昼11時から深夜1時まで営業、定休日は月曜。
夕方頃からバイトは入るけれど、ほぼ一日中ひとりで店番をしている店長は、朝が弱い。朝が弱いながらに、彼には一日で一番活躍しなければならない日が週に数日ある。
これを逃してしまったら死活問題、といえるほどの事が。
よって、確実に10時までは絶対に起きない店長を起こすべく、ひとりの男が今部屋の前に立った。
店長を起こすには、4つのコツがいる。
@ 肺活量に自信があること
A 店長のツボを確実に押すこと
B デュエリストであること
手に持った袋を床に置き、ちょっと風が吹いただけで吹き飛びそうな扉を蹴り開け、男は叫んだ。
「デュエル!!!」
途端、こんもりと盛り上がった布団の隙間から、バシっと手が畳敷きの床を叩く。バシ、バシ。
「俺のターン!!ドロー!!」
構わず続ける。男は手にデッキを持ってはいないけれど。
バシ、バシが、何かに触れた。枕元に置かれたデッキのどれかだ。スリーブからそれがアンティークであることが伺える。
アンティーク…。ならば、ライトロードで行くまで。
「魔法カード、光の援軍効果発動!俺はデッキからカードを3枚墓地へ送り…」
その時点で、布団からにょきりと伸びていた手がデッキを薄い毛布の中に持ち込み、ごそごそとやり始めていて。
「俺はパラディンを手札に加え、そのまま攻撃表示でフィールドにセット!カードを二枚伏せて、ターンエンドだ!!パラディンの効果により、エンドフェイズ時デッキの上から2枚カードを墓地に送る!!」
この瞬間、薄い毛布が跳ね除けられた。
「俺のターン!!ドロー!…フィールド張るぜ歯車街!効果によりギアビーストをリリースなしでフィールドに召喚、装備魔法ギアタンクをギアビーストに装備、この時点で攻撃力2600!カードを1枚伏せギアビーストでパラディンを攻撃、す…る?」
きょとんとした顔の店長は、寝癖ではねまくった青白い髪を直す事もせず。レモンイエローの目がきょろきょろと、存在しないパラディンを探していて。
そんな店長に、男は玄関で青灰の瞳を細めにっこり笑っい、くいと親指を外に向けて見せた。
「おはよう鬼柳、お勤めの時間だぜ?」
C 起こす相手がクロウであること
見るからにボロアパート。雨漏りなんて可愛らしいレベルではない雨漏りの痕がそこかしこに残り、冷蔵庫と洗濯機は共有の廊下に無造作に並んでいる。洗濯機は勿論全自動ではなく二層式。台所も洗面所もトイレも全て共有、『ひとり5分』と乱雑な字で書かれた張り紙が貼られている風呂場など、一階の隅にぽつんとあるせいで使うときは一度外に出なければならない。
唯一作りが確りしているのは、一階のほとんどをぶち抜いて作られた店舗だけ。4部屋ある二階のアパート部分は何処も、似たり寄ったりの荒れようだ。店舗の方に雨漏りをさせないという、涙ぐましい防波堤にしかならない。
それでもその4部屋は、住人に管理人も含め全部屋が埋まっている。
その理由はひとつ。皆が皆、貧乏だから。
それはもう、食うに困るなど日常茶飯事。働いても働いても貯まらない金は、時に分割されている共同スペースの公共費…水道代とガス代にまで魔の手を伸ばされるほど。
よって、運命共同体は一案を講じた。
一番削りやすいのは食費。限りなく0に近づけるためには、互いの武器を最大限に使う事。
「おはようございます奥さん方!いい天気ですね!!」
朝日に照らされた青白い髪には、先ほどの寝癖の痕など一切ない。白い肌はきらきらと朝日を反射し、猫のように細められたレモンイエローの瞳はなんとも人懐こくて。
少し草臥れたTシャツに、洗濯されすぎて色あせたジーンズ。薄汚れたスニーカーにも拘わらず、中身は一級品だ。クロウ曰く、こんなに残念な美形滅多にいない…幾度となく言わしめる相手ではあるけれど。
美形は美形だ。近くに商店街のある、こじんまりとした住宅街には潤いとなる。
よって週に数度、ゴミ出しの時間帯に行われるお裾分けは半端な量ではない。
作りすぎたから、買いすぎたから…そんな理由で頂く奥様方の手作り料理が入ったタッパーは、出すゴミがないという理由で全部屋からかき集められるゴミ袋の大きさ以上に膨れ上がる。
その大量のタッパーを見た目ほどはか弱くない腕にはっしと掴み、鬼柳はそれこそキラキラと自らが発光しそうなほどの笑顔を向けていた。
「いつもありがとうございます!大切に皆で頂かせてもらいますね!!」
これで育ち盛りの男共の胃袋、一日分は確保だ。家に帰れば、炊飯器に米だけは炊いてある。きっともう皆、一番こまめに掃除するという理由で小綺麗なクロウの部屋に集まっているだろう。
アパートの管理人であり、一階部分を占拠するカード屋を経営する鬼柳は親がいない。小さい頃に死に別れ、ずっと祖父母に育てられてきた。
しかし彼が成人すると同時に、祖父母達もまた寄る年には敵わずぱたぱたと亡くなってしまい、彼に残された財産はボロアパートと少しの遺産。別に大学にも行かずバイトをしていた鬼柳は、考えた末僅かな遺産を全て注ぎ込みカード屋をオープンさせた。趣味が高じて、である。
それでも店舗を構えた時点で、激貧に変わりはなかった。働いても働いても貯まらない金は、全てカードに費やされるから。ならば高額カードを売ればいいと思ってみても、いつか組むかもしれないデッキ用にと考えると手放せない。せめてアパート部分に入居者がいてくれれば…思っても、あまりにもボロ過ぎて家賃月1万5千円でも誰も入ってくれない。
俺カードに埋ってのたれ死ぬのかな…鬼柳がそんな事を思い始めたとき、最初の光が射した。
ある日レアカードの入ったガラスケースに、物凄いもの欲しそうな顔の青年が立ちずっと眺め続けているではないか。話しかけてみれば、買う金がないという。なくはないけれど、これを買ったら今月の家賃が払えないという。それでも諦めきれず、ずっとケースの中を眺め続ける青年の名はクロウといった。
名乗られただけで、鬼柳にはピンとくるものがあった。大会で常に上位に名を残すデュエリストと同じ名前。そして自身も、同じだけの名を残していると自負するデュエリストだ。何故かタイミングが悪く、今まで一度もデュエルをしたことのなかった相手。
名乗ればクロウもピンと来たのだろう、意気投合し店が閉まった後も狭い六畳間で朝日を見るまでデュエルをして、翌日には商談が纏まっていた。ほとんどない家財と、ちょっとありすぎるカードを抱えクロウがアパートに入居して来たのだ。
そのすぐ後に、クロウが誘った遊星が入居した。同じくらい有名なデュエリストで、同じくらい貧乏で、同じくらいカードを愛していたから。
遊星が入ることで、ジャックもまた入居する事になる。部屋に一番文句を言ったけれど、背に腹は変えられない。ジャックもまた、同じくらいの貧乏だったから。
名だたるデュエリストが、こうして集まった。噂が噂を呼び、いつしかそのボロアパートは一部デュエリスト達によって、
『カード廃人アパート』
と呼ばれるようになり。そこに行けば憧れのデュエリストとデュエルが出来ると、カード屋は繁盛するようになったけれど。相変わらずの貧乏っぷりは全員一緒。何処まで行っても尽きぬカードへの情熱が、ない金をどんどん新パックに変えていく。特典欲しさに大量の攻略本、雑誌、ゲームが積み上げられていく。
飢えるときは一緒に飢えよう、水が出なくなったら皆でバケツ持って公園に行こう、電気がつかなくなったらついている部屋に避難しよう。いつの間にかそんな運命共同体的思考が育まれたとしても、仕方のないことだ。
鶏と里芋の煮付け、しょうが焼き、ジャコと春キャベツの炒め物、出汁巻き卵、何故かお好み焼き、そしてイチゴ。狭いちゃぶ台にぎっしり並べられたタッパーと湯気の立つ白米。相当量のそれはしかし、豪快に消えていく。
「鬼柳おま、重点的に鶏を食うな!」
「……イチゴ、ひとり五個だ」
「遊星、出汁巻き卵ひとり2個とイチゴ5個をトレードしよう」
「だがしかし断る!!イチゴだけは、断る!!」
「なっ、遊星俺を裏切るかああああ!!」
「イチゴ2個に出汁巻き1切れなら俺譲るぜ」
「あ、そのレートなら俺も考える」
「お前らには聞いていない!そしてクロウお前はお好み焼き食いすぎだ!」
特に前日の夕食が確保出来なかった翌日がゴミの日の場合、ちゃぶ台はさながら戦場だった。
町内会のヨン様鬼柳と、商店街のアイドルクロウがいたとしても。デュエリストキングジャックと、機械工学科の癒し系遊星がいたとしても。食べ盛りの胃袋の前では、どうしようもないことなど多々あるわけで。
「お前ら、ありがたく食えよ!昨日の白米に塩を忘れるな!」
「…しゃあねぇじゃん、昨日俺バイト休みだって忘れてたんだから!遊星もジャックも学校休みだしなぁ。今日は俺がなんとかするとして、鬼柳お前井戸端会議にタッパー持って乗り込め」
「俺は今日一日店に出て、デュエルの相手をしてやろう!菓子類なら確保できるだろう」
「休み明けなら、きっと非常食を譲ってもらえる。時期的に缶詰か米…お中元が待ち遠しいな」
素麺、大量…
呟いた遊星に、全員が感嘆の溜息をついた。腹いっぱい食べられる、日持ちする、ちょっと涼しい…冷房など扇風機すらないアパートでは、素麺は救世主だ。因みに冬休み開けのお歳暮の残りはちょっと豪華な物が多く、その月だけはアパートの住人達、舌が肥える。
食事が終ると、鬼柳は店の方へ。学生のジャックは休日なので共に行く。同じく学生の遊星は、食器を洗った後レポートの嵐と格闘しに部屋に戻る。それがないときは、近所の整備工場に単発でバイトに入っていたりした。学生ではないクロウは、本日商店街に入っているコンビニでバイトなのでさっさとアパートを出る。クロウは他にも商店街内でバイトを2件掛け持ちしていた。どれも食べ物関係だ。
裏の階段を駆け下り正面に回ったクロウは、まだ閉まっている店の半分だけ上がったシャッターを潜った。節約のため電気をつけていない店の中、準備をするはずの鬼柳とジャックがデュエルを始めているのはもう何時ものこと。
「夕方の総菜屋に入る前に、売れ残りの弁当あったら持って来るからな〜。あとジャック、お前今月まだガス代払ってねぇぞ。猶予あと3日だからな」
言うだけ言ってさっさと店を出る。背後で呻き声が聞こえようが、ケラケラ笑いながらいってらっしゃいと言う鬼柳の声が聞こえようが、振り向かず手だけ振って。
正直、店にいると色々危険だ。財布的にも、時間的にも。一番金銭感覚が真っ当だからと公共費の管理を任されてはいても(本来なら鬼柳の仕事であるに拘わらず、だ)、カードを前に理性をなくす確立は五十歩百歩。長居しないに限る。
鬼柳の店で働いた分の給料はカードだ、そのとき何のカードが店に入っているかは運ではあるけれど、正直一番嬉しい。コンビニ並みに嬉しい。
コンビニの場合、本当にごめんなさいと呟きながらもゴールドパックの下から2パックを重点的に買う、というズルが出来る。それでも出ない時があるノーマルレア、カードは本当に魔性だ。
クロウが商店街に向かっている頃、遊星はアパート内唯一の(それでも年季が入りすぎて充電パックがほぼ無意味な)ノートパソコンでレポートを仕上げていた。母親が早くに亡くなり、男手ひとつで遊星を育ててくれた父の為、何としてでも大学だけはいい成績で卒業したかった。
けれど目の端に映る組みかけのデッキが、網膜に張り付いて離れない。気がつけば入れようと思っていたカードのリストを再考慮し始めていて、遊星は慌てて大きく首を振った。
レポート…このレポートさえ終れば、一旦休憩という名のデッキ編成…
ブツブツと呟きながらパソコンに向き直った瞬間だ。行き成り画面がブラックアウトした。
あまりの事に遊星は3秒ほど息を止め、それから恐る恐る長く伸びた蛍光灯の紐を引いてみる。この家で電気が消えるとき…最も優先して考えうる可能性は、光熱費延滞による供給の停止だ。
「つかな…ドゥローレン!!」
氷結界、どうしても組みたくて組みたくて組みたくて…そういえば通帳に何故か残っていた金で二枚買ったことを思い出す。何故か残っていた、じゃなく光熱費として残していたようだと、過去の自分に謝ってももう遅い。
こうなると遊星は、ノートパソコンを手にアパート中をさ迷うことになる。遊星の部屋は、一階に降りる階段の斜め横。最後に入ったということで一番寒い階段の真正面を宛がわれたジャックの部屋にとりあえず入り、スイッチを押してみた。
電気はつかない。
供給が止まるのはほぼ同時、ということはジャックも延滞していたということ。そういえば融合がどうのと沼地の魔神王を10枚買うとか買わないとか…。
次は、反対隣のクロウ。つかない。……賄賂が欲しいとストラクチャーを6積みしていた。
最後の頼み鬼柳……聖なるあかりあるだけとかふざけた事叫んでましたええもう、つくはずがありません!!
結果、遊星は最終手段に出る。
共有スペースは、電気だけ下の店と支払い場所が一緒だ。何故か一緒だ。よって、廊下の電気は無事。それだけは鬼柳も、絶対に確保しているから大丈夫。使い込まないように店の通帳と自分用の通帳は分けているから。
だから。
「遊星、お前は何を……ああ、沼地」
休憩で部屋に戻って来たらしいジャックに声をかけられるまで、遊星は階段の横にあるソケットにコンセントを繋げ、階段に座り込みレポートを仕上げ続けた。
デッキを組むよりもまず、やらなければならないこと。飛び込みで整備工場にバイトに行き、手渡しの給料を確保すること、だ。
ジャックも遊星も、わりと大目に仕送りをされているはずなのに。毎月毎月同じ事を繰り返すのは、全てカードのせい。
電気が止められたと知って少し落ち込みながらも、廃棄分のコンビニ弁当を大量に置いていったクロウを見送り食事を終らせ。ジャックは意気込んで下の店に降り椅子に座った。
心底不器用なジャックは、バイトが長続きしない。だからどうにかして仕送りで生活費を工面するしかない、のだけれど。残念ながら、それは不可能に近いこと。よって電気が止められると、次の仕送りまで暗闇で通すしかない。
なくなったから多めに送ってくれと両親に頼んでも、プライドの高さと合理的な性格の父は確りした理由がないとけして甘やかしてはくれないから。
正直な話、自分の部屋は寝に帰るだけでいい。電機が欲しければ、今日中にどうにか回復するだろう遊星か鬼柳の部屋に転がり込んでいればいいわけだ。しかしそのためには、自分がどれだけ甘味を回収するかにかかっている。もしそれが不可能な場合、共有スペースである廊下かトイレ、もしくは風呂場に篭るしかない。それはジャックのプライドからして耐え難いことだ。
よって本日のジャックは、疲れたからという理由でさっさとデュエルを終わらせる事はなかった。挑まれれば挑まれただけ、デュエルをし続けた。
デュエルをすればするほど積み上がっていく甘味。何故かジャックに挑むときは、お菓子を与えよという鉄則(甘味が恋しくなったときに遊星がぽろっと言った言葉が、今でも適応されている)のもと、そこそこ有名な店のケーキからコンビニで売っているものまで。
実はコンビニのお菓子の方が嬉しい日持ちするから…とはジャック、絶対に言わない。言えるわけがない。
時たま遊星が降りてきて、冷蔵庫に入れなければならないものを回収していく。そのときに一瞬だけ目が合うたび、まだだ…言うようにゆるり首を振られる。甘味に関しての遊星は妥協がない。
歯軋りしたくなりながらデュエルを続けていたジャックは、ふとカードを買い取る鬼柳が目に映った。目の端で眺めていると、にんまり笑ってわりと高額で取引が終了したらしい。そして、視線を向けざまちらりと見せてきたカード。
キングドラグーン!!
「確保だ!!」
叫んだ途端だ、棚からごそっと出された融合カードの数々。本日のバイト代。
「言われたもんは揃えてる、欲しいならこれは買えよ」
まけてやるから
付け足しながらも鬼柳はニヤニヤ笑っていた。くそ、電気代を身内(と言っていいだろう)から稼ぐつもりだ!
結局。レポートが終らずバイトに行けなかった遊星と、バイト代が近いものでも2日後にしか入らないクロウと、鬼柳の代わりに電気代を払うためコンビニに走らされるという屈辱を受けたジャックが鬼柳の部屋に仲良く揃った。二ヶ月に一度は行われる、恒例の行事。今は春だからいい、けれど冬はわりと地獄。
「それでもこればっかりはなぁ…」
「そうなんだよな…」
総菜屋の余り物を大量に消費しながら、鬼柳とクロウは本日確保されたカードに目をやった。何も言いはしなかったけれど、他のふたりも同じ心境だろう。
鬼柳が確保するのは、どうしても欲しいものだけ。そうでないと、部屋にいる4人のせいだけでカード屋は確実に破産する。
「ネクロバレーあと3枚…スキドレ墓守組みてぇ」
「俺忍者…全然集まんねぇんだけど」
「ダイダロス、ダイダロスが…」
「今更暗黒界が気になる」
こんなことが日常会話でまかり通るのだから。
廃人、言われても誰も言い返せないのだから。寧ろ開き直って廃人です!言い切るほどだ。
もし誰かが、カード以外に興味はないのかと聞いたとする。
全員が全員微妙な顔になり、暫し考え、あるようなないような…そんな返答が返ってくるだろう。結局カード絡みの事だからなぁ…とも呟かれるかもしれない。
でも、4人の中でも一番“その他の興味”に自覚のある鬼柳は、もう一言だけ付け足す可能性がある。
『気付かねぇんだよな、これがまた』
言って苦笑しながら、もし傍にクロウがいたら困ったようにそちらをちらっと見るだろう。
でもとりあえず今はまだ、ただのカード廃人4人組、その一括りで話は終るはずだ。
カード以外で(そして貧乏以外で)いざこざが起きるのは、もう少し先の話。
END
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