してマキシンとセックスをする……という凝りに凝った形式をとっていますが、やっていることは実は単純だったりします。
要するにこれは、愛する女性をモノにするためには自分を捨てて他人になってもいいという変身の物語であり、これは今までの物語の中で何度も語られてきた内容です。
他人の中に入るトンネル、という奇抜な設定をとっているせいで一見そうとはわからないのですが、やっていることは何度も繰り返され、使い古されたテーマなわけです(例えば「ドラえもん」の中にも同種の話はある)。それをダイナミックな形に構築した監督の手腕はさすがというべきでしょう。
結末の「一人は無事に結ばれ、もう一人は悲劇を迎える」といった辺りも非常にオーソドックスな落とし方。シュールで奇抜な作品と言われますが、本当は至極まっとうなタイプの作品なわけです。
さて、それではなぜ「シュール」「難解」という評価を受けているのか。それを考えるには、物語の破綻部分を考える必要があります。
「マルコヴィッチの穴」は、どこが破綻しているのか。
まず、時間を旅しているあの老人の集団は必要だったのか?
例えば、マルコヴィッチは終盤で、クレイグが出て行くことによってやっと自由を手に入れることが出来ます。
これは、ロッテがありのままの自分でマキシンと結ばれる結末とオーバーラップさせることで、「変身などくだらない、ありのままの自分が一番」という、変身テーマに対する作者の回答とすべきシーンになるはずだったわけですが、直後に老人の集団に体を乗っ取られる。この展開に意味はあったのでしょうか。結局、「変身」に対する作者の回答は提示されないまま、マルコヴィッチ可哀想……という印象だけが残ります。明らかにいらないシーンです。
次に、裏の主役とも言えるマルコヴィッチの扱いについて。
重複しますが、彼は体を乗っ取られるだけ乗っ取られて、やっと自由になったかと思うとまた乗っ取られます。あまりに扱いが酷い。最後に自由になって終わるのならば意味があるでしょうが、最後まで乗っ取られて末とすることになにか作品上の意味はあったのでしょうか。
あと、彼自身がマルコヴィッチの穴に入る。あのシーンも意味はあったのか。コメディとしては面白かったけど、ストーリーの流れは阻害されてしまっています。彼がクレイグに、「俺の潜在意識を覗くな!」と抗議したとしても、その後も変わらず覗かれまくるわけですから。
マルコヴィッチの抗議によって穴が使えなくなって、マキシムに会えなくなったクレイグとロッテが悶々……といった展開にならないと、彼が穴に入る必要性はないわけです。
要するに「マルコヴィッチの穴」という作品は、「ごく簡単なプロットに不必要なものをゴテゴテと貼り付けている」という構成になっており、そのせいで「シュール」だの「難解」だのといった評価を受けているのではないでしょうか。難解なのは当然です。だって、本来必要のないものがたくさん付加されてるわけですから。
とはいえ、「不必要だからつまらない」とならないのが映画の面白いところで、そういった無駄な部分を含めて、この映画からはとてつもない勢いを感じます。思いついたことは全部撮ってやるという、作者の意気込みがそのまま伝わってくるようです。不必要な部分をゴリゴリ押し切り、「独特の味」に昇華している辺りは本当に凄い。理屈をパワーが超えている格好のサンプルといえるでしょう。
マルコヴィッチをはじめ、キューザックやキャメロン・ディアスといった配役陣の演技も見事の一言。イチオシです。
■追記
それにしても、この結末にはビビリました。ゲゲゲ、これって京極夏彦のアレじゃん、と。
広く太平洋を挟んでも、同じような発想をする人っているんですね。
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