ゲームとしての物語
―2.駒とアビリティ(能力)の設定―


 エンタテインメント小説が「ルール」を背景に面白さを捻出している……ということは前項で述べた。しかし、ここまでで述べたことは、「チェス盤は8×8の桝目であり、キングを詰みの状態にしたら勝利」といったことだけで、これだけではゲームは成立しない。ここで登場するのが「駒」である。

 「駒」とは、すなわち登場人物に当たる。「ルール」にのっとり「駒」が動くことで、始めてゲームが成立し、物語も動いてゆく。
そして、「駒」の作成にあたって作者が行わなければいけないことは、駒に「アビリティ」を設定することである。本項ではこのテーマについて述べる。



 ここで言う「アビリティ」とは、登場人物の性格や職業、思想、行動力、知能などなど、登場人物のアイデンティティを確定する諸因を指す。アビリティの本来的な意味(能力)とは若干ずれてしまうが、他に巧い言葉が見当たらないのでその辺はご容赦いただきたい。

 チェスの話を続けると、盤上に配置された32の駒が全てクイーンであったとしたら、戦略はなくなってしまう。ポーンがいて、ナイトが控え、ビショップが動き、ルックが走ることで、ゲームに戦略が生まれ、駆け引きが生まれる。彼らにはそれぞれ「やれること」と「やれないこと」、「能力」と「制約」が与えられており、これがチェスというゲームにおける「アビリティの設定」にあたる。これは物語についても同様で、登場人物に割り振られる諸因により、登場人物がどの範囲まで動くことが出来るのか、どの程度まで考えることが出来るのかが決まる。


 「アビリティ」の設定、そして「ルール」の提出。これらを盤上に配置し終わった時点で、作者はゲームを開始する。作者は「ルール」から外れることなく、また駒を「アビリティ」に沿って動かすことで、サスペンスやカタルシスを発生させる。この一連の流れがエンタテインメントになる。

 それでは、サスペンスやカタルシスはどのように発生するのか。ごく簡単に言うと、「登場人物に出来ること」を利用することで、達成というカタルシスが。「登場人物に出来ないこと」を利用することで、危険・恐怖といったサスペンスが発生する。

 例えば、『ドラえもんに休日を!』という作品がある。これは、ドラえもんがバカンスを取ろうとするが、のび太のことが心配で、いつでも呼び出せるように「呼びつけブザー」という道具を渡すところから始まる。のび太は日ごろお世話になっているドラえもんのために、何があってもブザーを押さないと誓う(ルールの提出)。

 しかし、物語の最後、ガタイのいい小学生に囲まれ、のび太は窮地に陥る(サスペンスの発生)。ここでのび太が窮地に陥る理由は、のび太に「喧嘩が弱い」というアビリティが与えられているためである。この時点で、ルール上に以下のようなルートが発生する。

 (1)「呼び出しブザー」でドラえもんを呼び出さなければ、殴られる。が、ドラえもんにバカンスを提供できる。
 (2)「呼び出しブザー」でドラえもんを呼び出せば、窮地を脱することが出来る。が、ドラえもんのバカンスをぶち壊す。

 どちらを選んでもバッドエンドになってしまうこのシチュエーション。作者によってどのようなお話にするかはわかれるだろうが、F先生は(2)を選んだ。のび太は「呼び出しブザー」を踏みつけて壊してしまい、絶体絶命のピンチに陥る。そして、サスペンスが最高潮に高まったこの窮地に、のび太の男気に魅せられたジャイアンが登場するわけである(この時の「スネ夫、やるか?」は超名台詞)。彼に設定されたアビリティは「喧嘩が強い」。のび太が持たないアビリティを持つ人間の助け舟により、問題は解決する(カタルシスの発生)。

 このように、「喧嘩が強い」というアビリティを持つ駒と持たない駒をタイミングを見計らって動かすことにより、サスペンス→カタルシスという流れが発生するのである。これが「ゲームが動いている」という状態である。アビリティの設定とは、とどのつまるところこの格差を設定する作業に当たることになる。これをもっと複雑化したものが、井上雄彦の『スラムダンク』や、山田正紀の『火神を盗め』、ウェストレイクの『ホット・ロック』である。


 さて、ここまで説明して、勘の良い方なら判るかもしれないが、物語上一番やってはいけないことがひとつあって、それは「設定したアビリティを何の脈絡もなく覆してしまう」ことになる。例えば、上記のシチュエーションで、怒り爆発したのび太が突然相手を殴り倒す……というようなことはタブー。こうしたアビリティの反故が「ご都合主義」の正体である。

 もしこのような方法を持って解決とするならば、「のび太は怒るとヤバイ」という伏線を読者が覚えるまで張り、のび太に「怒ると戦闘力が上がる」というアビリティを設定しなければならない。『ドラゴンボール』における、孫悟空の超サイヤ人変身のシーンがご都合主義に感じないのは、この作業がきちんと行われているからである。


 また、もうひとつやってはいけないことは、「アビリティを読者に明示しないこと」である。北村龍平の『あずみ』という作品は、最後あずみと美女丸の一騎打ちになるのだが、どちらがどのようなアビリティを持っているか判らないので、ゲームが動いていない。長い決闘が非常にだるく感じる。「スピードの剣士、あずみ」が、「それを上回るスピードを持つ美女丸」と戦い、窮地に陥る。さてどうするか……といった展開にしなければ駄目。

 では、アビリティの設定とはどのように行えば良いのだろうか? 『あずみ』では、冒頭近くに「あずみのスピードは凄い」といった登場人物による説明が入るのだが、これでは駄目なのだろうか? 北村龍平監督は、これを以ってアビリティの設定は完了したと考えたのだろう。しかし、残念ながらそれでは駄目なのである。

 アビリティの設定は、「エピソードの挿入」によって行うものである。登場人物が「あいつは速い」といえば、それは観客に「情報」としては伝わるが、「実感」としては伝わらない。あずみに「スピードが速い」というアビリティを与えたい場合、「どのように凄いのか、速いのか」といったエピソードを観客に提出しなければならない。十人くらいが襲い掛かってくるところを、疾風のように突っ切って全部斬ってしまうとか、何でもいい。このシークエンスを挟むことで、「設定資料集」に書かれている説明書きに過ぎなかったアビリティが、説得力を持って観客に受け入れられることになる。(※)


 このように各駒にアビリティを振り分けることで、ようやくチェス盤の出来上がりになる。この土台が出来ていない作品は必ずつまらなくなる。逆に、読んでいてだるい、見ていて重い作品は、ゲームが動いていない可能性が高く、その理由は「ルールが不明確」であるか、「アビリティが不明確」であるかのどちらかになる。

 上記が「駒とアビリティの設定」についての概論である。次項は、「ゲームと物語の違い」について説明する。総論は次項で終わり、以降は5、6本ほど各論を書く予定になる。よろしかったら最後までおつきあいください。


(※)アビリティの設定は「エピソードの挿入」によって行う、としたが、既に挿入されているエピソードを流用することは可能である。例えば、『HUNTER×HUNTER』において、「世界随一の念能力者」というアビリティを持つネテロに、「あいつ、ワシより強いんじゃねー?」と言わせることで、ネフェルピトーの強さを読者に納得させることは出来る。このようなエピソードの省略はどの作品にもみられるが、最も多用した例は『ドラゴンボール』であると思う。『ドラゴンボール』に関しては各論で触れる(予定)。


2004年1月26日



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