夢を見た。
クロウは汽車に乗っている。太古の昔にあったらしい、蒸気を上げる汽車。構造は単純でクラシカルな外装。彼にとっては興味の対象とはならない鉄の塊。
座席は赤いビロードで柔らかく、思ったよりも乗り心地は悪くない。
窓の外は変わらぬ風景。ひたすらに続く何かの畑。小麦だろうか?黄金色の穂は頭を垂れ、もうすぐ収穫だろう雰囲気を醸し出している。
と、汽笛が鳴った。
思ったよりも大きな音。フルと肩を震わせたクロウは、誰に言われるでもなくもうすぐ駅に着くのだと納得し、開いた窓から顔を出してみた。
行く先に見えるのは、巨大なジャンクの山。その山が停留所代わりなのか、幾人かが汽車を待っているのが見える。
気付けば景色はサテライトのそれで、この先に誰がいるのか容易に想像がついた。
『不動遊星』
〜10分停車します〜
アナウンスが聞こえると同時、幼馴染の名が記された案内板の後ろから遊星が顔を見せる。
「クロウ」
いつもの落ち着いた声。笑顔を見せたクロウに、彼もほんの少しだけ笑って見せて。
「降りるか?」
問われた。
クロウは改めて、停留所を見渡す。
どちらを向いてもジャンクの山。それはあまりにも膨大で、遊星に陰を差す。そんな中、すっと伸ばされた遊星の手。
グローブに隠されてわからないけれど、所々傷付いて…それでも何かを守ろうとする手。
「俺はいいよ」
だからこそクロウは断った。やんわりと伸ばされた手を掴み、首を振って。
「俺はどうにかなるからさ。遊星は遊星にしか出来ないこと、してくれよ」
そう答えることが大切だと、クロウはそのとき切実に思っていた。
大切なものを掴んで離さない手は、とても暖かくて安心できる。でもそれは、あまりにも幼い。全てを抱え込もうとするにはまだまだ沢山の助けが必要だと感じる、幼い手。
「その代わり、遊星が困ったら真っ先に呼べよ?俺は何処にいたって何してたって、全部捨てて助けに来るからな!」
ぎゅうと握れば、同じ力で握り返してくれる手。
何の懸念もなく微笑んだ遊星に、同じだけの笑みを返して。クロウは手を振った、汽車が動き出したから。
遊星は最後まで停留所に止まり、クロウを見送ってくれた。
いつの間にか景色は海原。
キラキラと青く光る海原を、クロウはただ見つめる。
そんな時鳴った汽笛。二回目なのでさほど驚きもせず窓から顔を出せば、白い大理石で出来た大きな停留所。
なんてわかりやすい。
『ジャック・アトラス』
〜5分停車します〜
聞こえたアナウンス。数人が汽車を降り、足早に待合室に消えていく。
顔を上げれば、待合室はがらんどう。ただ暗くて、すぐ先に大きく開かれた扉は開いていて。光溢れるその先は、どこまでもどこまでも続く一本の道。
そこにジャックが立っていた。
「降りる気か!」
結構距離があるというのに、ジャックの声は良く通る。
「降りねぇよ!!」
それに負けず、クロウも叫んだ。
「降りないのか?!」
今度は少し、戸惑いを含んだ声。クロウはちょっと笑えてしまう。
どこまでも続く一本道。光に溢れたその先に、何があるか見たい気もするけれど。きっと自分が見たい景色とは違う、それがクロウにはわかっているから。ジャックもこの一本道、先に続く道を見せたい相手は違うだろう。
「降りねぇよ!俺は俺の方法で先に進むんだ!」
「愚かな!」
鼻で笑いはしたけれど、ジャックの表情は別に馬鹿にしたそれではなくて。
頑張れよ
言葉にはしなくても、そんな気持ちを込めて。クロウは高く拳を突き上げた。
その後も何箇所か、汽車は止まる。
知った顔があった、知った名前が書かれていた。何人かが汽車に乗り込み、何人かが汽車から降りた。
しかしそれでも、クロウは降りない。
もうクロウは窓の外を見ず、くふくふと機嫌よく笑う。
降りてもいいと思った駅は何個かあった。それでも、自らの意思で降りたいと思うものはなく。降りないのかと問いかけられるたび、ここじゃないんだと気持ちを強くして。
ただひとつ、まだ訪れていない駅がある。指折り数えても頭で計算しても、あと2〜3箇所。それのうちのどれかでたどり着く駅。
降りるかと問われれば、仕方ない降りてやるかと言ってしまうだろう…
突然、目の前が闇に包まれた
汽笛は鳴らない。何の音も聞こえない。たった一本の電柱に吊るされた、裸の電球。薄汚れ本来の灯りすら満足に灯せない停留所に、いつの間にか汽車が止まっている。
電球の下には案内板がぼんやりと浮かび上がっていて、しかしその名前を確認する事は出来ない。赤黒い何かで酷く汚れていたから。
〜2分停車し「2分も待てねぇ」
アナウンスが告げた、酷く短い時間。なのにそれを覆い隠すように響いた声。
クロウが待っていた声。
「見るな、見るな、見るな」
酷く苛立たしげな声。姿は見えない。
見るなと言われても、見るべきものはなく。ただ呆然と暗闇を見つめるクロウの頬が、乱暴な仕草で包まれる。
途端目にしたのは、青く光る白銀。暗闇のはずなのに、くっきりと見える色。
「きりゅ…」
「見るな」
はっきりと告げられた拒絶。怖くなってぎゅっと目を閉じたクロウの耳元で、小さな声が告げる。
「オイタがすぎるだろ、クロウ?」
バチンと音が鳴るほどに、クロウは瞼を開く。
寝ていただけなのに鼓動が止まない。喉がかさかさで、酷く渇いているのに水を飲みたいとは思えない。
それよりも焦燥感の方が強いから。
あたふたとベッドを抜け出し、廊下に出て少し進んだ先の扉。ノックをする暇も惜しみ飛び込んだ部屋では、その音で目を覚ましたらしい京介が飛び起きた。
「クロウ?なんかあったか、誰か潜入でも…」
「鬼柳!!」
「クロウ?」
わけもわからず、ただ京介の身体にしがみついて。そこでクロウは気付く、何故京介にしがみ付くんだ?
「あ…」
自分の行動に驚いた。すぐに離れようとして、しかし京介を掴む腕がぶるぶると震え離れない、離せない。
混乱した頭のまま動けないクロウを、京介は暫く見つめ。やんわりと微笑んで腕に抱きこみ、ベッドに促して。抵抗せず布団に包まったクロウの背を、何度も何度も優しく撫でて。
「大丈夫…大丈夫…」
何度も囁くように呟いた。
「怖くない…怖くない…」
囁き続けるうちに、クロウの身体から力が抜けていく。震えていた腕は、漸く意思に反応し、そろそろと京介の背に回った。
「寝ちまえ、俺がついててやるから」
「…ん」
「俺は絶対、お前を傷付けねぇから」
「ん」
その囁き声はとても安心できるもの。クロウにとって、安らかなもの。
大丈夫、怖くない
自分はどうかしていたのだ。
何か夢を見た事は覚えている。でもそれに怖がって、震えながら京介に抱きつくなんて自分のスタイルに合わない。
それでも暖かな腕の中から出るには惜しくて、すんなりと訪れた眠りは愛おしくて。
眠りにつく前小さく微笑んだクロウは、だから知らない。
やんわりと微笑みながら。一切その表情を変えないまま、クロウを見つめたまま。
「…そんな痕の残る事、誰がするか」
吐き捨てるように呟いた、京介の平坦な声を。
END
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