西澤保彦 「依存」
☆★
いきなりクライマックスから語られる構成美はお見事だと思うものの、その他全ての部分が駄目。
「現時点での西澤の最高傑作」と解説の川出正樹が言ってるけど、どう考えても「七回死んだ男」とか「人格転移の殺人」とかの方が上でしょう。これが最高傑作なら西澤という作家には今後触れる気がしない。
まず、人物描写が駄目駄目。
15年前に散々語られた議論を蒸し返すわけではないけど、いねぇよこんな連中。
日記にも書きましたが、どの登場人物も非常に平面的で、作者が作ったプロフィール表をそのまま読まされているみたい。
その原因は、性格描写を登場人物の行動で説明するのではなく、地の文で全部解説してしまう作者に原因がある。
「この人物はこういうところがあるからこういう性格だ」
みたいに書き割りで進行していくので、出てくる人物がエキセントリックに陥りやすく、感情移入が全く出来ない。いかにもミス研でバリバリやってましたー! 的な人物描写で、これでは一般の人はついていけない。
もちろん、人物描写にリアリティが感じられない……というのが弱点にならないタイプのミステリというのはありますよ。恐らくこの作品は「九マイルは遠すぎる」へのオマージュなんでしょうけど、元ネタはまさにそういうミステリだし。
が、「依存」のように登場人物の心の内奥に入っていく小説で、登場人物に感情移入できないってのはNGでしょう。
解説では結末が美しいだのなんだのしきりに言ってましたが、私は読んでて恥ずかしくなってきましたよ。ペラッペラの登場人物の内省なんて読まされて、作中で盛り上がられてもね。
要は全部人物描写の巧拙なんです。根本が出来てないのに、その上に工事をするのだから土台からぐちゃぐちゃ。人物も書けないのに恋愛小説や心理小説を書いていくとこうなってしまう、といういいサンプル。
構成ですけど、「九マイルは遠すぎる」的な、どうでもいい謎に対して「いつものメンバー」(シリーズものだそうだ)がアレコレ推理を戦わせることで進行していく。しかしこの過程が本当にどうでもいい。
謎が次々と出てくるけど全く「知りたい」という欲求がかきたてられないし、そんなのに対してネチネチと推理をされても退屈なんですよ。「なぜマンションの出口に毎日小石が挟んであるのか?」なんてビタイチ知りたいとも思わんし。
北村薫の「空飛ぶ馬」がなぜ傑作だったのかというと、こうしたどうでもいい謎解きの部分を青春小説として昇華していたからであって、「依存」ではきしょいオタク連がどうでもいい謎をこねくり回してるだけですからね。どうにもこうにも。
あと最後に言っておきたいのが文体。これは酷すぎる。
女子大生「ウサコ(失笑)」の一人称で進んでいくわけですが、これがオッサンがイメージした女子大生そのもの。
「やだー、信じられなーい」とか、
「こんな風に宣言してくれる凛々しくて頼もしいひとが自分の傍にもいてくれたらなー、なんて、つい妖しい気分に浸ってしま……あ、ああっ、何を考えてるんだわたしは」(原文ママ)などというむず痒い文章が地の文でポンポン出てくるので死にたくなる。女子大生というより活弁だよこれは。体言止め連発すりゃ若者口調になるわじゃねーぞ。
あと「ケーコたん」とかいう渾名の女が出てきますが、私ならこんなオタッキーな渾名をつけられた瞬間に自殺するね。こういうネーミングを何の躊躇もなく出来る時点でシャバすぎ。
全体的にミス研の閉鎖的なノリ、という感じ。
新本格ファンの方、この人物描写が気にならないリアオタの方、もしくは中〜高校生の方は面白く読めるかも。とりあえず普通の社会人の鑑賞には堪えることはできないでしょう。
2003年11月6日
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