A/R・ウォシャウスキー 「マトリックス・レボリューションズ」
☆☆


三部作の最後に至ってとうとう破綻を来たしてしまったわけでして、どこがどう破綻していたのかについて一筆。


最大の問題は、物語の落とし前のつけ方にあります。

『マトリックス』第1作では、「マトリックスから人間を解放すること」というのが最終目的として掲げられていたにも関わらず、ラストではその点が非常に曖昧になってしまっているのがそもそもの問題です。妙に物分りのよくなった機械たちに失笑。マトリックスから人間解放されたら発電施設に困るんじゃねーの?

こうなった理由は簡単で、ザイオン対ロボット・シティの戦争と、ネオとスミスの私闘をパラレルに描きすぎて、どちらに主導権を握らせたものか作者が迷ってしまったからでしょう。

「ロボットの襲来が撮りたい!」
「でもネオ対スミスの最終決戦も撮りたい!」

という両方の欲求を同時に満たしてしまったので、二つのクライマックスが同時に描かれるという珍妙な事態が発生し、プロットに混乱が生じたのだと思います。
結果的に「スミスを倒す」イコール「ザイオンが救われる」という苦肉の策を持って妥協するしかなく、結末にはなんとも白々しいドッチラケ感が漂っていた……という感じ。

解決法としては、「リローデッド」でスミスを映画から葬り去り、ネオ軍(?)VSロボットという様にプロットを単純化すればよかったんじゃないかなあ、と思います。とにかく、一本の映画に詰め込める内容ではないです。
「小説家にとって最も大事なことは、何を書くかではなく何を削るかだ」という使い古されたフレーズを想起する作品に年に何回か出会うのですが、「マトリックス・レボリューションズ」もそのような類の作品でした。

また、このようにパラレル構造をとっているので、ドラマの感動も分散されてしまっている。
今回で言うと、ザイオン側のミフネ船長やジー周辺の物語と、ロボット・シティ側のネオとトリニティの物語が平行して描かれるので、うまいこと感情移入の移行ができません。特にトリニティの死のくだりは唐突すぎて全くついていけず、それゆえネオの悲愴感が微塵も漂ってこず、最終決戦へのボルテージが全然高まらなかった印象です。


全体を見るとそういう感じなのですが、素晴らしい点ももちろんあって、議論が分かれているザイオンでのVSイカロボットもよかったと思います。大迫力で、絶望的で。藤子不二雄の「絶滅の島」を思い出しました。
ただ、「あれはマトリックスじゃなくても成立する映像だ」というレビューを二つも読んだので、もともと「マトリックス」に思い入れのある人にとっては納得のいかないところなのかも。私はたいして思い入れがなく、みんなが楽しそうに語っているから輪の中に入りたい……程度の欲求で見に行った人間なので、ああいう凄い映像が見れたことにただただ感嘆。


ネオとスミスの最終決戦は完全に『ドラゴンボール』の世界。
といっても、相変わらず馬鹿馬鹿しいところはなく、真剣にのめりこんで見ることができました。

ただ、あの決着はないでしょう。斬新っちゃ斬新なんだけどさ。
折角この壮大なお話を破綻させながらも無理やりネオVSスミスの対決に収めようとしているのに、あの決着方法のせいで全く収め切れていない。単純にネオがスミスを倒しちゃ面白くないし……ってことなのかしらん。撮り方を工夫してそれをアリにするのが腕の見せ所だと思うのだけれど。馬鹿でかいお話をヒーローものの縮図に当てはめようとしているのに、肝心のヒーローものの部分がここでも破綻しており、結末のドッチラケ感を増大させている気がしました。


まあ、『マトレボ』の最大の見せ場は圧倒的な映像世界であり、それ以外は何と言うことのない破綻作でありました。
風呂敷を広げるのは簡単だが、綺麗に畳むのは難しい。見終わって私の頭に浮かんでいた言葉は、「浦沢直樹」の四文字でしたとさ。綺麗にまとまった。そうか?


2003年11月17日



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