必ず逮捕して来い。生きたままだ
実に10年ぶりに「マークスの山」が文庫落ちってことで、記念カキコ。
ほんとに大好きな作品です、これ。日本でオールタイム編んでって言われたらベスト10に入るかもしれない。「マークス」を読んだのは13、4歳かそこらの糞ガキの頃でしたが、今でもシーンのひとつひとつが鮮明に思い出せます。
元暴力団員、高級官僚と次々に殺されていく被害者たち。彼らの頭には、謎の凶器で開けられた小さな穴があった。そして、その背後には精神に暗い「山」を抱える犯罪者、マークスの姿が……。
殺人者と、それを追う刑事たち。構造的には、「マークスの山」は警察小説と言えるでしょう。実際、「移動動物園」と呼ばれる個性的な刑事たちの描写のリアリティは、汗の匂いすら漂ってきそうな迫真さに溢れています。まずこの部分で圧倒。
そして、面白い警察小説に欠かせないのが、魅力的な犯人です。「マークスの山」のマークスはこの部分を軽々とクリアしています。
マークスが殺人を犯す動機は、正直言ってかなりストレートなものです。悪い言い方をすれば、陳腐ですらあります。しかし、高村はマークスの内部に「暗い山」という存在を持ってきて、陳腐な動機を圧倒的な存在に作り上げました。マークスはこの瞬間、警察小説史に残る名犯人として存在を確立したのです。
この手法は実に見事で、実際に効果をあげていると思います。とはいえ、これは高村の異常なまでの筆力があってこそ成功させることができた荒業ではあるのですが。
マークスの中の「山」の存在に気づきながらも、マークスを追わなければならない警察官、合田と、連続殺人犯マークスのエネルギッシュな闘いは、最後の舞台である雪山に向かってダイナミックに進行していきます。
「必ず逮捕してこい。生きたままだ」
この素晴らしい台詞とともに開始される雪山での一連のやり取りは、それまで丹念に積み重ねられてきた伏線を消化しながら、ラストシーンに向かって素晴らしいダイナミズムをもって収斂していきます。これぞ物語。これぞ醍醐味。
プロットは実に単純、これを普通の作家が作品化したら、きっと凡庸なものに終わってしまっていたでしょう。実際、凡庸に終わっている「マークス」もどきともいえる作品はたくさん生産されているはずです。
凡庸なプロットを元にこれほどまでのドラマを作り上げてしまう高村薫は、やっぱり天才だったのでしょう。様々なシーンを思い返し、改めてそう思ったのでした。必読。
■追記1
「マークス」では合田刑事はマークスの中の「山」を外部から見つめるだけですが、その後の「照柿」、「レディ・ジョーカー」にいたり、合田の中にも「山」が次第に形成されていきます。「マークス」を読んで衝撃を受けた方は、その後の作品も是非是非。
■追記2
「マークス」での「山」の存在感は、メルヴィル「白鯨」のモビー・ディックに通じる虚無性に満ちています。というか、元ネタは「白鯨」ではないでしょうか。
高村は「マークス」で直木賞を受賞した際、
「私はミステリを書いているとは思っていない」
と発言して波紋を呼んだわけですが、その理由はこの辺にあるのかもしれません。
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